今までの定例会の内容 

開催日: 2024年4月14日(日曜日)

場所: Zoomを利用したオンラインミーティング

「年末年始に行ったベトナム(ダナン・フエ・ホイアン・ホーチミン)旅行をプレゼンします。」と題して、昨年末から今年の正月にかけて、ベトナムを旅行した方の話をお聞きしました。

年末、中部国際空港からベトナム航空でホーチミン経由ダナンへ、ミーケビーチ沿いのリゾートホテルにチェックイン後、近くのレストランでシャコなど海鮮料理に舌鼓を打ちました。

2日目は、フエへ、世界遺産フエ王宮、カイディン帝廟、ミンマン帝廟などを観光してダナンへ戻りました。

3日目は、Grabタクシーでバーナーヒルズへ、ここはヨーロッパ風の建物が立ち並ぶベトナム屈指のテーマパークですが、残念ながら豪雨で2時間ほどで退散することになり、ダナン市内観光へ、ダナン博物館、ハン市場、カトリック教会などを廻り、ロンブリッジで龍が水と火を噴くイベントを観賞しました。ナイトマーケットも楽しみました。

4日目は、五行山、ココナッツ・ボート乗船体験場所(もちろん乗りました)、などに立ち寄って、ホイアンへ移動、昼は観光用チケットを買って観光スポット巡り、夜はランタンが町中に灯る幻想的な雰囲気のなかの街歩きを楽しみ、夕食はホワイトローズ、揚げワンタン、カオラウなどのホイアン三大名物料理を堪能しました。

食後、ベトナムのシルク・ド・ソレイユといわれるテッダーショーを観賞してから、花火が打ちあがる会場で年越しカウントダウンに参加し、ニューイヤーを迎えました。

5日目は、ホイアンからダナン経由、ホーチミンへ移動し、ホーチミン観光へ、ベンタイン市場、人民委員会庁舎、中央郵便局、サイゴン大教会、統一会堂、戦争証跡博物館を訪れて、夕食はソフトシェルクラブ、蟹チャーハン、蟹スープと、かにづくしグルメを楽しみました。

6日目は、クチトンネルツアー(ライフル射撃体験付き)、メコンデルタツアー(エレファントフィッシュ昼食付)に参加しました。ホーチミン市内に戻り、夕食は観光客で賑わう繁華街・ブィビェンストリート沿いのレストランで、バーベキューをいただきました。(深夜に帰国)

旅行にかかった費用は、国内宿泊・交通費26,000円、航空券106,000円、現地宿泊費43,500円、現地交通費8,500円、食費12,000円、エンタメ・観光費13,500円、現地ツアー24,500円、お土産代等4,500円、合計237,000円です。

この旅は、半年前からネットやGoogleマップなどの情報をもとに、計画を入念に立てて、さらに煮詰めて実行した旅でしたので、有名な観光ポイントを外すことはなく、フォー、バインミーなどのベトナムB級グルメや、チェ、マンゴープリン、ココナッツジュースなどのスイーツ、サイゴンビール、333ビール、フーダービールなどのビールも口コミで評判の店で楽しむことができて、大変充実した年末年始旅でした。

 質疑応答および座談会では、活発な質疑応答が行われました。

 

開催日時:3月17日(日曜日)20:00から1時間半程度

場所:zoomを利用したオンラインミーティング

テーマ:「ドイツロマンチック街道の旅」と題して、2023.10月にパックツァーでドイツ旅行した方の話をお聞きしました。

行程はこんな感じです。

1日目 16:15中部国際空港発(香港乗継)空路、フランクフルトへ(機中泊)

2日目  6:50フランクフルト着後、ハイデルベルクへ(89㎞/約1時間30分)ハイデルベルク散策(約1時間30分)◎ハイデルベルク城、◎アルテ橋 中世から続く美しい街並みは多くの詩人に讃えられています。ヘッヒンゲンへ(175㎞/約2時間45分)ヘッヒンゲン 昼食は名物のソーセージ料理

午後<美城>標高855mの山頂にそびえ立ち「天空の城」と称される名城、ホーエンツォレルン城入場観光(約1時間)夕刻フュッセンへ(190㎞/約3時間)夜ホテル着 夕食はホテルで (フュッセン泊)

3日目 朝~午前 <美城> ノイシュバンシュタイン城入場観光(城内約45分)「白鳥城」とも呼ばれる華麗で美しい白亜の城に入場観光、昼食はマウルタッシェン(ドイツの水餃子)、ヴィースへ(22km/約30分)ヴィース巡礼教会(約30分)質素な外観からは想像できないロココ様式の華麗な内装、午後 ロマンティック街道の一部をドライブしながらローテンブルクへ(256km/約3時間45分)

夕刻 ローテンブルク散策(約1時間)◎マルクト広場、◎市庁舎、「中世の宝石箱」と呼ばれるかわいらしい街並みを楽しむ 夕食 (ローテンブルク城壁内のホテルに宿泊)

4日目 午前 ローテンブルク散策後 リューデスハイムへ(237㎞/約3時間30分)昼~午後 リューデスハイム、つぐみ横丁散策(約2時間)昼食、約144mの小さな小路に、ワインバーやレストランが並び、昼夜問わず賑わいを見せていることから「世界で一番陽気な小路」と称される「つぐみ横丁」で思い思いの散策を楽しむ、午後 ライン川クルーズ(約1時間30分)ライン川クルーズの起点の街リューデスハイムから乗船、次々に現れる古城や、中世の歴史ある建物や街並みを船上からゆっくり楽しむ

夕刻 フランクフルトへ(94㎞/約1時間30分)フランクフルト散策(約1時間30分)◎レーマー広場

夜 ホテル着、夕食はフランクフルト風シュニッツェル (フランクフルト泊)

5日目 フランクフルト、午前空港へ、12:35フランクフルト発(香港乗継)空路、帰国の途へ(機中泊)

6日目 中部国際空港 15:05着後、解散 という具合です。 

今回の旅のハイライトは、ドイツを縦断する人気の観光街道「ロマンチック街道」です。

東京から大阪までの距離に匹敵する約350kmの街道上には、中世の面影を残す街並みや、アルプスの大自然の中に佇む古城や教会が点在しています。

**その中でもやはり、ノイシュバンシュタイン城の存在は圧倒的でした。**ドイツ現存するお城の中で最も美しいと称される城です。ガイドさんが「狂王」の異名で知られるルートヴィヒ2世の物語を話してくれましたが、それもとても興味深いものでした。また、「奇跡の教会」と呼ばれるヴィースの巡礼教会の内装の豪華さに目を見張りました。

ドイツで最もドイツらしい景観が楽しめるという評判があるローテンブルクでは、ヨーロッパでもっとも美しい街角と評される「プレーンライン」のすぐそばのホテルに宿泊しましたが、中世にタイムスリップしたような不思議な感覚に襲われました。

フランクフルトではデパートでショッピングしましたが、トイレを利用するのに1ユーロ取られて、さすが日本を抜いてGDP世界第3位になったドイツだなぁ、と感心しました。

今回の旅行は、ドイツ国内滞在3日間と短い旅でしたが、久しぶりのヨーロッパでドイツグルメを味わいながら、風光明媚なドイツの紅葉の中、中世の古城や街歩きを楽しむことができて、とてもハッピーな旅になりました。

質疑応答および座談会では、活発な質疑応答が行われました。

 

開催日:2024年2月3日(土曜日)

場所:アイセル21 4F  

「コーカサスの旅(アゼルバイジャン・ジョージア (旧グルジア)・アルメニア、そして今は亡き未承認国家ナガルノ・カラバフ」 

 

開催日:2024年1月21日(日曜日)

場所:zoomを利用したオンラインミーティング

「オーストリア在住の娘に会いに行ってきました!!」と題して、オーストリア在住の娘に旅仲間とともに会いに行ったついでに、チェスキークロムノフ、リンツ、ハルシュタット、ザンクトボルフガング、ザルツブルグなどをレンタカーを借りて観光した方の話をお聞きしました。

仲間とリンツで合流する前に、世界で一番美しい街と評されるチェコの世界遺産の街・チェスキークロムノフを訪れました。そこはおとぎの国のような世界で、町全体が中世時代から時の流れが止まったような印象を受けました。第一級の観光地だけあって、所狭しと土産物店が軒を連ねていました。

リンツで旅仲間3名と合流し、空港でレンタカーを借りて、オーストリア屈指の観光地であるザルツカンマーグート地方にある世界遺産の街・ハルシュタットへ向かいました。高齢者のための保険料が高くなるとのことで、割増料金を支払わなければなりませんでした。

ハルシュタットの「ハル」は塩を、「シュタット」は場所を意味するようです。ここは先史時代から豊富な岩塩の採掘で繁栄してきた町だそうで、さっそく「ハルシュタット岩塩坑」を見学しました。上下繋がった「つなぎ」の作業服を私服の上から着て、地下通路へと進み、途中で長い木製の滑り台を一気に滑り降りて移動するのはとても楽しい経験でした。

ボルフガング湖畔の美しい町ザンクトボルフガングは、有名な映画「サウンド・オブ・ミュージック」の舞台になった場所です(この映画はなぜかオーストリア人にはそれほど知られていないようです)。ここに聳えるシャーフベルク山の頂上まで、40分ほどかけてシャーフベルク登山鉄道で登りました。頂上の展望台に着くと、その絶景の素晴らしさに息を呑みました。

ザルツブルクも世界遺産の街でモーツァルトの生誕地であり、毎年7〜8月に開催されるザルツブルク音楽祭で有名です。ここも観光してから、リンツに戻りました。リンツは娘が住んでいる場所で、ドナウ川(川の水の色はあまり綺麗ではありません)に面しています。

オーストリアの物価が高く、ガソリン代はリッター272円もします。トイレも有料で0.5ユーロか1ユーロかかります。ホテルも1万円台で泊まるのは難しいため、アパートメントにしました。でも、この旅は最愛の娘に会えただけでなく、気心知れた旅仲間と共に回れたので、コストパフォーマンスがかなり高い、幸福な旅でした。

質疑応答および座談会では、活発な質疑応答が行われました。

 

開催日:2024年1月14日(日曜日)

場所:zoomを利用したオンラインミーティング

テーマ:「韓国人ツーリストの日本旅行、北海道から関西への2週間旅」と題して、韓国人の若い女性の日本海外旅行体験の話をお聞きしました。 

1、2日目 ソウルからチェジュ航空で札幌へ、今回の日本国内の移動では、外国人だけが利用できる全国鉄道乗り放題のジャパン・レール・パス(当時3万円で購入)を利用しました。時計台、大通り公園などを観光しながら、寿司、蟹、コーンバター味噌ラーメン、ジンギスカン鍋、夕張メロンなどの北海道グルメを堪能しました。ラッキーにも花火大会が開催され、観賞することができました。

3日目 は1日ツアー(5,500円)を利用して美瑛、富良野へ。ラベンダーで有名なファーム富田、チーズ工房、パッチワークの路、ニングルテラス、青い池などの定番スポットを巡りました。

4、5日目 は函館へ。観光旅行客用の1日乗車券を利用して、赤レンガ倉庫、元町、八幡坂などの観光ポイントへ。そして、海鮮丼、ラッキーピエロのチャイニーズバーガーなどのグルメに舌鼓を打ちました。夕方には、ロープウェーで有名な函館山からの夜景を見に行きましたが、霧で見られず、涙! 生で食べられる甘いトウモロコシを食べて慰められました。

6日目 函館から新幹線で東京・横浜へ。世界最長の海底トンネル・青函トンネルを通ることを楽しみにしていましたが、うかつにも寝てしまい、寝ている間に通過してしまいました。横浜では、赤レンガ倉庫、中華街などを観光し、ホテルの窓からここでも花火を見ることができました。

7日目 鎌倉へ。鎌倉は私が「スラムダンク」の漫画のファンであるため、行ってみたかった場所でした。江ノ電に乗車し、小町通りでしらす丼を食べ、江の島へ足を延ばして、両親への土産のため、玉屋でようかんを購入しました。

8、9日目 は静岡、浜松へ。お茶ミュージアム、駿府城、静岡市歴史博物館、日本平夢テラス、久能山東照宮、三保の松原、ちびまる子ちゃんランド、KADODE OOIGAWA、浜松市楽器博物館を静岡の友人に案内してもらいました。1時間待ってさわやかでハンバーグを食べ、ななやのジェラートで渇きを潤し、回転ずしの新鮮な寿司やうな丼なども美味しかったです。

10~14日目 浜松から新幹線で大阪へ。大阪、京都、神戸を周遊できる阪急ツーリストパス(外国人専用500円)を購入して巡りました。ここでも日本人の友人に串カツ食べホーダイ、居酒屋、ファミレスなどに連れて行ってもらいました。まさか、関西でも花火を観賞できるとは思いませんでした。 京都では、着物をガラクタ市で購入したり、恵文社書店を覗いたり、レトロな喫茶店でのんびりお茶したり、鴨川納涼祭りに参加して舞妓さんにうっとりしたりしました。 神戸では今までの疲れがどっと出て、北野異人館街ぐらいしか回れませんでした。でも、あっちち本舗のたこ焼きを食べて元気を取り戻しました。 今回の2週間の日本旅行は、とても暑い中での旅でしたが、思い出に残る満足感あふれる旅でもありました。

質疑応答および座談会では、活発な質疑応答が行われました。

 

開催日:2023年12月17日(日曜日)

場所:zoomを利用したオンラインミーティング

「オンライン懇親会」

各自の近況、旅行報告、旅行予定など・・・様々な話題で懇談することができました。

 

開催日時:12月3日(日曜日)20:00から1時間半程度

場所:zoomを利用したオンラインミーティング

テーマ:「韓国、ソウル・釜山を旅して」と題して、35回も韓国旅行しているリピーターの方に今年5月に行った韓国の旅の話をお聞きしました。

静岡空港からソウル経由で韓国第二の都市釜山へ、釜山は韓国の海の玄関口です。

国際映画祭の町としても知られています。釜山では景勝地・太宗台、五六島、韓国で2番目に高い100階建て384M「BUSAN X the SKY」、海雲台のブルーラインパーク、朝鮮戦争時の避難民の家が多くある韓国のマチュピチュと言われる「甘川文化村」、韓国一の規模を誇る海産物市場「チャガルチ市場」、美味しい「シアホットク」が食べられる「BIFF広場」、釜山定番観光スポット「龍頭山公園」、映画の街「釜山映画体験博物館」などを観光しました。

ソウルに戻り、オリジナル弁当作りが楽しい「通仁広場」、国立劇場舞踊団の野外公演がよかった青瓦台、景福宮近くの「三清洞」、会食が楽しかったサムゲタンの名店「土俗村」、ランタンイルミネーション「光化門広場」、ソウル江南「アックジョンロデオ通」、キアモーターのショールーム「KIA360」、ハイテクモダンな未来のバス停、ソウル龍山「戦争記念館」、BTSで有名な「HYBE」、若者に人気の「聖水洞」カフェ、都市型公園「ソウルの森」、世宗大王の誕生日コンサート&パーティー、2021年2月にオープンした「THE HYUNDAI SEOUL」、サムスンとLGのショールーム、ソウル汝矣島、ソウル江南「Coex」、明洞、ソウル歴史博物館、HYUNDAIショールームなどを巡りました。

コロナ禍のため、久しぶりに訪れた韓国でしたが、さらにモダン化した韓国の2大近代都市を目の当たりにし、新しい発見と驚きを覚えました。

ホットク、ミルチョン、サムゲタン、チヂミ、トンインシジャンのお弁当などのご当地料理を堪能するなど、とても満足感あふれる旅でもありました。

質疑応答および座談会では、活発な質疑応答が行われました。

 

開催日時:11月19日(日曜日)20:00から1時間半程度

場所:zoomを利用したオンラインミーティング

テーマ:「スペイン、ア・コルーニャの旅」と題して、世界一周クルーズ中にスペイン北部の港町、ア・コルーニャを旅した方のお話をお聞きしました。

ア・コルーニャは、スペイン北西部ガリシア地方の県都で、大西洋に面しています。ローマ時代から港町として栄えてきました。イギリスやオランダからのサンティアゴ・デ・コンポステーラへの巡礼者もこの港を利用してきたとみられます。

船が入港すると、「ヘラクレスの塔」が出迎えてくれます。この塔は、西暦2世紀に建てられた世界遺産です。また、ア・コルーニャ湾に突き出た小島のような場所に16世紀に建てられた要塞「サン・アントン城」も港のすぐ近くに見ることができます。

この港は、1588年のアルマダの海戦でイギリスと戦った無敵艦隊の最後の寄港地として有名で、この戦い以降、スペインは大西洋における覇権を失い、没落していくことになります。

下船して海辺の遊歩道を歩いていると、ガラス張りの建物が異様に多いことに気がつきます。ア・コルーニャは「ガラスの街」とも呼ばれているようです。スペインでは、2、3階が張り出している建物が多いです。

市庁舎があるマリア・ピタ広場に着きました。この広場は、マリア・ピタ市長の功績を記念して名づけられました。マリア・ピタは、1588年のアルマダの海戦で夫を失った女性市長です。海戦後、イギリス軍がこの町を攻めてきたとき、夫の敵討ちとばかり、先頭に立って侵略に対抗し、イギリス軍を撃退したことで有名です。この女性市長は、その後3回結婚・離婚を繰り返したそうです。

考古学博物館で昔の武具などの展示を見たり、サンティアゴ教会(ここには、珍しく身ごもったマリア像があります)に行ったりしました。

お腹が空いたので、バルで食事をしようとしたのですが、メニューがスペイン語だけで、店員も英語が通じなかったので、仕方なく店を出て、スーパーマーケットで生ハムなどを買って船に帰って食べました。とても美味しかったです。

ア・コルーニャの街は、日本では知られていないため、あまり期待していなかったのですが、歴史的に重要な働きをしてきた街であることがわかると、俄然興味がわき、とても美しい雰囲気のある港街でもあったので、意外といい旅になりました。

質疑応答および座談会では、活発な質疑応答が行われました。

 

開催日時:11月12日(日曜日)20:00から1時間半程度

場所:zoomを利用したオンラインミーティング

「アフリカの西の端へ」というテーマでセネガル、カーボベルデなど・・・アフリカの西端の国々を旅した方の話をお聞きしました。

行きは東京→ロンドン→リスボン→ダカール・サン=ルイ(セネガル)→カーボベルデ

帰りはカーボベルデ→セネガル→リスボン→ヘルシンキ→東京 というルートで旅しました。

ダカール(パリダカのゴール都市)では北朝鮮が作成したアフリカルネッサンス像、アフリカンアートが展示してある博物館、市場、カトリック教会、ダカール駅舎、モスクなどを観光しました。

サン=ルイへ、ルノーのライトバンで行きました。3時間の予定でしたが、途中でタイヤパンク修理のため6時間かかってしまいました。

サン=ルイ島は奴隷貿易の拠点として栄えた街で世界遺産の街です。

オテル ドゥ ラ ポステは有名なフランスの作家サン=テクジュベリが『星の王子さま』を執筆した場所としても有名です。異国情緒漂う街歩きを楽しみました。

ダカール沖の島、ゴレ島へ、ここは奴隷の積出港があったところで、ここも世界遺産に指定されていて、オバマ元大統領も訪れたとか。ネコが多かったです。

カーボベルデの首都プライアへ、セネガルは元フランス領ですが、ここは元ポルトガル領です。

大統領府、教会堂、バスコダガマの像、市場などを廻りました。

帰路はリスボンに立ち寄り、ベレンの塔や発見のモニュメントなどの観光スポットを訪れました。

この旅は昼は目一杯観光地を巡り、夜は音楽ライブに行ったりして、また、食事も揚げ春巻き、魚料理、バゲット、チュブジュン、ツナステーキ、エッグタルトなどの様々なご当地料理に舌鼓を打つなど、とても充実した旅となりました。

質疑応答および座談会では、活発な質疑応答が行われました。

 

開催日:2023年10月22日(日曜日)

場所:zoomを利用したオンラインミーティング

「オンライン懇親会」

各自の近況、旅行報告、最近の海外旅行事情など・・・様々な話題で懇談することができました。

 

開催日時:2023年10月1日(日曜日)

場所:zoomを利用したオンラインミーティング

テーマ:「タイ・バンコク周辺観光をご紹介します!! 今後、個人旅行をされる方、リーピートされる方へ、ツアーより行動的に楽しめるバンコクの基本情報をプレゼンします!! 」 と題して、タイ・バンコク観光に役立つ情報を提供いただきました。

タイ・バンコクへは飛行機で6~7時間(バンコクはスワンナブームとドンムアン空港がある)で旅行しやすい場所です。

タイ・バンコク観光の注意点として

人込みでのスリ、単純な詐欺には注意すること

●8時、18時に国家斉唱があるので場所によっては立ち止まる必要があること

電子タバコは持ち込み禁止、お酒の販売は規制時間があること

国王の評価の話はしないこと

電車などの座席についてお坊さんを最優先すること                があります。

交通事情ですが、バンコク中心部は慢性的な交通渋滞のため、交通機関の選択が重要で、MRT、BTS、路線バス、ソンテゥ、モーターサイ、トゥクトゥク、水上バス、タクシー、Grabなどの多様な交通機関をうまく乗りこなすといいようです。

ただ、Grabは郊外には車がいないので、郊外から中心地への移動に使うのには注意が必要だとか。

オススメ観光スポットは

バンコク東部 ピンクのガネーシャ、スアン運河

バンコク西部 ワット・パークナム、ワットサームプラーン

バンコク南部 エラワン博物館、マハナコンタワー、ワットプラシーマハーウマーテウィー

バンコク北部 クレット島、チャトゥチャック市場                 だそうです。                                            

トムヤンクン、プーパッポンカレー、カオマンガイ、カオソイ、ダックライスなどのタイフードが美味しい店やガラス細工、ヤードムなどの土産物情報も紹介してもらいました。

質疑応答および座談会では、活発な質疑応答が行われました。

 

開催日:2023年9月10日(日曜日)

場所:zoomを利用したオンラインミーティング

「オンライン懇親会」

各自の近況、旅行報告、今後の海外旅行の計画など・・・様々な話題で懇談することができました。

 

開催日:2023年9月3日(日曜日)

場所:zoomを利用したオンラインミーティング

「映画 冒険者たち の最後の舞台となった港町ラ・ロシェルとパリのお墓と美術館巡りの旅」と題して、今年の8月にフランス旅行した方の話をお聞きしました。

ハノイ経由ベトナム航空でパリに到着しました。そこからTGVで約3時間、大西洋を臨むフランス南西部の港町ラ・ロシェルへ、この町はアラン・ドロン、リノ・ヴァンチュラ主演の映画「冒険者たち」の最後の舞台になったところで、この映画は女優ジョアンナ・シムカスの代表作でもあり、私は高校時代この女優の大ファンでした。遊覧船に乗船し、ボイヤール要塞島を廻ります。途中で警察の麻薬取締りのチェックを受けました。

パリに戻るチケット購入するため、自販機で悪戦苦闘していたところ、近くでその様子を見ていた一人のフランス人紳士の方が、パリまでのチケット(71ユーロ)を購入してプレゼントしてくれました。こんな親切を受ける経験は初めてでした。

パリではピカソ美術館やオルセー美術館などを見学しました。

アルルの女、落ち穂拾い、草上の昼食、バレエ教室、ローヌ川の星月夜などの名画が出迎えてくれました。

モンパルナス墓地へ、ジーン・セバーグ、ジェーン・バーキン、アンナ・カリーナなどの墓をお参りしました。

この夏のパリ旅行は、TGVが1時間遅れてイライラしたり、ベトナム航空も遅れ、トラッジットでヒヤヒヤしたりしたという不快なこともありましたが、親切なフランス人紳士に出会えたり、久しぶりにお気に入りのパリの街を歩くことが出来て、とても楽しい旅行になりました。

質疑応答および座談会では、活発な質疑応答が行われました。

 

開催日:2023年8月21日(日曜日)

場所:zoomを利用したオンラインミーティング

「魅惑のコート・ダジュール、夏のバカンス」 と題して、8月のお盆休みのバカンス時期にコート・ダジュール地域を訪れた方の話をお聞きしました。

コート・ダ・ジュールとは紺碧海岸の意味で、明るい陽光が降り注ぐ紺碧の地中海の海岸沿いに、ニース、カンヌ、モナコなどの高級リゾートが点在していて、優雅な雰囲気に満ちているバカンスエリアです。夏にはバカンス客で溢れかえっています。「バカンス大国」として知られるフランスは最低5週間の有休が保障され、そのうち2週間は必ず連続して夏に取得できるよう定められています。

空港に到着しビーチ沿いのホテルにチェックインを済ませると、早速 ニース観光へ、アルベール1世庭園、マセナ広場(ギャラリー・ラファイエットという大型の百貨店があり、ここから、高級ブランド通り、ショップやレストランが集まる地区、歩行者天国、プロムナードデザングレ、旧市街などへアクセスできるニースの中心地)、旧市街散策、プロムナードデザングレ(総距離7kmにもなる海岸沿いの遊歩道、高級ホテルやカジノ、カフェやレストランが軒を連ねている)、ビーチで膝下だけ海水浴、ニース城跡公園(ここからニースのガイドブックなどによくある景観を一望できる)、という行程で観光しました。

ニースのビーチは砂浜ではなく小石の海岸で、歩くときちょっと痛いのですが、慣れると砂が衣服などにまとわりつくこともなく、むしろ快適です。

ニースからウーバータクシーでエズ村へ、エズ村は海から垂直に切り立つ崖の上(海抜420m)にあり、城があったところが熱帯植物園になっていて、そこからとても美しい地中海を望む景色を見ることができます。

ウーバータクシーでモナコへ、モナコはモナコ大公シャルル3世が領土の95%をフランスに売却したお金を使って貴族、王族にふさわしい宮殿のようなカジノや豪華なホテルを次々に建設し、世界各国から裕福なセレブを呼び寄せることによって莫大な収益を得、大成功を収めたバチカン市国に次いで世界で2番目に小さな国です。カジノ・ド・モンテカルロやHotel de Paris、ヨットハーバー、市街などを見学・散策し、モナコ駅から鉄道でニースへ戻り、夜遅くまでエンジョイしました。いつもと違う優雅な夏のバカンスを堪能できた旅でした。

質疑応答および座談会では、活発な質疑応答が行われました。

 

開催日:2023年8月6日(日曜日)

場所:zoomを利用したオンラインミーティング

「オンライン懇親会」

各自の近況、訪日観光客の動向の話題、今後の海外旅行の計画など・・・様々な話題で懇談することができました。

 

開催日:2023年7月9日(日曜日)

場所:zoomを利用したオンラインミーティング

「フィリピン、ダバオ・マニラを旅して」と題して、今年、フィリピン・ミンダナオ島のダバオ、ルソン島のマニラを7泊8日で旅行した方の話をお聞きしました。

早朝の羽田発だったので、深夜、静岡からディズニーランド行きバスでYCAT、そこから羽田空港へ、

マニラ到着後、国内線でミンダナオ島・ダバオへ、マニラは4つターミナルがあるので移動に苦労しました。

ダバオでは、博物館、サンペドロチャーチ、前大統領ドゥテルテの私邸、シティホール、チャイナタウン、ジャパニーズトンネル、クロコダイルパーク、バタフライパーク、D 'Boneコレクター博物館、ダバオミュージアム、フィリピンイーグルセンター、ロハスナイトマーケットなどを巡りました。

マニラへは2時間の移動です。

マニラではイントラモロス地区のカサ・ミラミュージアム、サン・オーガスチン教会、マニラ教会、ゴールデンモスク、チャイナタウン、マラカニアン宮殿、都会の中のオアシスのようなショッピングモール・グリーベルト、アヤラミュージアム、国立美術館などを廻ってMRTでホテルへ戻りました。

ほかにも静岡とフィリピンの二拠点生活をされている方と会食を楽しんだり、豪華な統合型リゾートとカジノの複合施設・シティオブドリームズ、高級カジノホテル・IR施設・オカダなどに行ったり、アジア最大級のショッピングモール、モール・オブ・アジアでマニラ湾に沈む夕日を見ながら旅情にふけったりして、フィリピンの休日は過ぎていきました。

ホテル隣のオープントップレストランで頂いた料理、庶民が愛するジョリビーレストランのフライドチキンライス、カレカレ、シシグなどのフィリピン料理、フィリピンの代表的スィーツ・ハロハロ、果物の王様・ドリアン、サンミゲルビールなどのグルメも充分、堪能した忘れられない旅となりました。

質疑応答および座談会では、別の会員からご自身のフィリピン旅のプレゼンもやっていただいたり、静岡とフィリピンの二拠点生活をされている方に質疑応答に加わっていただきいたりして、活発な交流が行われました。

 

開催日:2023年7月2日(日曜日)

場所:zoomを利用したオンラインミーティング

「オンライン懇親会」

各自の近況、クレジットカードの不正利用の話題、今後の海外旅行の計画など・・・様々な話題で懇談することができました。

 

開催日:2023年6月25日(日曜日)

場所:zoomを利用したオンラインミーティング

「中国・厦門の旅」と題して、2019年に中国・厦門(アモイ)を旅行した方の話をお聞きしました。

厦門は人口180万人、中国5大経済特区の一つで、中国第3の港を有する福建省南部の都市です。

建設ラッシュに沸いていました。

歴史を紐解くと、アヘン戦争でイギリスに占拠され、南京条約で開港に至ったようです。

コロンス島にはイギリスをはじめとした各国の共同租界が設置され、各国の領事館、商館が建てられました。

第二次大戦中は日本海軍が占領していました。

戦後は台湾資本を集めて経済発展し、華僑の出身地として、現在も東南アジア各国と交流がさかんに行われ、中国人の憧れの観光地にもなっています。

厦門では、南普陀寺、華僑博物館、中山路、アモイ大学などを廻りました。

その後、コロンス島へフェリーで渡り(中国人と外国人は乗り場が違い、チケットも外国人の方が高い)、ピアノ博物館、各国の領事館跡、カトリック教会、台湾の英雄・鄭成功が日本の日光にも劣らない岩だと言ったことで有名になった日光岩、風琴博物館などを観光しました。

アモイは、タクシー代などの交通費、食費も安く(ご飯に水餃子などのおかずがついた食事が一食100円程)、中国語が解らず、筆談でコミュニケーションを取ったりしたこともありましたが、治安も比較的良く、各国の共同租界があっただけあって欧風建築が多く、小綺麗で魅力的な街でした。 

質疑応答および座談会では、活発な質疑応答が行われました。

 

開催日:2023年6月18日(日曜日)

場所:zoomを利用したオンラインミーティング

「オンライン懇親会」

各自の近況、今後の海外旅行の計画など・・・様々な話題で懇談することができました。

 

開催日:2023年6月4日(日曜日)

場所:zoomを利用したオンラインミーティング

「気軽に行ける台北B級グルメと近郊の旅」と題して、GWに行った台北・台北近郊のホットな情報をお伝えいただきました。

GWに安近短海外旅行の代表格、台北へ旅行しました。

台北市内の松山空港に着陸し、1泊25,000円もするリビエラホテルに投宿しました。

初日は台北近郊の昭和を感じさせる街、十分へ電車で行きました。ここは天燈上げで有名な場所で、私も大きな紙袋状の天燈に商売繁盛、家内安全などの願い事を書いて打ち上げました。

その様子を業者の方が写真・ビデオ撮影してくれます。楽しいひと時でした。

その後、私の好きな台湾映画「非情城市」の舞台となった九份へバスで行きました。九份の高台へ上る石段がきつく、重いリュックを背負っていたので、とても疲れてしまいました。

翌日からは疲れをいやすべく、北投温泉で温泉に入ったり、故宮博物院を見学したり、ディンタイフォンで小籠包に舌鼓を打ったり、ホテル近くの夜市を巡ったり、B級グルメ店をはしごしたりして過ごしました。

台湾のベニスとも称されるキールンへも足を延ばし、色とりどりのペンキで塗られた入江際の建物群を眺めながら旅情に浸りました。

以前、台湾を訪れた時に比べて物価が2倍~2.5倍になっていてびっくりしましたが、欧米に比べれば、まだまだ物価が安く、親日で、食事が美味しい台湾は気軽に行ける旅先としては抜群の場所だと思いました。

質疑応答および座談会では、活発な質疑応答が行われました。

 

開催日:2023年5月28日(日曜日)

場所:zoomを利用したオンラインミーティング

「インドネシア・バリ島周辺観光・ジャワ島のイジェン火山観光をご紹介します。」と題して、GWに行ったバリ島内、ペニダ島、ジャワ島のイジェン火山・ブルーファイアー観光など、ホットな情報を詳細にお伝えいただきました。

GWにチャイナエアラインを利用し、台北経由でインドネシア・バリ島へ旅行しました。予約した当時はオイルサーチャージが高かったのでエア代が往復一人221,360円もしました。

ホテルは落ち着いた雰囲気のサヌール地区のアートテル・サヌールと賑やかなクタ地区にあるハードロックホテルに投宿しました。

滞在中の観光では現地ツァーを利用しました。(バリ島プライベート観光、ペニダ島フォトジェニックツァー、ケチャダンス、イジェン火山・ブルーファイアー観光)

バリ島プライベート観光では、高額なガイド料やレンタル料を要求するなど評判の良くない観光箇所は避けて、ゴアガジャ、キンタマーニ高原と温泉、沐浴場が人気のティルタエンブル、ブラタン湖・ウルンダヌンブラタン寺院、タマンアユン寺院、デガラランの棚田などの観光スポットを巡りました。

ペニダ島フォトジェニックツァーではバリ島から高速ボートで45分、ペニダ島のシュノーケリングポイントでシュノーケリングを楽しみ、水中撮影可のデジカメで、さながら竜宮城のような感動の光景を撮りまくりました。ウルワツ寺院のケチャダンスではダンスの妖艶さも相まって、観客は幻想的な物語の世界に引き込まれていきます。圧巻なパフォーマンスを存分に堪能させていただきました。いよいよ、今回の旅のメイン、イジェン火山・ブルーファイアー観光ですが、トリップアドバイザーから予約したツァーのピックアップ係員が、約束の時間をかなり過ぎても、姿を見せず(どうもそのツァー会社が倒産したらしい?)、「どうする家康、どうしたもんか!?」と悩んでいたら、たまたま出くわした日本語が少々出来るタクシー運転手と交渉して、イジェン火山観光を決行することにしました。

トラブルを乗り越えて、やっと到着したイジェン火山でしたが、2023年から火山活動が活発になったため、深夜の登山・ブルーファイアー観光は中止しているとのこと。肝心のブルーファイアーを見ることが出来ず、単なる火山観光に終わってしまって、とてもブルーな気分になりました。

気持ちも財布の中身も燃え尽きた、インドネシアがっかり旅でしたが、今、思い起こしてみると、数々のエキサイティングな体験と旅の楽しさを充分味わえたいい旅だったと思います。

質疑応答および座談会では、活発な質疑応答が行われました。

 

開催日:2023年5月21日(日曜日)

「しばらく行けないロシアの美術館」と題して、ロシア・ウクライナ戦争開戦前に参加されたモスクワ、サンクトペテルブルグの名画の宝庫「エルミタージュ美術館」などをめぐるツァーの話をお聞きしました。

1986年に「ロシアの冬と芸術祭・周遊の旅11日館338,000円」というツァーに参加し、モスクワ、レニングラード(現在のサンクトペテルブルグ)を訪れましたが、2019年も当時を回想して、再びモスクワ、サンクトペテルブルグを旅行しました。

サンクトペテルブルグには世界3大美術館の1つ「エルミタージュ美術館」があります。絢爛豪華な建物自体が世界遺産になっていて、入場者がいつも長蛇の列になる、人気の美術館です。大使の階段、祖国戦争の画廊、レンブラントのダナエ、フランシスコ・デ・ゴヤのアントニア・サテラの肖像、ぜんまい仕掛けで動く黄金の孔雀時計、ダヴィンチのリッタの聖母・ブノアの聖母 、ルノワールのジャンヌ・サマリーの立像、ゴーギャンの果実を持つ女、旧参謀本部などの見どころを見学しました。

近くの国立ロシア美術館にも行って、第九の怒涛などのロシア人画家の名作を鑑賞しました。

エカテリーナ宮殿も訪れてみました。ここは江戸後期にロシアに漂流して帰国したことで有名な大黒屋光太夫が女帝エカテリーナ二世に謁見した所です。

モスクワへ移動し、赤の広場へ、ワシリー大聖堂、クレムリン内の地下の武器庫などを見学しましたが、武器庫の警備は厳重でA4サイズのバッグしか持ち込めません。コートなどの荷物は預けなければならず、10から15人のグループ毎に1人の監視がついて廻ります。もちろん写真撮影はNGです。しかし、当時の馬車、甲冑、世界最大のダイヤモンドなどの宝飾品はどれも素晴らしいものでした。

世界最大の鐘、地下鉄、ロシア最初のデパート・グム百貨店などの観光スポットへ行ってみました。

三月のまだ寒い時期の旅行でしたが、世界最高級の美しい美術品を目の当たりにすると昔の懐かしい思い出とともに、新たな感動もあり、心がふっと沸き立つ旅でした。

質疑応答および座談会では、活発な質疑応答が行われました。

 

開催日:2023年5月14日(日曜日)

場所:zoomを利用したオンラインミーティング

「オンライン懇親会」

各自の近況、今後の海外旅行の計画など・・・様々な話題で懇談することができました。

 

開催日:2023年4月16日(日曜日)

場所:zoomを利用したオンラインミーティング

「南インド・ムンバイからアウランガバ-ド石窟寺院群見学」と題して、2006年にインド・ムンバイ・アウランガーバード郊外石窟寺院群からコチン、デリー、アグラ・タージマハール、ガンジス川上流まで旅した方の話をお聞きしました。

南部インドとデリー周辺・北部インドはそれぞれまるで違う国のようでした。

ムンバイではホテルシャトーウインザーに宿泊しましたが(1泊3千円ほど)、窓もなく、エレベターは手でドアを開ける工事現場にあるようなもので、酷いものでした。ムンバイでは世界有数のホテルと言われるタージマハールホテルでお茶を飲んだり、1911年に建立されたインド門、ムンバイ駅などを観光しました。

インド・ムンバイの東にあるアウランガーバード郊外に世界的に有名な石窟群があります。ムンバイから空路で40分、アウランガーバードに到着、ホテル・クラシックに投宿し、観光ツァー(2泊3日のホテル代、空港送迎、日本語ガイド、チャーター車代、入場料など2名分で28,000円ほど)を申し込みました。

1819年に英国軍士官によって偶然発見された、前期紀元前2世紀~紀元後2世紀)と後期(5世紀中頃~7世紀)に分けて造られたアジャンタ石窟群や、5世紀から10世紀の間、500年もかけて造られた仏教、ヒンドゥー教、ジャイナ教の石窟寺院などから構成されているエローラ石窟寺院群を巡ります。

岩盤をくり抜いて造った大伽藍、壁一面に彫られた彫刻は、ただただ凄いとしかいいようのない壮大なものでした。

僧の居住区は4層になっており、静謐な空間で、尼僧が静かな祈りをささげていました。

他にも、12世紀のイスラム王朝時代の首都ダウダラバードの砦、ミニタージマハルと呼ばれるビービー・カー・マクバラーなども観光しました。

観光している間、カメラを取り出すと地元の人たちが寄ってきて一緒に写りたがるので、ともに記念写真を撮ったりして、交流を楽しみました。

アウランガーバードを後にして、この旅の主要な目的であるコチンにいる現地人の知り合いと再会を果たし、3泊ほど泊めていただき、家庭料理をご馳走になりました。

その後、デリーへ、日本の上野アメ横のような場所にあるバハールガンジというホテルに滞在し、北インドのアグラ城、タージマハルやニューデリーのインディラ・ガンジー記念博物館、ガンジス川沿いの聖地「ハルドワール」(ここでは修験者らしき男に悪魔がついていると付きまとわれた)をツァーで廻りました。

旅を楽しむには自然景観に触れる、歴史的・芸術的風土に触れるなどいろいろありますが、その土地の人と触れ合うのもまた楽しいことです。人との触れ合いの機会は、欧米よりアジアのほうが多いようです。この旅も知り合いとの再会だけでなく、チップの要求がウザイと思うこと、しばしばでしたが、ガイドや運転手、記念写真をともに撮った大勢の人など、多くの触れ合いがあった心温まる旅でした。

質疑応答および座談会では、活発な質疑応答が行われました。

 

開催日:2023年4月9日(日曜日)

場所:zoomを利用したオンラインミーティング

「北欧3ヶ国を旅する」と題して、今年の年末年始にスウェーデン、ノルウェー、フィンランドの北欧3ヶ国に加え、エストニアの首都・タリンを旅した方の話をお聞きしました。

羽田から余ったマイルを利用してJAL、フィンエァーで(クリスマスでクルーもサンタの赤い帽子を被っていました)スウェーデン・ストックホルムに到着、Skansen野外博物館、アバ・ザ・ミュージアム、ストックホルム・ノルディック博物館、ガムラスタンにある「王宮」、ストックホルム大聖堂、クリスマスマーケット、ノーベル賞博物館、写真美術館、バイキング博物館などを廻り、電車で2,30分郊外の世界遺産スコーグスシリコゴーデン(グレタガルボの墓がある)へも足を延ばしました。競馬に興じたり、夜はジャズライブでフィーバーしたりしました。

次の国ノルウェーへ向けて国際列車で出発。満席でクシェット車が確保できなかかったため、2等座席になったり、ふぶきで1時間遅れたりするなどのアクシュデントはあったものの、窓の外に広がるラップランドのモノトーンの夜景を見ながら、旅情に浸りつつ、キルナ経由でノルウェーのナルビクへ、そしてさらに北の都市、極夜のトロムソへ移動し1泊しました。

悪天候のため、オーロラ観賞は断念、翌日、飛行機でオスロ、そしてフィンランド・ヘルシンキへ、ここではユースホステルに投宿し、観光しました。

フェリーに乗ってスオメンリンナの要塞群へ行ったり、ヘルシンキ大聖堂、ウスペンスキー寺院などの観光名所を巡ったり、またフィンランド料理店「SAVOTTA」で80ユーロのサーモン、ジャガイモ料理に舌鼓を打ったりしました。

さらにフェリーで2時間かけてエストニアの首都・タリンへ、あたかもタイムマシンで中世の街へ舞い戻ったようで、赤茶色の屋根で統一された美しい古都の街歩きを楽しみました。

ヘルシンキへ戻り、ムーミン博物館 レーニン博物館、岩の教会、デザイン博物館などを観光、クリスマス直後のバーゲンでマリメッコの洋服を2着、購入したり、カフェ「EROMANGA」で食事をいただいたりしながら、北欧の旅は終幕を迎えました。

帰国便の機内食でトナカイの燻製肉が出たのにはびっくりしました。

この年末年始の北欧旅は、午後3時半になると街が真っ暗になる、クリスマスで店が休み、など、観光が制限されたり、高福祉社会で物価も高く、食事は美味しくないなどのマイナスポイントはあったものの、雄大な自然と洗練されたハイクオリティデザインの都会が見事にミックスし、また IT先進国、キャシュレス社会の現代の北欧を体験することができた貴重な旅でした。

質疑応答および座談会では、活発な質疑応答が行われました。

 

開催日:2023年3月26日(日曜日)

場所:zoomを利用したオンラインミーティング

「マイアミとカリブ海の島々!!魅惑のロイヤルカリビアンクルーズの旅」 コロナ前にロイヤルカリビアン社の巨大豪華クルーズ船により、カリブ海の島々のクルーズと今、WBCで話題のマイアミの観光地をご夫婦で楽しんだ方の話をお聞きしました。

マイアミは中南米やカリブ海への玄関口として、また、アメリカで避寒地として最も人気のあるリゾートエリアとして知られる世界的に有名な観光都市です。

初日はマイアミ・ビーチ近くのホテルに投宿し、ビーチや海岸沿いのネオンがまぶしい通り「Ocean Drive」を散歩しながら、適当にレストランを見つけて夕食をとりました。

次の日からは、この旅の本命!!カリブ海の島々を巡るロイヤルカリビアンクルーズです。

マイアミ→ココケイ→ナッソー→マイアミと3泊4日の旅程です。

巨大客船ナビゲーター・オブ・ザ・シーズ(139,999トン、乗客定員:3386人、乗組員数:1200人、全長:310m、全幅:48m、就航年:2002年12月、改装年:2019年2月)に乗船して夕方マイアミからクルーズに出発しました。船室はジュニアスィートで、料金は二人で200,000円位(船上割引 $76.00、寄港地観光、アルコール等飲み放題ドリンクパッケージ、マイタイムダイ二ングの予約、スペシャリティレストランの予約、Wifi使用料、Spa & Fittness、ショー・イベント見放題等込み)です。

豪華なレストランで美味しいアラカルトのディナーをいただき、アイススケートやミュージックバンドのショーを観たり、プロムナードで開催されていたポップミュージックとダンスに大勢の陽気な乗客とともに興じなから初日の夜が更けていきました。

翌日、朝バハマのココケイに到着しました。この島はロイヤルカリビアン社専用のプライベートアイランドで民族舞踊を楽しんだり、ハンモックでくつろいだり、マリンスポーツに挑戦したりして過ごすことができます。周囲にはカリブ海の透き通った海と白い砂浜が広がっています。

朝食を船でとってから下船し、島で半日のんびり過ごし、バーベキューランチを楽しんでから船に戻り、プールサイドのカバナでビールやカクテルをいただきながら、夕方までその日はとにかくのんびり過ごしました。

夜は豪華ディナー、ミュージカルショー、プロムナードでのパーティと前日と同様、フィーバーしました(昼間体力を温存していたためか、比較的元気だったので少々夜更かししました)。

朝、起床すると、もうバハマの首都ナッソーが近くに見えます。ここはコロンブスが世界一と称えた島で、イギリスの植民地時代の名残が残る著名な観光地です。

ナッソー観光地巡り一日ツァーに参加し、マイケルジャクソンが度々訪れたという豪華ホテルがあるアトランティスパラダイスアイランド、ビクトリア女王にちなんだ名前がつけられ、ライムストーンの1枚岩から66段の階段が作られたというクイーンズ・ステアケース、カリブの海賊からナッソーを守るために作られた要塞・シャーロット砦、植民地時代に建てられたもので、格調高く威厳があるバハマ総督官邸、カラフルな民芸店や免税店が並ぶエリアやストローマーケットなどを巡りました。

クルーズが終わって帰ってきた後、Bayside Marketplaceや、プラネタリウムと水族館もあるフィリップ・アンド・パトリシア・フロスト科学博物館、マイアミからバスで1時間半かかってツァーに参加した「エバーグレーズ国立公園(広大な湿地をアリゲーターが取り囲まれながら、エアボートで進んで行きます。アリゲーターショーもあります)」、産業の巨人ジェームズディアリングの私邸で個人の邸宅としてはアメリカ最大というビスカヤミュージアムアンドガーデン(ここへは行きは英語の通じない運転手が運転するウーバータクシー、帰りはメトロムーバーを利用)、などを巡ってマイアミで数日過ごしました。

クルーズはコストパフォーマンスが優れている、夜寝ている間に移動し翌日すぐツァーや船内イベントなどで楽しめる、荷物の持ち運びがないなどの利点が多いと思いますので特に年配の方にはオススメの旅のスタイルです。

質疑応答および座談会では、活発な質疑応答が行われました。

 

開催日:2023年3月12(日曜日)

場所:zoomを利用したオンラインミーティング

「オンライン懇親会」

各自の近況、今後の海外旅行の計画など・・・様々な話題で懇談することができました。

 

開催日:2023年3月5日(日曜日)

場所:zoomを利用したオンラインミーティング

「地球の裏側ブラジルへ30時間、サンバとカーニバルの情熱の国」と題して、つい先日、3年ぶりに通常開催されたリオのカーニバルを見にブラジルを訪れた方の話をお聞きしました。

(サンパウロ)

人口2千万人の大都会ですが、サンパウロでもカーニバルの山車がそこらじゅうに出ていました。サンバの衣装が200円300円で売っていて、多くの人が購入し身に着けて踊り、楽しんでいます。

ストリートアート、サッカースタジアム、州立美術館、フェヴェーラ(貧民街)などを観光して廻りました。

ブラジルは治安の悪さで有名ですが、確かにそこらじゅうにクスリをやっていそうなホームレスが横たわっています。テントに住んでいる人も多いようです。地元の人から、彼らに近づくなと言われていましたが、数人に襲われて危うく持ち物を奪われそうになるという怖い経験をいたしました。

それで、ある日の帰り道、ホテルまで残り200mの距離だったのですが、危ないエリアを通過しなければならなかっため、大事を取ってウーバータクシーを呼んでホテルまで帰りました。

(イグアスの滝)世界三大瀑布の一つです。滝見学の前に2時間3千円のカヤックツァーや最後は大合唱で終わるサンバダンスのディナーショーに参加しました。 

そして入場料3千円払ってイグアスの滝へ、滝に突っ込むという9千円のボートツァーに参加しましたが、前も見えず、息もできない状態でした。アルゼンチン側にも行って別角度で滝を観賞しました。

ハナグマ、トゥッカーノなどの珍しい動物や鳥に出会うこともできました。

(リオ)カーニバル期間中、街全体が浮かれています。ホテル代が高いので、通常6人部屋で1泊3千円が倍の6千円になっていましたが、エコノミーなゲストハウスに投宿しました。

コルコバードの丘にゴンドラで登って、キリスト像をまじかで見てその巨大さにビックリし、また、丘からリオデジャネイロの街やビーチ、美しい海や島々など360度パノラマの絶景を眺望することが出来ました。 

リオでもフェヴェーラ(貧民街)ウォーキングツァーに参加したり、ブロッコ(ローカルの祭り)、大聖堂、イパネマビーチ(ボサノバ・イパネマの娘をブラジル の アントニオ・カルロス・ジョビンが作曲した店で食事しました)などを観光しました。

リオのカーニバルは1チーム3千人ほどの踊り手がド派手なコスチュームを身にまとい、12チームに分かれ、美しく飾り付けられた巨大な山車とともに700mの通りをパレードして踊りを競い合います。

この日のために大枚7万円をはたいてチケットを購入していました。とにかく、熱気がすごいです。耳をつんざくような大音響の中、最後は私もパレードに乱入して朝までフィーバー、徹夜で踊り明かしました。

大興奮のうちに終わったブラジル大旅行でしたが、他にも魚貝のネタの代わりにマンゴー、イチゴ、トマトが入った寿司、甘いコーヒー、甘いケーキ、ハム詰めすぎのパン、2杯飲むとヘロヘロになるカイピリーニャ(サトウキビ蒸留酒にライムを加えた39度のカクテル)、フェイジョアーダ(豆と豚・牛肉の煮込み料理)、シュラスコなど、とにかく肉、肉、肉のブラジルグルメも楽しむことの出来たエキサイティング・アメージングな旅でした。

質疑応答および座談会では、活発な質疑応答が行われました。

 

開催日:2023年2月26日(日曜日)

場所:zoomを利用したオンラインミーティング

「ハンガリー・ブダペストを旅して」と題してドナウの真珠と呼ばれ、街の中心部が世界遺産となっているハンガリーの首都ブダペストを旅行した方の話をお聞きしました。

今は考えられませんが、円安、オイル高の前でしたので、静岡空港、プラハ往復チケットを格安の56,060円で購入、プラハを観光してからブダペストに入りました。

ブダペストはプラハに比べると街に色彩が乏しく、「暗いな」という印象でした。

ブダペストはブダ地区とペスト地区に分かれていますが、主な観光ポイントはブダ地区の小さな町のような王宮の丘エリアにあって、エリア内は電気トラムに乗って移動できます。

王宮、歴史博物館、国立美術館、首相官邸、マーチャーシュ教会、漁夫の砦、軍事歴史博物館、ブダペストタワー、王宮地下迷宮などを廻りました。くさり橋の対岸にある戦争ミュージアムも訪れました。

翌日からは地下鉄(ヨーロッパで2番目に古い地下鉄で趣があります)でセーチェニ温泉、英雄広場、西洋美術館、現代美術館、恐怖の館、有名な作曲家・ピアニスト、リストが晩年住んだ家を改装したリスト記念博物館、聖イシュトヴァーン大聖堂、国会議事堂(人気の内部見学ツァーに参加し、衛兵の交代式も見ました)、地下鉄博物館、ヨーロッパ最大というユダヤ教のシナゴーグ(リストがここでオルガンを弾いていたといいます)を巡りました。

夜はライトアップされたくさり橋や国会議事堂などの建物が美しく浮かび上がり、ロマンティックな雰囲気を堪能しました。グヤーシュ(パブリカ、タマネギ、ジャガイモ、肉などの煮込みスープ)などのご当地グルメにも舌鼓を打つことが出来たこの旅は満足感溢れるものだったようです。

質疑応答および座談会では、活発な質疑応答が行われました。

 

開催日:2023年2月19日(日曜日)

場所:zoomを利用したオンラインミーティング

「ジイジとバアバの欧州修学旅行」と題して、60過ぎの年配の男女8名(うちカップルは1組だけ)でパリ、ストラスブール、シャフハイゼン、フッセン、ミュンヘン、ローテンブルクをレンタカー(10人乗りワゴン)を利用しながら巡った、7泊9日の旅の話をお聞きしました。

大韓航空でパリへ、パリからストラスブールまではTGV 、ストラスブールからはレンタカーで走行距離2000キロにおよぶドライブ旅行へ出発しました。

(ストラスブール) 旧市街が世界遺産に登録された交通の要所の静かな街で、趣ある運河があります。

(リクビル) (コルマール) アルザス ワイン街道沿いの木組みの家が並ぶ街々でフランスの最も美しい村に選出されたことで有名です。

(シャフハイゼン)ライン川唯一の滝がある水運の街、ナビゲーションなしのドライブだったので道に迷い、夜遅くやっと到着!ユースホステルに投宿しましたが、あいにく充分の部屋がとれず、女性陣からブーイングが出たものの、男女8名同じ部屋で寝る羽目になりました。

(ミュンヘン)ビールを飲みに行った先で現地の人との交流が楽しかったです!

(ローテンブルク)朝9:30でも薄暗かったですが、観光に出かけ、城塞の街を楽しみました。

(ヴェルツブルク)祭りがあるということで立ち寄りました。

(ザッハウ・ナチス収容所)リーダーのたっての希望で寄り道しました。

この旅は知り合いの知り合い同士が集まった一風変わったグループ旅でしたが、なかなか風光明媚な、趣あるいいコースを巡ることが出来ていい思い出となったようです。

質疑応答および座談会では、活発な質疑応答が行われました。

 

開催日:2023年2月5日(日曜日)

場所:zoomを利用したオンラインミーティング

「グァテマラ、マヤの家庭でのホームスティ体験」と題して、グァテマラ・マヤの家庭でのホームステイ、現地学校の訪問体験などについて、お話しいただきました。

グァテマラは中米ユカタン半島に位置し、日本の約3分の1の国土面積で、火山、古代マヤ文明の遺跡、コーヒー栽培、マヤの手織物などで知られています。33もの火山があるようです。人口は1,711万人、そのうちマヤ系住民は41.7%で公用語はスペイン語ながら22のマヤ系言語も話されています。

宗教はカトリックですが、土着のシャーマニズム的な信仰も混在しています。

「マヤの家庭でのホームスティ体験」はピースボートの世界クルーズの中のプログラムの一つで、プエルトケツァルの港で下船し、そこからバスで3時間半揺られて奥地のマヤの村に移動します。途中、火山の噴火の瞬間に遭遇し、びっくり! 3時間半後、やっと部落に到着、マヤ人の小学校の先生の女性の家に泊めていただきました。この村には大人の男性はほとんどいませんでした。聞くところによると、軍事政権時、夫たちは何処かに連れ去られて殺されたか、若い女性の尻を追いかけて出て行ってしまったのだとか。

村のリーダー、シャーマン的存在のゴッドマザー・産婆さんの家にも招待していただきましたが、立派な家で、サウナもあり、祭壇がこしらえてありました。

小規模ながら、マヤの遺跡(マヤの祭祀が行われた神殿跡や競技場跡)を見学しました。この競技場では当時、サッカーのような競技が行われ、負けたチームの面々はその場で生贄に捧げられたとか。

学校訪問ではマヤの子供たちが踊りを踊ってくれたり、お母さんたちがトルティーヤやジャガイモ料理をふるまってくれたりと、大歓迎を受けました。こちらも、日本の折り紙を子供たちと一緒に折ったり、日本の浴衣を着せてあげたりして共に楽しみました。

ピースボートの出航時には村の人々が大勢、遠路はるばる港まで見送りに来てくださったのには大変感激しました。船のロビーに特別、招き入れるのを許可してもらって、互いに最後の別れを惜しみました。

現地の方々はスペイン語しかわからないため、意思疎通が十分できなかったことは悔やまれますが、トルティーヤ、焼きバナナ、トウモロコシ料理、フリホーレスと素朴ながら、精いっぱいの手料理でもなしてくれた現地の方々の気持ちがとてもうれしく感じられ、貴重なマヤのホームスティ体験をすることができたのは喜びでした。 

質疑応答および座談会では、活発な質疑応答が行われました。

 

開催日:2022年1月29(日曜日)

場所:zoomを利用したオンラインミーティング

「オンライン懇親会」

各自の近況、今後の海外旅行の計画など・・・様々な話題で懇談することができました。

 

開催日:20231月22日(日曜日)

場所:zoomを利用したオンラインミーティング

「幸福な国ブータン旅行記」と題して、末年始に世界一幸福度が高い国というブータン旅行を楽しまれた方の話をお聞きしました。現地ガイドのドルジさんにも生出演いただき、ブータンの観光情報をお話しいただきました。

ブータンはインドと中国に囲まれた国ですが、中国との国境の大部分はヒマラヤ山脈なので、あまり中国の影響は感じません。

面積は320㎡、人口約70万人の立憲君主制の王国で英語を話せる人も多く、チベット仏教の信仰心の厚い国です。

バンコク経由(ブータン直行はタイ、インド、シンガポールのみ)でブータンパロ国際空港に到着、この空港は谷間にあり、11人のブータン自国のパイロットのみが着陸できるという世界一危険な空港だそうで、着陸時怖かったです。

緯度は奄美大島と同じですが標高が2000mあるので気温は最高12度、最低2度ほどでした。(湿気がなく8、9月がベストシーズン)でも日差しがあると暖かく感じます。

数々のゾン(お寺)、野菜市場(ブータン農業の父と呼ばれ、その功績により国王からタジーという称号を得、その死の時は国葬になったという日本人の偉人、西岡京治さんの指導により、野菜作り、野菜食が普及したそうで、野菜食材は日本と変わらななったです)、ブータンの国技アーチェリー場(145m先の的を狙い、命中すると皆踊ります)、仏塔メモリアル・チョルテン、2010に80億円の費用をかけて建立したというクエンセルボダンの大仏、パロ・ゾン寺院、石焼風呂や祈りの部屋がある一般住宅などを見学しました。

お土産にはマニ車、冬虫夏草、乾燥松茸、切手、ウィスキーなどを購入しました。

ネパールの人は唐辛子が大好きで、料理はみな辛く、私はちょっと苦手でしたね。

現地ガイドのドルジさんからもタクツァン僧院、テーブルマウンテン、プナカゾン城、ヒマラヤ桜、半分はお坊さんの修行の場所があるという県庁庁舎などの観光地をご紹介いただきました。

旅行中、ホテルの部屋の暖房があまり効かず、寒くて体調を崩してしまいましたが、ブータンはハイエンドトラベラーを歓迎するという国策のもと、旅行するのにも代理店等を通す必要があり、少々旅行費用も掛かりましたが、それだけに貴重な記念になる旅をすることができました。

質疑応答および座談会でも現地ガイドのドルジさんに参加していただき、活発な質疑応答が行われました。

 

開催日:2023115(日曜日)

場所:zoomを利用したオンラインミーティング

 「初めての年末年始ベトナム旅行」と題して、年末年始にベトナム旅行に行かれた方の話をお聞きしました。

 

開催日:20221218(日曜日)

場所:zoomを利用したオンラインミーティング

「世界3大仏教遺跡の一つ、インドネシア・ボロブドゥール遺跡を紹介」と題して、インドネシア共和国、ジャワ島中南部に位置する都市ジョグジャカルタ郊外にある「ボロブドゥール遺跡」と周辺観光箇所をご紹介いただきました。

インドネシアは人口2.7億人、面積は日本の約5倍、宗教は9割がイスラム教、電源は220V、通貨はルピア(1=110ルピア)、時差-2時間、ベストシーズンは7月~9月、治安は危険度1です。バリ島以外はアルコールが飲めるレストランは少ないです。タクシーはGrabなどありますが、トラブルも多いようです。

旅程はチャイナエアライン、エアアジアを利用しての名古屋→台北→香港→ジャカルタ→ジョグジャカルタ→バリ→台北→名古屋です。

ボロブドゥール遺跡は世界3大仏教遺跡の一つ(バガン、アンコールワット、ボロブドゥール)で世界最大級の大仏教遺跡として1991に世界遺産に登録されています。

ボロブドゥール遺跡を観光するにあたって、宿は遺跡のすぐそばにも立派なリゾートホテルがありますが、ジョグジャカルタ市内のホテルのほうが他の観光もできて便利なように感じました。

ボロブドゥール遺跡のサンライズツァー(4:3011:00)に参加しました。往復送迎で5,000円位です。遺跡の入り口のマノハラホテルで懐中電灯を借り、遺跡へ入場、この遺跡はムラビ火山に囲まれた平原の中央にあり、寺院は792年に完成をみましたが、812年~832年に増築されました。この寺院には一辺が115mの基壇があり、圧巻の迫力で両界曼荼羅の世界が再現されています。

壇、回廊のレリーフには釈迦の生涯が見事に描かれています。

920年のムラピ山の大噴火、イスラム勢力の侵入などでボロブドゥール寺院は密林に埋もれてしまいました。建設から1000年の時を経た1814年に再発見されました。

ホテルで軽食をいただき(ツァーは軽食付きです)、 帰路、インドネシアのガウディ的建物と云われるブギット・レマ・チキン・チャーチに立ち寄りタクシーで市内へ戻りました。

他の日には周辺観光として高さ47mの尖塔が特徴的なプランバナン遺跡群(9世紀建造のヒンドゥー教寺院)、サンビサリ寺院(これも9世紀建造のヒンドゥー教寺院)、ラトゥボコ(王宮跡)、光のシャワーで有名なジョンブラン洞窟、タマン・サリ(離宮跡)、ほか王宮や博物館などを観光しました。

ミーゴレン、ナシゴレン、サテなどのインドネシアグルメも楽しんだインドネシアの年末年始旅は静謐で神秘的な空気に満たされたボロブドゥール遺跡の中で不思議な時の流れを感じることができた、貴重な旅だったようです。

質疑応答および座談会では、活発な質疑応答が行われました。

 

開催日:2022年12月11日(日曜日)

場所:zoomを利用したオンラインミーティング

「世界の競馬場を巡る旅」と題して世界各国の競馬場を巡った方の旅話をお聞きしました。

韓国・ソウル:スタンドがJRAの競馬場に似ていてかなり清潔でした。外国人専用のラウンジがあり、お茶とコーヒーが飲み放題でした。

タイ:タイの東大・チュラロンコン大学のすぐ隣に競馬場があります。会員席は小綺麗で、客層も上流階級ですが、一般席に来るとオッサンが多く、鉄火場の雰囲気でした。

イギリス・アスコット:ドレスコードがあり、結婚式に出席するような恰好が要求されます。帽子を被ることもドレスコードの一つでネクタイ、革靴、そしてソックス、石田純一でも履く必要があります。

昼間からシャンパンを楽しんでいる人も多く、上流階級の社交場の雰囲気です。

イギリス・ニューマーケット:競馬場の隣にある種牡馬の牧場見学ツァーに参加し、ガイドの説明を興味深く聞くことが出来ました。サラブレッドは人工授精が禁止されています。ついでにケンブリッジ大学も散策しました。

フランス・ドーヴィル:ここはノルマンディーのバカンスの名所です。パドックで勝ち馬を予想するも馬券は全く的中せず、フランス女(牝)の心を読むことができませんでした。

イタリア・カパネッレ:スタンドが古めかしく観客も少なかったです。でも場内でピザを美味しくいただきました。

ドイツ・ケルン:イギリスと違い、シンプルでこざっぱりした着こなしの人が多かったです。ビールを飲みながら競馬新聞で検討しましたが、馬券は大穴となり外しました。

トルコ・イスタンブール:トルコのイスラム教の国であり、賭け事は禁止されていますが、競馬場はありますし、ビールも飲めます。女性客も結構いました。ただ、パドックで馬を引く係員は男性でした。

アザーンの声が博打を諫めているように聞こえ、少々胸が痛みました。

アメリカ・アケダクト:ここはコロナ対策で臨時に病棟になったことで有名です。

レースの前に国家が流れ、直立不動する観客が印象的でした。西欧と比べると大衆競馬の様相でした。

ペルー・リマ:南米は知られざる競馬大国です。一般席はオッサンが多く、空き時間に賭けドミノに興じるダメ人間もいて、鉄火場の雰囲気でした。馬券が当たったのでレストランでペルー料理をたらふくいただきました。

競馬をやりに世界を巡るというのは散財、道楽の極みですが、その道楽ができる幸せをかみしめた旅でした。

質疑応答および座談会では、活発な質疑応答が行われました。

 

開催日:2022年12月4(日曜日)

場所:zoomを利用したオンラインミーティング

「オンライン懇親会」

各自の近況、全国旅行支援を利用した国内旅行体験談、今後の海外旅行の計画など・・・様々な話題で懇談することができました。

 

開催日:2022年11月20日(日曜日)

場所:zoomを利用したオンラインミーティング

「フランスの世界遺産旅日記、レンヌの街と西洋の驚異・モンサンミシェル、世界で最も豪華な王宮・ヴェルサイユ宮殿」とのテーマでモンサンミシェル、ヴェルサイユ宮殿を訪ねた方の話をお聞きしました。世界一の観光大国フランスには49個の世界遺産がありますが、ヴェルサイユ宮殿とモンサンミシェルは特に歴史的価値や見どころが多い世界遺産です。

まずヴェルサイユ宮殿ですが、「朕は国家なり」と語ったという絶対君主ルイ14世は一部の王族や貴族が1648年に起こしたフロンドの乱の鎮圧に、どうにか成功したものの、パリに嫌気がさし、パリから約20キロメートル南西に位置するヴェルサイユに政治の中心地を移すことを決意し、狩りの際に使用する小さな城館があるだけの土地に壮麗な宮殿と広大な噴水庭園を築きました。

そのヴェルサイユの宮殿と庭園の建造物群はその規模のみならずクオリティと独創性において他に類を見ない芸術的成果を達成しているとして1979年に世界遺産に登録されました。

ここへはパリ市内から近郊電車(RER)で行くことが出来ますが、見学するにあたっては現地ツァーを利用すると待ち時間なしで入場することができます。

まず宮殿内のヘラクレスの間、ヴィーナスの間、ディアナの間、マルスの間、メルクリウスの間、アポロンの間などのギリシア神話に登場する神々の名前が冠されている絢爛豪華な数々の部屋を見学しました。

最大の見どころは鏡の間です。ここは第一次世界大戦後の対ドイツとの講和条約であるヴェルサイユ条約が調印された有名な場所で、現在でも公式な行事で使用されています。長さは約75m、幅は約10m、高さは約12mもあり、357枚もの鏡が壁一面に張られています。頭上は天井画で埋めつくされていて、いくつものシャンデリアが輝いています。17枚の鏡と17枚の大窓が対をなして設置されています。

その窓からは美しい庭園を眺めることができます。

そのほかにも国民の経済的困窮に対して「パンがなければお菓子を食べればいいじゃない」と言ったマリー・アントワネットが寝ていたという王妃の寝室、王の寝室、王女の部屋、王室礼拝堂や数々の展示品を見学し、ちょっぴり庭園も散歩して、感動と満足のうちにヴェルサイユの宮殿を後にしました。

翌日は「西洋の驚異」モンサンミッシェルへ行きました。

パリ、モンパルナス駅より高速鉄道(TGV)でレンヌへ行き、そこからバスで1時間揺られてモンサンミッシェルの玄関口に着きます。島へは橋をシャトルバスで渡って行きます。

ここも1979年にユネスコ世界遺産に登録されているフランスの代表的な観光地です。

その昔、海岸から1km離れた沖合の島に司教オベールが大天使ミカエルのお告げにより、聖堂を建立したことからその歴史が始まります。その後、ベネディクト派の修道院→要塞→牢獄になり、1966年からは修道院として復活し、現在に至っています。

この島は干潟に囲まれており、潮の満ち引きにより、風景が一変します。

王の門を潜ると、修道院へと続く参道「グランド・リュ」の両側にレストラン、カフェ、雑貨屋、土産屋が所狭しと立ち並んでいて、観光客が行きかい、賑わっています。お腹が空いてきたので参道沿いのレストランでモンサンミッシェル名物のオムレツをいただきました。

ふもとにある小さなサンピエール教会を覗いて、道を上って行き、チケットを買って修道院内部に入ります。修道院内は、ちょうどミサの最中で厳かな雰囲気を味わうことができました。

ラメルベイユの回廊、修道士たちの食事室、騎士の部屋、貴賓室、北側に聳え立つゴシック建築の建物「ラ・メルヴェイユ」を廻ってレンヌへの帰路につきました。

ブルターニュ地方の玄関口のレンヌは、約60,000人の学生が住む、活気ある街であると同時に、中世の建物が立ち並ぶ伝統を感じさせる街でもあります。投宿先のホテルにチェックインを済ませて、レンヌ市内観光に繰り出しました。

サン・ジョルジュ宮殿、市庁舎、美術館、オペラ座、ジャコバン修道院、サンピエール大聖堂、サントーバン教会、ブルターニュ高等法院、廻りに木組みの家が立ち並ぶシャン・ジャケ広場やサン・タンヌ広場、デュシェーヌ塔を巡り、名物のガレットや海鮮料理のフルコースディナーに舌鼓を打ち、レンヌの半日を楽しむことができました。

この旅はフランス文化・芸術の素晴らしさや、古き良き時代のブルボン王朝の栄華を存分に感じ、ゴージャスな気分を味わえた、大満足の旅でした。

質疑応答および座談会では、活発な質疑応答が行われました。

 

開催日:2022年11月13日(日曜日)

場所:zoomを利用したオンラインミーティング

「太平洋戦争の戦跡を巡る旅、パプアニューギニア・ラバウル、ソロモン諸島・ガダルカナル」と題してピースボートクルーズに参加した際にソロモン諸島・ガダルカナル、パプアニューギニア・ラバウルを鎮魂の旅で訪れた方の話をお聞きしました。

戦後80年近い年月が経っていますが、現地にはまだ、生々しい戦争の傷跡が残っていました。

ガダルカナル(スペイン探検隊隊長の名前がその由来)があるソロモン諸島は、パプアニューギニアやバヌアツ、ニューカレドニアなどと同じメラネシア文化圏で各島、各村ごとに多彩で独特な文化があり、それが現代まで大切に守られています。 公用語は英語ですが54万人のメラネシア系の国民には89の村言葉があります。共通語として英語を簡略化した 「ビジン語」が使われています。一般的に男女とも性格は穏やかで、治安はいいです。時差は日本より2時間進んでいます。

現地通貨はソロモン諸島ドル(SBD)が使用されています。1SBD は約17.8円、両替は空港や市内の銀行・両替所でできます。ただし、日本円を両替ができるところはホテルなど少ないです。

ガダルカナル島ホニアラ市内の移動は、徒歩、バス、タクシーまたは車両チャーターとなります。日本の免許証を持参すればレンタカーを借りることも可能ですが、現地事情に不案内な旅行者にはおすすめできません。(車は日本と同じ右ハンドル左側通行)。タクシーは、1kmあたり10ソロモンドルです(2017年8月現在)。

歴史を紐解いてみると、1893年以降イギリス領でしたが、オーストラリアと米国の分断を狙って1942.8月に日本軍と1,000名の工作兵が上陸し、飛行場を建設しました。しかしながら完成わずか2日後、8,000 名の米兵によって占領されてしまいました。なんとか奪還すべく1942.9.13に精鋭部隊である川口支隊4000名で反撃しましたが、支隊は全滅し、米兵死者がわずか 59 名という大惨敗に終わりました。

その後も日本軍は敗退を続け、1943.2月に撤退します。20,000名もの多くの方が亡くなり、帰国できたのは10,000名だけだったとか。戦闘で死亡したのは5,000名で、他の多くはマラリア、飢餓にて死亡したということです。補給面での失策が敗因のようです。

戦争ミュージアム、慰霊碑や激戦の跡「血染めの丘」などを現地にお住まいの日本人ガイド(元青年海外協力隊隊員)の方の引率で見学しました。 ミュージアムで戦死された日本人の遺品やしゃれこうべまで売っていたのにはショックを受けました。

パプアニューギニア独立国のラバウルは東ブリテン島(九州の半分)に位置しています。シンプソンカルデラ湾に面する火山島でかつての首都です(噴火でココポに首都が移転)。1937、1994年の ダブルブルズ火山などの噴火によってラバウルの街の大半が火山灰に埋もれ、有名な日本軍ラバウル航空隊の飛行場も灰を被っていました。

東ブリテン島の産物は、ヤシ油、コーヒー、ココアで、 ラバウル人口は5,000名、メラネシア人、パプア人 が多く住んでおり、宗教はキリスト教、ソロモン諸島と同様に村言葉があり、公用語は英語、共通語はピジン語、モツ語です。通貨はキナ=40円。

ここも、第二次大戦中、トラック諸島を防衛し、米国とオーストラリアの分断を図るため、1942・1月 ゼロ戦部隊により日本軍が占領し、ラバウル航空基地が建設されました。 南方進出の拠点として陸・海・空 9万人が上陸し、オーストラリア軍守備隊を追い出しました。

しかし、1943年から 米・英・豪連合軍による反攻を受け、補給路を断たれ、取り残されてしまいます。 

ただ、ここがガダルカナルのような悲劇にならないで、日本軍の兵隊がほとんど帰国することができたのは連合軍がここを占領するために軍を送るメリットがもはやなくなり、放置することにしたからだとか。

ピースボートのツァーに参加して、飛行場跡地、戦車などが格納されたままの洞穴、残留兵器が収集されている戦争博物館、山本バンカー(山本五十六元帥が使用した地下壕)などを廻りました。

ちなみに山本五十六元帥はこの飛行場から前線視察に出向いた際、ブーゲンビリア島で米軍に待ち伏せされ、搭乗していた飛行機が撃墜され戦死されたとのことです。

ガダルカナルもラバウルもかつては戦没者遺族の旅行客が多く訪れ、街は活況を呈したようです。

私たちが訪れた時も、歓迎の踊りを踊ってくれたり、土産物を売るにわか市場ができたりしていました。

しかしながら、戦没者遺族も高齢化が進み、だんだん日本から訪問者が来なくなっているようで、慰霊碑も誰も管理する人がなくなり、朽ち果てていく運命となっていて、寂しく心が重くなる思いを感じた旅でした。

質疑応答および座談会では、活発な質疑応答が行われました。

 

開催日:2022年10月30(日曜日)

場所:zoomを利用したオンラインミーティング

「オンライン懇親会」

各自の近況、最近の旅行事情、今後の旅行の計画など・・・様々な話題で懇談することができました。

 

開催日:2022年10月16日(日曜日)

場所:zoomを利用したオンラインミーティング

一部「天国にいちばん近い島ニューカレドニア紀行」と題して、ニューカレドニアで積極的な観光目的を持たない、のんびり旅に徹した保養休暇を取られた方の話をお聞きしました。

ニューカレドニアは南半球に位置していることから、なんとなく遠いイメージですが、実際はハワイと同じ距離です。しかも島の面積や赤道からの緯度も実にハワイとよく似たところです。

四国と同じ面積で、人口は28万人、フランスの海外領土なので公用語はフランス語、通貨はCFPフラン (太平洋フラン)です。

首都ヌメアのあるグランドテール島は面積16,372km、日本との時差は2時間、日本からの距離7,000Km、飛行機で8.5時間です。ニューカレドニア・バリア・リーフ(サンゴ礁)が 2008年に世界遺産に登録されています。周囲に点在する島々の多く(若い人はこちらのほうに滞在する人が多い)は海底火山の噴火によるものですが、グランドテール島は、古代ゴンドワナ大陸の分裂によって生まれたようです。歴史的に圧倒的に古く、固有の動植物が多数存在しており、3000種以上の固有植物の殆どはニューカレドニアでしか見ることができないと言われています。

年間平均気温が24度前後の過ごしやすい気候の島国で、首都のヌメア周辺全体が先進国の保養地と言った感じです。ただコンビニ、スタバなどはありません。

この島はジェームズ・クックにより発見された後、紆余曲折を経てフランス領化され、当初は流刑植民地でしたが、近年ニッケル鉱業の島として発展しています。

この旅はホテルでのんびり保養休暇という目的でしたので、いいホテル(ル・メリディアンヌーメアリゾート アンド スパ・5つ星)を取って、ホテルの庭のヤシの木陰でのんびりと、椰子の実ジュースやビールを飲みながら読書などをして過ごしました。

飽きてくるとホテルで無料で貸し出してくれる自転車で周辺をサイクリングして、青空マーケットなどを覗いたりしました。

特に目立った観光スポットもないので、火炎樹などの華やかな花々を眺めたり、息を飲むような美しい夕焼けや夜空に輝く南十字星を見て心躍らせたりしました。

周囲のレストランも、夜営業していないところも多く、食事はほとんどホテルのレストランで取りました。

この旅は日常の生活からの逃避するため、基本何もしないリラックス・昼寝旅という目的でしたが、心も体も開放されてその目的を果たし、たっぷり充電して日常生活へ戻ることが出来ました。

質疑応答および座談会では、活発な質疑応答が行われました。

 

開催日:2022年10月2(日曜日)

場所:zoomを利用したオンラインミーティング

一部「フィリピン・マニラを旅して」

 トロピカルカントリー、フィリピンの首都マニラを旅した方の話をお聞きしました。平成26(2014)年4月15日~4月20日 6日間(フィリッピンのお盆に当たる、ホーリーウィーク(レストランやお店は休みだった))にマイレージ利用して全日空機で東南アジア最悪の空港といわれる二ノイ・アキノ国際空港に到着しました。当時、トリップアドバイザーでNo1評価を得ていたベイリーフホテル(5泊6日で約45,000円)に投宿しました。フィリピンは日本の約8割の面積(約30万km2)に、約7千の島があり、人口 約1億人が住んでいます。アジア唯一のキリスト教国(カトリック)で公用語はフィリピン語及び英語、通貨はペソ(1ペソ=32.46円)、主要産業はサービス産業(BPOなどGDPの6割)、鉱工業(GDP3割)、農林水産業(GDP1割)で一人当たりGDPは 103300ドル(2020年)、 日本の8%です。

メトロ・マニラはフィリピン全人口の12%が住む17の行政地域の集合体からなる人口1300万人の首都圏です。

ホテルはイントラムロス地区(スペイン時代の面影を残す城壁都市)にあり、このエリアにある大学、マニラ大聖堂(フィリピンで最も重要な教会)などを見学しました 。

都会のオアシスのような緑が多いショッピングモール、グリーンベルトへ行きました。このマカティにあるグリーンベルトはアヤラ・グループが経営しています。アヤラ・グループは1834年にスペイン領メキシコからのスペイン人により設立されたフィリピン最古・最大の財閥です。 マニラ・マカティの不動産開発が有名で三菱地所とアライアンスを組んでいます。 事業領域は小売、教育、不動産、銀行、通信、水道、再生可能エネルギー、エレクトロニクス、IT、ヘルスケア、経営管理などです。

翌日はコレヒドール・アイランドの一日ツァーに参加、バスで島内を巡回して日本軍6千人が玉砕したという太平洋戦争の戦跡などを見学し、帰りはモール・オブ・エイジア(マニラ湾に面するSMグループの東京ドーム8個分あるという巨大モール)に立ち寄り、美しいことで有名なマニラベイの夕日を眺め、旅情にひたりました。 このSMグループ(SMの意味は、シューマートの略)ですが、アラヤグループと並び称される有力財閥で創業者はヘンリー・シー、中国・福建省出身、12歳でフィリピンに移住、一代で財をなし、総資産約2兆円あるというアジア有数の資産家です。 事業領域は不動産(モール・住宅・オフィス・リゾート・ホテルなど) 小売(食品・ライフスタイル)、ショッピングモール( モール・オブ・アジア)フィリピン最大の銀行であるBDO銀行などです。 

別の日は近場を廻ることにしました。チャイナ・タウン(中国人町)、マラカニアン宮殿(イメルダ夫人の宝石、靴、バッグなど保管) 、ホーリーウィークイベント(サン・オウガス チン教会他)、 UST大学(現存するアジア最古の大学、サント・トーマス大学) 、イスラム寺院、アジア唯一の鋼鉄製の教会(サン・セバスチャン教会)、中国人墓地(エアコンも付いている中国式の珍しいお墓)、カーサ・マニラ博物館などを訪問しました。

フィリピンの旅は、言われているほど治安の悪さは感じなかったものの、キラキラした最先端の都会とスラム街が同居しているとか、小さな小売店でもショットガンを持ったガードマンが睨みを利かせていたりするなど、日本にはない光景に強烈な違和感を持った印象的な旅になりました。

夏のスィーツ・ハロハロ、サンミゲルビール、甘いバナナケチャップソースがかかったスパゲティなどのフィリピンフード、ホーリーウィークに行ったからこそ体験できた、仏教国日本にはないキリスト教のイベントも興味深かったです。

質疑応答および座談会では、活発な質疑応答が行われました。

 

開催日:2022年9月11(日曜日)

場所:zoomを利用したオンラインミーティング

一部「未承認国家沿ドニエストル共和国とモルドバ」

 ロシア・ウクライナ戦争で話題となった沿ドニエストル共和国とモルドバ共和国を旅した方の話をお聞きしました。

ルーマニアからモルドバの首都キシナウにプロペラ機で入りました。

若い男性が運転する白タクで市内へ、ヨーロッパ最貧国リストに名を連ねるモルドバにしては高い(1泊18,000円ほど)ホテルに投宿しました。

市内観光へ繰り出しました。市内は見どころは少ないもののキレイな街で、教会堂、市場などを廻りました。

バス停がなく、どこでもバスが来ると手を挙げて乗車する人々が印象に残りました。

当日は「勝利の日」という祝日のようで広場で人々が踊っていました。

旅行中は、朝食はホテルでがっつりいただき、昼食は抜くことが多いので、夕方になるとおなかが空いてきます。小綺麗なレストランで夕食を取りましたが、3千円ほどしたものの美味しくなく(ワインは美味しかった)ちょっとガッカリ。

翌日は「沿ドニエストル共和国」へ、この国はドニエストル川東岸のウクライナ国境に接する国で、モルドバの東部にある国際的に承認されていない知られざる国です。それで行き方が地球の歩き方に載っていなかったため、ネットで調べました。

「沿ドニエストル共和国」へ行くバスチケットを240円ほどで購入し、テラスポリへ2時間ほどのショートトリップです。

イミグレーションで入国カード?紙をもらいます。ここに記載されている時間をオーバー(入国10時間以内に要出国)すると問題になるようです。以前はここで賄賂を要求されたようですが、今はそんなこともなくあっけなく入国を果たし、プラスチックの通貨で有名な沿ドニエストルーブルに両替しました。

「沿ドニエストル共和国」はソ連崩壊の時に、この地域はロシア系住民が多いため、ロシア志向が強く、またロシア系が経済を支配していたために、欧米志向が強いモルドバから独立戦争を経て独立しました。

ロシア、ウクライナ系住民約50万人が住み、ロシア軍が現在駐留して治安を守っています。

ワインの産地で有名ですが、海外に輸出する際は、未承認国家であるがゆえ「沿ドニエストル産」と表示出来ずに「モルドバ産」としているようです。

未承認国家の旅は、やや恐怖感もあり、緊張していたのですが、人々もおおらかで、のんびりした他のヨーロッパの田舎町と何も変わりませんでした。

無事、時間内に出国し、ウクライナのオデーサへ向かいました。

質疑応答および座談会では、活発な質疑応答が行われました。

 

開催日:2022年9月4(日曜日)

場所:zoomを利用したオンラインミーティング

「オンライン懇親会」

各自の近況、県民割を利用した国内旅行体験談、今後の旅行の計画、円安の海外旅行への影響など・・・様々な話題で懇談することができました。

 

開催日:2022年8月28(日曜日)

場所:zoomを利用したオンラインミーティング

一部「緑の国アイルランド、紳士の国イギリス、アフターコロナの世界の旅行その2」

 2022年6月20日から7月4日迄、アイルランドとイギリスを廻った方の旅話をお聞きしました。

今回はその後半です。

グラスゴーではドミトリーに投宿しました。市内の観光できるところが日曜日で殆ど休みだったので、郊外のスコットランドの歴史で重要なスターリング城へショートトリップ。

その後プロペラ機で30分、今回の旅の最大の目的地、スコッチウィスキーの聖地アイラ島へ、念願の島に辿り着きました。アイラ島は人口3,300人の小さい島でホテルが少ないため、1泊2万円の出費になりました。

アイラ島の潮風を浴びて日没と共に原産地のボウモアを飲むと至福の一時です。

翌日、ラガヴーリンとラフロイグの2つの蒸留所へ、酒好きのフランス人、ポーランド人のグループと一緒に源流の川へピクニック、青空の下飲むラフロイグは格別でした。

酔っていて、タクシーからのメールを見過ごしてしまい、最終便と思っていたフェリーに乗り遅れてしまいました。

島から出られないと諦めていたら、ホームページには載っていなかったのですが、まだこれからもう一便あるということで、ホテルの女将が、タクシーの手配や今夜泊まる予定の宿への連絡をしてくれました。

とてもありがたかったですね。

アイラ島をフェリーで出発し、ターバートの港からケナクレイグへ。

翌朝、バスでグラスゴーへ戻り、グラスゴー大聖堂を見て、ブリットレイルパスで電車に乗り、ウィンダミアへ行きました。

湖水地方の10の湖を巡るツァー(8,000円)に参加し、小規模でしたがストーンサークルも訪れました。

そして、ロンドンへロンドンシティはホテル代が高かったので、郊外の1泊3,000円のドミトリーへ投宿し、ロンドン観光に繰り出しました。ロンドンパスを使い、レ・ミゼラブルを観劇したり、カティサーク号やグリニッジ天文台、ウエストミンスター寺院、ナイチンゲール博物館、バッキンガム宮殿(ロイヤルガード見ました)などを廻りました。

帰国するのに必要なPCR検査が代理店に頼むと30,000円したので自分で手配し、12000円で済みました。

検査結果も無事、陰性で旅行中はノーマスク生活でしたが問題ありませんでした。

最後の1日は無料施設の大英博物館とナショナルギャラリーを見て過ごしました。

アイルランド・イギリスの旅は食事が味がしない、臭みを取らないので気になる、下味を付けないなど、評判通り美味しくなかったようですが、ハギス、ムール貝のクリームスープ、カジキのソテー、アイリッシュコーヒー、紅茶、そして何よりもお酒など美味しくいただけたものもあり、また天候に恵まれ、酒好きの外国人の新たな友人もできるなど、充実した旅になったようです。

質疑応答および座談会では、活発な質疑応答が行われました。

 

開催日:2022年8月21(日曜日)

場所:zoomを利用したオンラインミーティング

一部「緑の国アイルランド、紳士の国イギリス、アフターコロナの世界の旅行その1」

2022年6月20日から7月4日迄、アイルランドとイギリスを廻った方の旅話をお聞きしました。今回は

その前半です。

FACEBOOKのアイルランドの友人と会うため、成田からエミレーツ航空を利用し、ドバイ経由でヒースロー、ダブリンに入りましたが、ヒースロー空港でロストバゲージに会ってしまいました。ヒースロー空港では死屍累々と主人を失ったスーツケースが立ち並んでいました。

コロナで空港職員の数が足りなくなったことが原因だとか。その後、私のスーツケースはずっと行方不明の状態が続き、やっと最近、なんとバンコクから送られてきました。旅行中はスーツケース・衣類などを買いそろえるなど結構な出費でした。また、ヒースローでは、危うく乗り継ぎで乗り遅れそうになりヒャッとしました。

ダブリンでは10人部屋のドミトリーに1泊2千円で投宿し、パスツァーでモハーの断崖へ行ったり、テンプルバー、バイキング博物館や現存する世界一美しい本と言われている国宝の「ケルズの書」があるトリニティカレッジを見学したり、アイリッシュダンスショーを観賞したりしました。

PUBでクリーミーな生のギネスビールで乾杯し、衣がカリッと揚がっているフィッシュ&チップスを美味しくいただきましたが、ポテトのボリュームが多かったのでおなかがパンパンになりました。

ダブリンを後にし、エアコーチのバスで北アイルランドのベルファストへ、ベルファストでは貴族の館を改装した朝食が充実しているB&Bに宿泊し、ツァーで6角形の岩がニョキニョキ生えているかのような景観で有名な世界遺産のジャイアンツコーズウェイを廻ったり、ベルファスト市内ツァーに参加したりして、IRAが活躍していた時代の面影やビアバイク、タイタニックミュージアム、国立博物館などを見て、グラスゴーへ移動しました。(次週後半へ続く) 

二部 海外旅行トーク・サロン(質疑応答および座談会)では、活発な質疑応答が行われました。

 

開催日:2022年7月31(日曜日)

場所:zoomを利用したオンラインミーティング

一部「韓国人の女性の方に紹介していただくソウルのおススメ観光スポット」と題して、現在、韓国在住の女性の方にソウルに来たら行ける観光スポットと飲食そして交通手段などのホットな情報をソウルからお伝えいただきました。

(交通手段について)

ソウルの公共交通手段の乗り換え割引制度があります。

バスの乗り換えは30分以内なら無料、同じ番号のバスでは割引はできない、地下鉄では改札口を出ると運賃が発生してしまう、等の注意点があります。

(おススメ観光スポット)

「青瓦台大統領執務室」、ここは政権が代わって国民に開放されました。とても混んでいます。

宮殿はソウルに5つありますが、特に「景福宮は夜景がきれいで、チマチョゴリをレンタルし入場すると入場料金が無料になります。

「仁寺洞」、クラフトショップや韓国料理などの店が立ち並ぶ、しゃれたエリアです。

「北村韓屋村」は韓国の伝統的家屋である韓屋の密集する地区で、ここにある「サーティーワンアイスクリーム」、韓国ぜんざいが本当に美味しい「ソウルで二番目においしい店」、大きくてふわふわなドーナッツが食べられる「ランディーズドーナツ」などの店がおススメです。「ソウル工芸博物館」「国立現代美術館」もこのエリアにあります。

ソウルにタワーが2つありますが、「Nタワー」は東京タワーのようで、「ソウルスカイタワー」はスカイツリーのようです。

漢江のほとりには計11ヶ所の「漢江公園」があります。ここでは人々はピクニックを楽しんだり、テントをレンタルして寝転んだり、コンビニでインスタントラーメンを調理して食べたり、自転車をレンタル(料金100円ぐらい) して自転車専用道路でサイクリングしたりしています。

世界的に価値の高い所蔵物と韓国の歴史的伝統を紹介している「国立中央博物館」も絶対行くべきです。

私が住んでいる北漢山登山の玄関口、「ウィドン」も雰囲気のいいカフェがあり、自然の山岳美、渓谷美などを楽しめる場所でぜひ訪れていただきたい場所です。

(ショッピング)

東大門の「ヒュンダイシティアウトレット」、「ロッテワールドモール」、「ソウルスカイ」に最近オープンしたばかりの「ヒュンダイソウル百貨店」などがおススメです。 

(食べ物)

屋台いっぱいの広蔵市場(クアンジャンシジャン)はイチオシです。 

最近ごはん少なく中身が多いキンパが流行しています。中身はチーズ、ソーセージ、トンカツなどが入っています。最近、明洞にオープンした「キム先生のキンパ」は推奨の店です。 

他にも「プルコギ」や夏になると韓国人が必ず3回食べる「サムゲタン」、「ヤンニョムケジャン」と「カンジャンケジャン」の2種類がある「ケジャン」、「もち麦ビビンバ」、「ユッケビビンバ」、「ハイガイビビンバ」など多彩な「ビビンバ」、「水レーメン」や「ビビンレーメン」などの種類がある「レーメン」など本当に韓国料理は種類が多く、店もたくさんあります。ぜひ皆さんソウルにお越しください。

二部 海外旅行トーク・サロン(質疑応答および座談会)では、活発な質疑応答が行われました。

 

開催日:2022年7月10(日曜日)

場所:zoomを利用したオンラインミーティング

「オンライン懇親会」

県民割を利用した国内旅行体験談、今後の旅行の計画、ロストバゲージ経験談など・・・様々な話題で懇談することができました。

 

開催日:2022年7月3(日曜日)

場所:zoomを利用したオンラインミーティング

「二人のトラベラーによる最近行ったタイ旅行の話」と題して、今年のゴールデンウィークにタイに行った二人の方の話をお聞きいたしました。

その1 

4/28 成田からバンコクへ飛び立ちました。成田空港は空いていました。

バンコクではハイアットリージェンシーホテルに泊まりました。

ここは私がバンコクを訪れると毎日のように行く、セラピックマッサージの店「ヘルスランド」が近くて便利だからです。以前肩を痛めたとき、セラピックマッサージを受けて痛みがすっかりとれたことがあり、以来利用しています。

早速「ヘルスランド」へ、2H 900バーツ(日本円で3千円位)のセラピックマッサージを受け、癒されました。

日本人が多く住むトンローのホテルニッコーへ移動しましたが、周りの日本食レストランのシャッターが、軒並み閉まっているなど、とても寂しい雰囲気でハイアットリージェンシーに戻ることにしました。

タイに移住した友人を訪ねてパタヤも訪問しました。

日本に帰国するためには帰国72時間以内にPCR検査を受け、陰性証明書(日本政府所定のフォーム)をもらわなければなりません。

事前に予約しておいた日本語対応のサミティベートスクンビット病院で検査を受け、陰性証明書をゲットしました。

帰国の際は 税関アプリ、接種証明書アプリ、MYSOSアプリを帰国前に携帯にインストールしておいて、必要事項を入力しておくと手続きがスムーズです。

 

その2

入国条件が緩和されたため、タイへ行くことにしました。

セントレアからバンコクへの便はほぼ満席です。バンコクではホテルに隔離され(現在は隔離は必要ない) PCR検査陰性で無罪放免、バンコクで市場やチャイナタウンを観光した後、ローカルバスでカンチャナブリーへ、さらに三菱のレンタカーを借りてサンクラブリーへ、木造の橋・モンブリッジなどの観光スポットを廻り、カンチャナブリーに戻りました。

カンチャナブリーでは「戦場にかける橋」の映画で有名になった泰緬鉄道のクウェー川鉄橋などに行きました。

タイ旅行はグルメも楽しみです。チャンビールや整腸作用のあるグァバジュースを飲みながら、フカヒレ、カオソーイ、ガパオライス、グリーンカレー、チャーハンなどに舌鼓を打ちました。

6月から、日本の水際対策が見直され、入国規制が大幅に緩和されています。

一部の国を除き、ワクチン3回接種していれば、入国時抗原検査及び入国後の待機も不要になりました。

久々の海外旅行で解放感を味わいました。  

二部 海外旅行トーク・サロン(質疑応答および座談会)では、活発な質疑応答が行われました。

 

開催日:2022年6月26日(日曜日)

場所:zoomを利用したオンラインミーティング

一部「エクアドルの都市(キト・クエンカ)および鉄道」と題して、南米の西海岸にある赤道直下の国、エクアドルを旅した方の話をお聞きいたしました。

2016年8月マイアミ→コロンビア経由でキトに入りました。

キト観光は後日として、南の都市アラウシへ、ここから山岳観光鉄道に乗車します。アンデスの荒涼とした谷を見下ろしながら列車は進んで行きます。スイッチバックポイント「悪魔の鼻」の少し先の駅で下車し、先住民の人たちの踊りによる歓迎を受け、暫し休息、Uターンしてアラウシへ戻ります。

リタイヤメント後の滞在先として人気のクエンカへ、「スパニッシュコロニアル」な建物に溢れ、ヨーロッパのようなこの街ならしばし「沈没」してもいいな、と思いました。

カテドラル、博物館(旧カテドラル)などを観光、昼食はエクアドル料理のプレートをいただきました。

その後、インカの遺跡、JICA主催で日本文化の展示をしていた博物館などを廻り、お気に入りのパナマハットを購入し、中国製のサスペンションが硬くて乗り心地の悪い夜行バスでキトへ戻ります。

キト市街は最初に登録された世界遺産の一つでもあります。キトではまず赤道記念碑へ行き、赤道越えの記念撮影をしました。(実は私、イギリスのグリニッジで経度0度越えも経験しています。)

ロープウェイで標高4,000mの山に登り、市街のパノラマビューを楽しみましたが、強風と寒さで早々に撤退しました。

キトでも観光列車(スペイン製)に乗りました。途中駅の民芸品店で、日本の瀬戸で陶芸の修行したという方から声をかけられました。北海道のような車窓の風景を楽しみながら、終点で下車し、公園でトレッキングを楽しみました。

 帰路の途中、民族舞踊を鑑賞しながら昼食をいただきました。車内で飲むビールは格別でした。

絢爛豪華なサン・フランシスコ教会、ラ・コンパーニア教会、サントドミンゴ教会、独立広場の政府庁舎、メトロポリタン教会、南米を代表するエクアドル人画家オスワルド・グアヤサミンの家(作品や美術品が展示されている)、スタジアムなども見学しました。

エクアドル最後の食事は食べなれたものが食べたくなり、チャーハンでこの旅を〆ました。

今回の南米の旅は、英語が通じない(スペイン語)、日本から遠い、治安に難がある、などのハンディがあるものの、南米特有の自然や文化を体感でき、冒険心や好奇心を存分に満たしてくれた旅だったようです。

二部 海外旅行トーク・サロン(質疑応答および座談会)では、活発な質疑応答が行われました。

 

開催日:2022年6月12(日曜日)

「オンライン懇親会」

コロナ渦での海外旅行体験談、今後の旅行の計画、英会話の話など・・・様々な話題で懇談することができました。

 

開催日:2022年6月12日(日曜日)

場所:zoomを利用したオンラインミーティング

一部「タイ山岳民族の村訪問記」と題して、タイの山岳民族、ラフ族の村を訪問した方の話をお聞きいたしました。

タイ日本人会会報に JICA海外青年協力隊員の活動手記があり、奥地で村民の生活向上のために働いている若い日本人女性の明るい活動状況が記されていました。「ぜひ訪ねてきてください」の文字に飛びついて親子3人で訪問することにいたしました。

その村へはバンコクから国道1号線を高速バスで北上、4時間でタークへ、そこから目的地であるウムヨム村までローカルバスに乗り換えて、村の入り口で下車すると村民がバイク2台で迎えに来てくれていました。

やっと「ウムヨム村」へ到着、今宵の宿で荷を解き、村内散策へ、村の住宅は高床式住居で床はすのこ張りです。

いたるところに粉ひき臼があります。摘み取ったコーヒーを干している方がいます。子供たちは人懐っこくカメラを向けるとポーズをとってくれます。

JICA海外青年協力隊員の女性の方は村人の中に溶け込んでいて、誰彼無しに声をかけています。

脱穀にも挑戦してみましたが、思った以上に大変な作業でした。

夕食は白飯と野菜、根菜類煮物のおかずを頂きました。(3人分で150円、ちなみに宿泊代は1泊450円)

村では民族衣装のファッションショーを楽しんだり、鍛冶屋さんなど、村人の日常生活を覗いたり、国道沿いにJICAの援助でできたマーケットも訪れ、村長の奥さんが開いているカフェでコーヒーを飲んだりしました。こうして、村での滞在時間があっという間に過ぎていきました。

「ウムヨム村」は「正月は賑やかだから是非来てください!」との誘いに乗って正月の時季に再訪しました。

着飾った女性が集まり、楽器を奏で祈りで神を呼び寄せる正月の前夜祭に参加しました。

正月中は、餅つきの見学、豚の丸焼きなどのごちそうをいただく、夜にお祭り広場で始まり、各自取って置きの衣装をつけて踊る踊りに参加する、などして過ごしました。

時計がゆっくり回るこの世のパラダイス「ウムヨム村」への旅は、電気・ガスやTV・ラジオ・インターネットがない原始的な生活と多くの日本人がとっくの昔に忘れ去ってしまった共同村生活を体験出来た思い出深い旅だったようです。

二部 海外旅行トーク・サロン(質疑応答および座談会)では、活発な質疑応答が行われました。

 

開催日:2022年5月29日(日曜日)

場所:zoomを利用したオンラインミーティング

 一部 「オーストラリアの南端タスマニア島を紹介」と題して、クルーズ旅行の際にタスマニア島に寄った方の話をお聞きいたしました。

タスマニア島はオーストラリア本土の南東部から240kmの南方海上にある島で、最終氷期にはオーストラリア大陸と繋がっていました。現在のタスマニア島の面積は、北海道の約8割です。

タスマニア島は州全体の20%が原生地域のまま残っているという自然の宝庫で、ホワイトワラビー、ハリモグラ、フェアリーペンギン、オットセイ、イルカ、クジラ、アワビ、タスマニアデビル、カンガルー、パディメロン、ウォンバットなどが生息していますが、タスマニアデビル、ウォンバットなどはタスマニア島の固有種です。

この島には先住民族であるアボリジニが氷河期から住んでいたようです。1642年にオランダ人の探検家であるアベル・タスマンがここへやってきたようで、彼の名がタスマニア島の由来になっているとか。

タスマニア州の州都はホバートです。この街は焼津市と姉妹都市になっています。

ここで下船し、市内見学へ、開拓の様子を描いたモニュメントや州議事堂などを見て廻りました。

いよいよ、内陸へバスツァー開始、スワン川沿いを北上します。

マウント・フィールド国立公園に到着しました。ここにはさまざまな景観を楽しめる複数の遊歩道が整備されています。シダやユーカリの森が広がり、森林浴にちょうどよい最も手軽なラッセル滝へのコースを歩きました。途中、ワンプ・ガムの巨木ぶりにびっくりしました。Grottoという光る虫も生息しているようです。

昼は鱒の養殖場で鱒のランチを頂きました。

ボノロン・ワイルドライフ自然保護区へ移動しました。ここには飛べない鳥エミュー(オーストラリアの固有種でオーストラリアの国鳥に指定されている)や青い舌を持つトカゲ、可愛いけれど噛まれると危険なウォンバットなどがいました。ここは有名なタスマニアデビルの保護施設でもありますが、このタスマニアデビル、1990年代には5万頭いたものが、最近は2万頭ほどに激減しているとか。

原因は①タスマニアデビル特有の癌にかかり死亡する。➁タスマニアデビルは夜行性で体が黒いため、夜間運転のドライバーに視認されにくく車にはねられてしまう。③最近オーストラリアでよく発生する山火事で焼け死ぬ。というものだそうです。

何故、タスマニアデビルがタスマニア島だけ残ったかというと、バス海峡ができて大陸とタスマニア島に分離した後、大陸の方では大陸に生息するディンゴというオオカミの亜種の野犬がデビルを食べ尽くしてしまったからだからということです。

タスマニア島の旅は、貴重な自然体験が出来た思い出深い旅だったようです。

二部 海外旅行トーク・サロン(質疑応答および座談会)では、活発な質疑応答が行われました。

 

開催日:2022年5月22日(日曜日)

場所:zoomを利用したオンラインミーティング

 一部 「水の都ベネチア物語 」と題して、ベネチアの旅を楽しんだ方の話をお聞きしました。

ベネチア(ベニス)はベニスの商人などの演劇、ベネチアンガラス、カーニバル、ゴンドラなどで有名です。

「ベネチアとその潟」は1987年に世界遺産に登録されていますが、この土地はもともと湿地帯だったところを人々が干拓して住めるようにしたものです。森から木を切り出して杭を作り、それを、砂地の下にある硬い層に届くまで何本も打ち込み、その杭の上に石を積み重ねて基礎を作り、そこにレンガの家を建てたのです。

「ベネチアを逆さにしたら大きな森ができる」と言われる所以です。5世紀頃にゲルマン人が侵略して来たため、ここへ逃げて来たわけですが、7世紀末には共和制の形を整えて、約1,000年続くベネチア共和国が誕生しました。

11世紀には香辛料貿易の仲介にも乗り出し、ベネチアの全盛時代が幕を開けました。

しかし、オスマン帝国が1453年にコンスタンティノープルを攻略して東ローマ帝国を滅ぼし、プレヴェザの海戦でベネチアがオスマン帝国に敗戦したころからベネチアの勢いは翳りを見せ、大航海時代の到来、ペスト流行によりすっかり落ちぶれてしまいましたが、ベネチアでは過去の栄光が今も燦然と輝いていました。

マルコ・ポーロ空港から水上バスでカナル・グランデ(大運河)に入り、リアルト橋近くの雰囲気のあるホテルに投宿しました。このホテルは運河に面し、ゴンドラが行きかう様子を見ることができます。

翌日は歩いて、サン・モイゼ教会、サンタ・マリア・デラ・サルーテ聖堂に立ち寄りながら、サンマルコ広場へ、ここはナポレオンが「世界でもっとも美しい広場」と評したあまりにも有名な場所です。

鐘楼、絢爛豪華なサンマルコ寺院、ベネチア共和国の最盛期を今に伝えるドゥカーレ宮殿、ため息橋などを観光しました。

なかでも14世紀から15世紀に活躍した画家たちによって描かれた天井画が美しいドゥカーレ宮殿は、絵画のほかにも当時の武器なども展示されており、見どころが多く、大変楽しむことができました。

大運河に沿って徒歩でリアルト橋まで戻ります。途中、サンタ・マリア・デル・ジリオ教会、サン・ステファノ広場、聖シュテファン教会、アカデミア橋などの観光スポットに立ち寄りました。

リアルト橋に着くと今度は水上バスに乗ってカラトラーヴァ橋方向へ、さらにサンマルコ広場で下船し、サンマルコ広場から素晴らしい夕日を堪能しました。

夕食はリアルト橋近くのレストランで美味しい海鮮パスタに舌鼓を打ちました。ビールやスイーツも頂きながらベネチアの休日の時間が過ぎていきました。

ベネチアの旅は優雅という言葉がまさに当てはまる贅沢な時間を過ごすことのできた、幸福感溢れる旅だったようです。

二部 海外旅行トーク・サロン(質疑応答および座談会)では、活発な質疑応答が行われました。

 

開催日:2022年4月24日(日曜日)

場所:zoomを利用したオンラインミーティング

 一部 「カンボジアシェムリアップ・アンコール遺跡群その2 」と題して、カンボジアシェムリアップの周辺観光を楽しんだ方に周辺観光をするにあたっての留意点をレクチャーしていただきました。

シェムリアップの周辺観光スポットとしては、トンレサップ湖、クバールスピアン、プノンクレーン山、プレヴィヒア、コーケー遺跡群、プンコムヌー、ベンメリア、スピエン・コンポンクディなどがあります。

そのうち、トゥクトゥクで行ける(トゥクトゥク用アプリもある)のはトンレサップ湖、プンコムヌー、ベンメリア、スピエン・コンポンクディです。

そのほかの場所に行くには現地ツァー(ベルトラなど)に参加するか、車を雇い独自観光するかの選択になります。

現地ツァーの場合、1人参加は高くなることが多く、遺跡の入場料金は別払いのこともあるので注意が必要です。

車を雇う場合はホテル紹介が安心です。観光場所、値段など事前確認し、運転手にそのメモを渡しておくとトラブル防止になります。

レンタカーは未発展で、国際免許は有効ですが、いい加減だということです。

(トンレサップ湖)伸縮する湖と言われ、雨期の面積は乾期の4倍になるのだとか。ここは他の観光地と合わせて観光したほうがお得です。子供の文房具寄付勧誘には要注意のようです。

(スピエン・コンポンクディ)アンコール時代から残る古代橋で全長90mあります。最近ツァーに組み入れられるようになってきたようです。

(クバールスピアン)シェムリアップ川の源泉にあたる場所です。150mにも及ぶ川底・岩場にたくさんのヒンドゥー神や神話の彫刻が彫られている水中遺跡です。

(プノンクレーン山)アンコール朝の聖山で、ここも川底に1000体のリンガやヴィシュヌ、シヴァの彫刻がある水中遺跡があります。近くに巨大な涅槃物を安置したプリヤ・トム寺院があります。

(プンコムヌー)巨大な岩石群で壁には「夢見るヴィシュヌ神」「ガネーシャ」「ガルーダに乗るヴィシュヌ神」「神々」が刻み込まれています。ベンメリアに合わせて行くとお得。

(ベンメリア)全貌が明らかになればアンコール・ワットを凌ぐといわれるほどの人気の巨大遺跡です。

天空の城ラピュタのモデルになったと言われています。

(幻の都コーケー遺跡群)約300の寺院遺跡や塔の遺跡からなる928年にジャヤバルマン4世によって創られたヒンドゥー教の階段状のピラミッド型遺跡群です。

(プレヴィヒア)タイ国境にあるカンボジア領内に位置するヒンドゥー教寺院です。この遺跡を巡って2008年、2011年にタイと銃撃戦になったようです。天空の遺跡とも呼ばれ、世界遺産になっています。ここから見る景色は絶景です。(焼き畑の煙がある時期は観光には向きません)

アンコールワット観光はアンコール遺跡以外にも、周辺には見どころが多く、リピートもよし、長期滞在もよしのようです。

コロナ渦明けには是非行ってみたい観光地であることを再確認したプレゼンでした。

二部 海外旅行トーク・サロン(質疑応答および座談会)では、活発な質疑応答が行われました。

 

開催日:2022年4月10日(日曜日)

「オンライン懇親会」

コロナ渦での海外旅行体験談、ゴールデンウイークの旅行の計画、ウクライナ、イベントワクワク割の話など・・・様々な話題で懇談することができました。

 

開催日:2022年4月3日(日曜日)

場所:zoomを利用したオンラインミーティング

 一部 「コロナ禍でも行ける、美食と情熱の国スペイン 」と題して、コロナ禍の中でスペイン 旅行を決行した方のお話をお聞きしました。

コロナ禍でも行ける国を探していたところ、諸条件を満たすスペインが筆頭候補に挙がりました。

早速、コロナ保険に加入(10日で5千円)、スペイントラベルヘルスアプリのインストールと登録、東京でPCR検査・陰性証明書受領(英文、即日検査結果判明、1回25,000円ほど)を済ませ、Expediaで予約した便(ドーハ経由、マドリードイン・バルセロナアウト、往復116,780円)に陰性証明書を見せて搭乗、スペインへ首尾よく出発することができました。

機内の乗客は50人位と少なく、マスクや消毒液の入ったアメニティグッズが配られ、安心して過ごすことができました。

スペインのイミグレでスペイントラベルヘルスアプリのQRコードを提示する必要があるなど、ひと手間かかりましたが、順調に入国することができました。

マドリードでは早速、24時間乗り放題の交通カードを入手して市内観光に繰り出しました。

街中では皆、マスクをしていました。(していないと罰金100ユーロ徴収されるそうです)

観光客はやはり少なく、特にアジア人旅行者は見当たりませんでした。

スペイン広場、王宮、マヨール広場、プラド美術館、マドリード海軍博物館、ソフィア王妃芸術センターなどを廻りました。

昼食は普段予約がなかなか取れないというレストランBotinで有名な子牛の丸焼きをいただきました。

夜はリアル・マドリード対バレンシアのサッカー観戦、興奮冷めやらぬまま床に就きました。

翌日はトレド、セゴビアの1日日帰りツァーに参加、世界遺産のローマ水道橋などを見学しました。

その日の夜は情熱のフラメンコショーへ、やはり本場のものは迫力が違います。

新幹線でバルセロナへ移動、バルセロナからジローナなどへショートトリップ、バルセロナに戻って1泊8,000円のホテルに投宿、夜は更けていきました

バルセロナではもちろん、サグラダファミリアなどガウディの作品群、サン・パウ病院などの世界遺産見学を楽しみました。 

パエリア、タパス料理などのグルメもグーグルレンズの翻訳機能を活用し、バルで注文して楽しみました。

日本に帰国するためには72時間以内に受検したPCR検査での陰性証明書(日本政府作成のフォーマットに記入してもらう)が必要なため、旅行代理店で手配してもらった病院で受検しました。(24H以内検査結果判明、100ユーロ)

最後はバルセロナ郊外のモンセラートの日帰りツァーに参加したり、世界遺産カタルーニャ音楽堂を見学したり、オリーブオイルのお土産を買ったり、ピカソが足しげく通ったというカフェテリア「Els Quatre Gats」でイカ墨のパエリアに舌鼓をうったりして時を過ごしました。

帰国、チャックイン時に陰性証明書の提示とMy SoSという入国者健康居所確認アプリをインストールすることが求められました。そうしないと搭乗券がもらえません。

陰性証明書の提示はインタンブールでの乗り継ぎ時にも提示が求められました。

帰りの飛行機もガラガラで乗客は30~40人ほどです。

入国時は質問票webのインストール・入力、誓約書記入提出、抗原検査受検・陰性結果、ホテルでの3日間隔離が求められました。誓約事項に違反したら氏名公表などの罰則があるそうです。

My SoSでの位置情報の報告、居所確認、健康確認、ビデオ通話への応答が求められます。

コロナ禍の中での旅は、いろいろ気苦労があるものの、久々の海外旅行で興奮するほどの喜びがあり、記念となる旅になったようです。

二部 海外旅行トーク・サロン(質疑応答および座談会)では、活発な質疑応答が行われました。

 

開催日:2022年3月27日(日曜日)

場所:zoomを利用したオンラインミーティング

 一部「女子高生とともにマンハッタン8日間、ダコタハウスへ先輩に会いに!」と題して、2019年に地元静岡の高校生を引率してニューヨークの視察旅行に行った方のお話をお聞きしました。

この旅行は静岡出身で、若い時渡米してウォール街で日本人初の証券会社のトレーダーになり、米国で財を成したという、プレゼンターの学校の先輩である女性の方(Mさん)が創設した基金により旅行費用の半分が補填されたことによって実現しました。

視察先として、国連本部、静岡銀行ニューヨーク支店、、MLB・ニューヨーク・ヤンキースと・ニューヨーク・シティFCの本拠地であるヤンキースタジアム、自然科学・博物学に関わる多数の標本、資料を所蔵・公開しているアメリカ自然史博物館、ミュージカル劇場街が広がるブロードウェイ、世界三大美術館の一つであるメトロポリタン美術館、壮大なファサードとメイン コンコースで知られるセントラルステーションなどを巡りました。

また、ハドソン川をゆったりと滑る船に乗ってマンハッタンのスカイラインを眺めるナイトクルーズなども楽しむことができました。

オードリー・ヘップバーン主演の名作「ティファニーで朝食を」のロケ地だった場所で、五番街のティファニー本店にある「The Blue Box Cafe」へ入りたかったのですが、残念ながら予約が取れませんでした。 

ここでオードリー・ヘップバーンがショーウインドーを見つめながら、コーヒーを片手にクロワッサンをかじるシーンは有名です。

旅行費用を補填して下さったMさんのご自宅も訪問させていただきました。

何とその方のお住まいは、あの格式ある超高級アパートとして名を馳せる「ダコタハウス」です。

入居する資格を得るには様々な条件があるので、マドンナさえも入居できなかったとか・・・

この建物、セントラルパークに面し、ビートルズのジョン・レノンの奥さん、小野洋子さんが今も住んでいます。

1980年に玄関前でジョン・レノンが射殺されたことで世間に知られました。

この建物の屋上から眺める眼前に広がるセントラルパークの緑、マンハッタンの超高層ビル群の光景は、格別なものでした。

ニューヨークは物価が高いことで有名です。そのため、レストランも価格が高いので食事は主にファーストフードで済ませることが多かったですが、そのファーストフードも安くはありませんでした。

敬愛する先輩と再会を果たし、若さはじける女子高生とともに行動した視察旅行は、楽しくもあり、とても充実した旅になったようです。

二部 海外旅行トーク・サロン(質疑応答および座談会)では、活発な質疑応答が行われました。

 

開催日:2022年3月13日(日曜日)

「オンライン懇親会」

ウクライナ、皆様の近況報告やコロナ渦での海外旅行の可能性、予定、国内旅行を楽しんだ話など・・・様々な話題で懇談することができました。

 

開催日:2022年3月6日(日曜日)

場所:zoomを利用したオンラインミーティング

場所:zoomを利用したオンラインミーティング

「ドイツ、ベルリンを訪ねて」と題して、ドイツ連邦共和国の首都、ベルリンを旅行した方のお話をお聞きしました。

2015年6月にミュンヘン経由でベルリンを訪ねました。

ベルリンはドイツ連邦共和国の首都でドイツ最大の都市ですが、高層ビルが少なく、緑が多い魅力的な街です。

ベルリンは戦後、東西に分裂し、東西冷戦時代の1961年に有名なベルリンの壁が造られ、1989年にその壁が崩壊しました。実はこの壁を見に行くことがこの旅の主要な目的の一つでした。

この壁を乗り越えて亡命に成功した人は約5,000人いたようで、失敗して亡くなった方は136人だそうです。

中にはトンネルを掘って脱出した人やバルーンで2000m以上の高度を28分(18km)飛行して成功したケースもあったようです。

ベルリンカード(200以上のスポット割引、公共交通機関乗り放題)を購入し、早速、ベルリン観光に繰り出しました。

監視タワー、チェックポイントチャーリー(アメリカ管理の国境検問所)、ミュージアム、Black Box、イーストサイドギャラリー、ハンブルク駅現代美術館、森鴎外記念館、かつて存在した18の門のうち唯一現存するブランデンブルク門、ヴィルヘルム皇帝記念教会、ドイツ歴史博物館、アルぺルマンの店、テレビ塔、ベルリン大聖堂、DDR博物館、新旧ナショナルギャラリー、ペルガモン博物館、ボーデ博物館などベルリンの見どころを廻りました。

日を改めてドイツ連邦議会議事堂見学ツァーに参加したあと、電車で25分、ポツダム(1945年7月アメリカ・イギリス・ソ連の首脳が集まり戦後処理を話し合い「ポツダム宣言」が出されたところ)へ移動、シティツァーで世界遺産のサンス―シ公園、王宮、ポツダムのブランデンブルク門などを観光しました。

ベルリンに戻ってゲシュタポ本部跡、トラビミュージアム、ユダヤ博物館(亡命の庭がある)、デザインミュージアム、ホロコースト記念碑、ソニーセンターなどを訪れた後、ベルリン フィルハーモニー 劇場で世界NO1 オーケストラと誉れ高いベルリンフィルが奏でる調べに酔いしれました。

この旅は冷戦・東ドイツ・ベルリンの壁、ナチスとユダヤ人の苦難、ポツダム宣言など重い現代史の負の遺産を感じながらも、戦後復興を遂げ、ヨーロッパNO1の経済大国に台頭した現代ドイツの経済・文化の発展にも触れることが出来た満足度の高い旅になったようです。

二部 海外旅行トーク・サロン(質疑応答および座談会)では、活発な質疑応答が行われました。

 

開催日:2022年2月27日(日曜日)

場所:zoomを利用したオンラインミーティング

「世界の航空機メーカーが製造する航空機材・機種の話」と題して、航空機用タイヤのエンジニアとして新機開発の一端を担当、同時に事故原因究明や航空機安全性・快適性向上に携わってこられた方のお話をお聞きしました。

空の安全性、経済性、またIATA(国際航空運送協会)や事故時のモントリオール条約(国際航空運送についてのある規則の統一に関する条約)などに関する業界のウラ話も話していただきました。

つかみは高所恐怖症ながら、印象深かったフライトの話で、例えばシアトル空港 着陸時に見るレーニア山はとても美しかったようです。

航空機の事故の8割はクリティカル・イレブン・ミニッツといい、離着陸の11分間に起きるようで、航空機の事故発生率は自動車の死亡事故率の1/33で8,200年間、毎日無作為に選んだ航空機に乗って一度事故に遭うか遭わないかという確率で「航空機は最も安全な交通手段」のようです。

2021年安全なエアラインランキングは NO1 カンタス航空、NO2 カタール航空  NO3 ニュージーランド航空、危険なエアラインランキングは アリアナ・アフガン航空、カーム航空、ブルーウィング航空、トリガナ航空だとか。

旅客機のエンジンが停止して、動力が失われても、風力原動機が備え付けられていて、最低限必要な電力・動力が得られるようになっているという話は安心できるものでした。

現在、大・中型旅客機はエアバス(A300、330、350、380など)か、ボーイング(B747、767、777、787など)のどちらかになるようで、新機開発には膨大な資金が必要なため、撤退している会社も多いようです。

日本のメーカーは機体製造に強く、ボーイングの機体は「準日本製」と呼ばれ、日本の分担比率は3分の1を超えているようです。

世界3大エンジンメーカーはGE、RR、PW。

空港について、高地にあるラパス空港は4,000mの滑走路があるが、日本の松本空港は2,000mしかなく離着陸が難しい空港だそうです。3,000~4,000mが4、5本ある海外の空港に比べ、日本の空港は見劣りするようです。

座席を選ぶ際は尾翼に近い席は、揺れが大きいため、主翼に近い席がいいようです。

その他、航空機事故例や、国際線は事故があれば、定められた補償を受けられるが、国内線は航空会社と個別交渉になることなど、専門的な見地からの興味深いお話を聞くことができました。

二部 海外旅行トーク・サロン(質疑応答および座談会)では、活発な質疑応答が行われました。

 

開催日:2022年2月20日(日曜日)

場所:zoomを利用したオンラインミーティング

「モンテネグロ、アルバニア、北マケドニア、コソボ、旧ユーゴスラビアの旅」と題して、バルカン半島の国々を旅行した方のお話をお聞きしました。

モスタルから、モンテネグロまでバスで入国しました。モンテネグロは九州ほどの面積の小国です。

首都のポトゴリッツァを訪れましたが、タクシーの運転手が「何もないところだよ」と言っていたように本当に、人影が少なく、写真を撮るようなところもないところでしたので、さっさとアルバニアに移動しました。

指導者ホジャの時代、アルバニアは長年、鎖国政策をとっていた過去があり、また国民の大半がねずみ講に加入し、そのねずみ講が破綻したことが経済成長の足かせとなり、ヨーロッパの最貧国争いに名を連ねている国でもあります。

しかしなから、訪れてみるとポトゴリッツァより、街に活気がありました。

タクシーをチャーターして世界遺産となっている「美しい街・ベラト」に行きました。

「千の窓の町」とも呼ばれるベラトの街は石造の家々が山の斜面を覆っていて、その美しい景観に見とれました。

上から街を眺めてみようと思ったのですが、その日はとりわけの猛暑日で体力的に限界を感じ、断念しました。

アルバニアからバスで北マケドニアへ、世界遺産の湖「オフリド湖」を訪ねました。

ここは透明度の高い古代湖で、ぜひ行ってみたかった場所です。

なぜなら、ここの湖畔に立つ聖ヨバン・カネヨ教会が私の好きな映画「ビフォー・ザ・レイン」のロケ地であったからです。

首都スコピエに移動しました。

この街はテーマパークを感じさせる一風変わった街で、街中に置かれた銅像の数の多さに驚かされます。

有名なマザー・テレサが生まれたのは、ここスコピエで、彼女の記念館がありました。

バスでコソボの首都プリシュティナへ、この国はユーゴスラビア解体の過程で起きたコソボ紛争で知られていますが、今はドンパチもなく一見平和です。我が国を含め、多くの国が独立国家として承認しています。

5つ星にしては安く泊まれる「DIAMOND HOTEL」に投宿しました。久しぶりに日本人旅行者と出会いこの国の安い物価について話しましたが、その物価もチトーの時代はもっと安かったようです。

街を歩いていると日本人が珍しいのか、よく話しかけられました。街はセルビア人地区、アルバニア人地区に分かれています。私が歩いた地区の住民はムスリム系(アルバニア人)が多くいるように感じられました。

ぺヤの街へ行きました。ここにはセルビアがコソボの独立を認めない最大の理由のひとつとなっているセルビア正教の総主教座が置かれた世界遺産のペヤ総主教修道院があります。

オリエンタルな雰囲気の外観が印象的でした。

プリシュティナからフランクフルト経由で帰国しました。

この旅は、「ヨーロッパの火薬庫」と呼ばれたバルカン半島の国々が持つ、複雑な紛争の歴史と現実に触れ、また同時に現地の人の優しさにも触れることが出来た、とても印象深い旅だったようです。

二部 海外旅行トーク・サロン(質疑応答および座談会)では、活発な質疑応答が行われました。

 

開催日:2022年2月6日(日曜日)

場所:zoomを利用したオンラインミーティング

「夫婦で行くオランダ旅行」と題して、ご夫婦でオランダを旅行した方のお話をお聞きしました。

よくドイツ自転車旅に一人で行くのですが、「たまには夫婦で旅行しよう!」ということで、2018年5月に同好会の仲間から奨められたオランダを8泊で旅することにしました。

KLMでオランダへ、アムステルダムのレンブラント広場近くのホテルに投宿しました。

翌日、ダム広場、王宮を観光した後、旅行会社へ、午後2時からの運河巡りツァー、明日の北ホランド州ツァーを予約し、その足で国立美術館へ向かいフェルメールの「牛乳を注ぐ女」や思っていたより大きくて驚いたレンブラントの「夜警」などの名画を鑑賞しました。午後は「アムスは運河から見る景色が一番美しい」といわれる水の都アムスの魅力溢れる快適なクルーズを楽しみました。翌日は25人ほどのツァーです。日本人は私たちだけでした。

バスで風車の観光スポットとして人気があるザーンセ・スカンスへ、そして小さな漁村フォーレンダムへ廻ります。チーズファクトリーやワッフル工房(ワッフル作りにトライ)、木靴工場を見学しました。

その後、船でマルケン島へ、独特な木造家屋の村を散策しました。そのまま船でアムスに戻りました。

翌日は列車でアントワープに行き、天井まで100mあるという世界一美しい駅舎や「フランダースの犬」で有名なノートルダム大聖堂などを見学しました。その後、高さ制限のあるアムスとは違って近代的高層ビルが建ち並ぶロッテルダムへ、オランダ最大の屋内フードマーケット「マルクトハル、キューブハウスなどを観光しました。

オランダの古都デルフトの駅舎も現代的で斬新なデザインで有名です。船のレストラン、美術館、マルクト広場、市庁舎、新旧教会、フェルメールの有名な絵「デルフトの眺望」の場所、東門、つり橋、デルフト焼きの店などを廻りました。

灌漑設備用としてつくられた風車群が世界遺産として登録されているキンデルダイクも訪れました。広々とした湿原にその風車群が点在していました。水上バスを利用しました。

ユトレヒトでは、オランダで一番大きな城「デ・ハール城」へ、ユトレヒトの街はフェスタが開催されていて人で溢れかえっていました。

オランダ夫婦旅行は、小さな国土にダイヤモンドのように散りばめられた魅力的な街の魅力を満喫し、食の面でも、イカリングフライ、オムレツ、ニシンの酢漬け、ワッフル、アスパラなどの料理に舌鼓を打ちながら飲む美味しいビールを楽しみつつ、夫婦の絆を強めることができた大満足の旅だったようです。

二部 海外旅行トーク・サロン(質疑応答および座談会)では、活発な質疑応答が行われました。

 

開催日:2022年1月30日(日曜日)

場所:zoomを利用したオンラインミーティング

「オーストラリアの南に位置するパース、郊外の港町フリーマントル、奇岩で有名なピナクルズをご紹介」と題して、クルーズでオーストラリアを旅行した方のお話をお聞きしました。

旅行したのは2年前、すでに武漢でコロナ騒ぎが始まったころでしたが、オーストラリアでは大規模な山火事災害の最中で、コロナは人々の話題にはなっていませんでした。

クルーズ船はフリーマントルに着岸、ここはオーストラリア第四位の商業都市パース郊外の港町でパースから電車で30分です。スワン川から船で上っていくこともできます。この辺りは地中海性気候で、「フリーマントルの医者」と称される南西の海風が吹き、冬でも温暖で過ごしやすい地域です。

入植時代から残るビクトリア朝時代の歴史的建造物と、現代文化が入り混じる魅力的な町を散策しました。

オーストラリアでは日本食が人気で、ラーメン店(一杯 15オーストラリアドル1,200~1,300円ほど)、寿司屋がありました。

駅舎、難破船博物館、アボリジニクラフトショップ、パースのベルタワー、市庁舎、総督府などを観光しました。

観光案内所に紹介してもらい、ミッドランドのワイナリーも訪れました。

シーフード、生ハム、チーズと一緒にいただいたワインは絶品でした。

ピナクルズ(尖塔という意味)はナンバン国立公園にあり、荒涼とした砂漠に奇岩が林立する独特な景観で知られる観光スポットです。パースからワンディツァー(片道3.5時間)で行きましたが、ここへ行く道は1ヶ月前は山火事で通行不能だったようです。

この奇岩は大きいものでは高さ5mあり、その石柱が朽ちた墓石のようにも見えることから「荒野の墓標」とも呼ばれています。400ヘクタールの砂漠にオブジェの様に点在しています。

太古の昔、海辺だったこの一角に貝が堆積して、石灰岩質の土台が造られ、そこに深く根を張った原生林が枯れた後、大地の風化によって根の間に残った石灰岩層が石柱の様に残ったそうです。

フリーマントル刑務所ツアーにも参加しました。

アメリカが独立すると、イギリスはオーストラリアの開拓を本格的に進めるようになり、その担い手となったのが本国から送られてきた囚人たちでした。彼らを収容するために、多くの刑務所が建設されましたが、その囚人遺跡群は世界遺産となっています。

フリーマントル刑務所の6万平方メートルの敷地に、刑務所、守衛詰所や囚人たちが残した絵画や遺品が所蔵されている施設があります。今は刑務所としての役割は終えていますが、看守のアパートは改装されて宿泊施設として一般人も泊まることが出来るようです。

土産店で売られていた、看守の服を着て逃げたという実話から作られた脱獄犯のマスコット人形がユニークでした。

パースはクルーズ旅行の途中で立ち寄った街の一つに過ぎなかったのですが、この街への訪問は「世界一住みたい街」とも言われている理由が十二分に理解できた、特別印象的な訪問になったようです。

 

開催日:2022年1月23日(日曜日)

二部 海外旅行トーク・サロン(質疑応答および座談会)では、活発な質疑応答が行われました。

場所:zoomを利用したオンラインミーティング

「南米コロンビアの世界文化遺産」と題して、南米コロンビアを旅行した方のお話をお聞きしました。

コロンビアへは2度行きましたが、初回はゴールデンウィークを利用して訪問しました。

カルタヘナを訪れました。世界遺産に登録された城壁に囲まれた旧市街には、スペイン植民地時代の特徴的な要塞があり、カリブで一番大きいそうです。旧市街のテクテク歩きを楽しみました。

モンポスへ。ここはコロニアルな街で、落ち着いた雰囲気です。カトリック教会の朝のミサに参加し、敬虔な雰囲気を味わいました。

ボゴダは言わずと知れたコロンビアの首都です。標高が高く、年中過ごしやすい気候です。市内観光へ、カテドラル、大統領府、商店街などを廻りました。フェルナンド・ボテロの絵も鑑賞しました。ケーブルカーで山上展望台へ登ると経済発展した今の大都会「ボゴダ」のパノラマが広がっていました。

ボゴダの南西の山岳地帯に点在する「サン・アグスティン遺跡群(世界遺産)」はプレインカの遺跡群です。行くのが大変でガイドさんと馬で訪れました。

人間や神、動物を彫ったユニークな石像で有名です。

ティエラデントロ遺跡群(世界遺産)へ行くのも酷い悪路でした。ここの遺跡は地下埋葬所と、そこに描かれた壁画、幾何学的模様が見所です。

ここを訪れたときに、コロンビアの大学生のグループとの出会いがあり、酒を飲みかわす機会に恵まれました。

コロンビアは有名なコーヒーの産地ですが、この辺りにもコーヒー畑がありました。

ポパヤンは中心街が白壁で統一されているキレイな街です。バザールへ行きました。賑やかなパレードにも遭遇しました。

南部の街、カリでは、オペラハウス、教会、博物館などを観光しました。

2回目のロンビアは、お盆休みに訪れましたが、カリでサルサのレッスンを受けました。

一人ではなかなか行けませんが、地元の知り合いとともにディスコへ行って、ドレスアップした女性、イケメン男性とともに踊りあかす経験もしました。

イピアレスを訪れました。アンデス山越えの道で、なかなかヘビーな道を通っていきます。ここにはエクアドルとの国境近くの街で「世界一美しい」と評判のラス・ラハス教会があります。

コロンビアは治安が悪いというイメージがあり、日本人旅行者は少ないのですが、その治安も最近は改善され、思ったほど危なくはありませんでした。

物価も日本の1/4~1/5と安く、里山のようなコロンビアの田舎町は心が落ち着き、コロンビア美女(中南米の美人大国 3Cのうちの1つがコロンビア(Colombia)、他はコスタリカ(CostaRica)、チリ(Chile))に囲まれたドキドキの経験もあり、この旅は大変、癒された旅だったようです。

二部 海外旅行トーク・サロン(質疑応答および座談会)では、活発な質疑応答が行われました。

 

開催日:2022年1月16日(日曜日)

場所:zoomを利用したオンラインミーティング

「世界遺産縦断の旅、ライン川クルーズで古城巡り、ドイツ最古の大学がある古都ハイデルベルク、フランクフルト、デュッセルドルフ、ケルン」と題して、ベネチア旅行の帰りにドイツ旅行した方のお話をお聞きしました。

ベネチアから空路でデュッセルドルフに入り、駅の近くのホテルにチェックイン、市内観光へ。

デュッセルドルフには多くの日本企業が拠点を構えており、ロンドンやパリに次いでヨーロッパ3番目に大きな日本人コミュティが形成されているだけあって、日本語の店名の日本人向けの店が多くありました。

日本食が恋しくなり、ご当地のラーメン店では人気NO1なにわへ、たまたま隣にいたルポライターをしているという女性と親しく話が出来、彼女に教えてもらったデュッセルドルフ名物のアルトビールが美味しいというビアレストラン「シューマッハ」でビールをいただきながら、夜が更けていきました。

翌日は、世界遺産「ケルン大聖堂」へ、50階建のマンションに匹敵する高さという、聳え立つゴシック様式の大聖堂の大きさ・荘厳さに圧倒され、思わず「お-っ」と声が出てしまいました。周辺を観光した後、列車でフランクフルトへ移動、食堂車でビールを飲みながら、ライン川沿いの風光明媚な風景を眺めているうちにフランクフルト中央駅に到着しました。

フランクフルトはドイツの金融、経済、交通の要衝、中心都市です。欧州中央銀行、リンゴワイン祭り会場でリンゴワインを堪能、ゲーテハウス、レーマー広場、大聖堂、マイン川河畔を巡り、中央駅近くのホテルに投宿しました。

翌日は中央駅構内に集合、日本語現地ツァーでライン川クルーズ&古都ハイデルベルク観光です。

バスはリューデスハイムへ、ここから船に乗り、ザンクト・ゴアールまでのクルーズを開始、左右には荘厳な古城が次々に現れ、ガイドさんが古城にまつわる様々な逸話を語ってくれます。

美しい少女が船頭を魅惑し、舟が川の渦の中に飲み込まれてしまうというローレライ伝説のローレライの岩も登場しました。ローレライ伝説を詠んだハイネの詩を近藤朔風が和訳した詞とフリードリヒ・ジルヒャーの曲が頭の中に流れて来ました。

まったく退屈することなく、あっという間に世界遺産の絶景クルーズが終了しました。バスでリューデスハイムへ戻り、つぐみ横丁のライブレストランで昼食、近くのワインショップでアイスワインや貴腐ワインなどを試飲して、酔いが回ったところで 古都ハイデルベルクへ移動しました。

ハイデルベルクは城と中心市街地が世界遺産になっています。

ハイデルベルク城は、プファルツ国を治める選帝侯(神聖ローマ帝国皇帝を選ぶ7名の選帝侯の筆頭だった。)の居城でした。数々の戦火の中で破壊されましたが、その風情がロマン主義の芸術家を魅了して以降、人気を博しています。

この街にはドイツ最古の大学があり、9つの分野、18の学部を持ち、3万人近い学生が在籍しています。

以前、大学に自治権があり、大学内はいわば治外法権で、学生がいろいろ問題を起こしても警察が介入できず、大学当局が対応していたそうで、当時、学生を閉じ込めておいた学生牢を見学しました。当時の学生の間では、ここに入ることは「男の勲章」とされ、卒業までに一度は入りたいと考えたといいます。

ドイツでの世界遺産縦断の旅は、ビール・リンゴワイン・ワイン三昧の酔っ払い旅ながら、ドイツが誇る大自然と歴史遺産を十二分に味わった思い出深い旅になったようです。

二部 海外旅行トーク・サロン(質疑応答および座談会)では、活発な質疑応答が行われました。

 

開催日:2021年12月19日(日曜日)

場所:zoomを利用したオンラインミーティング

「アラスカ夏の旅」と題して、ご夫婦でJALのチャーター便を利用した7日間のツァーに参加し、アラスカを旅行した方のお話をお聞きしました。

成田から6時間半かけてアンカレッジ到着後、即バスでウィッテリアへ行き、船でカレッジフィヨルドでの氷河観光クルーズを楽しみました。ここの氷河は海へ流れ込んでいて迫力がありました。

アンカレッジへ戻り、ヒルトンアンカレッジに宿泊しました。

2日目はフェアバンクスへ移動し、市内観光へ、アラスカ大博物館、パイプライン、ゴールデンハートパークを巡り、今夜の宿、チナ温泉の温泉リゾートホテルへ、開放的な温泉を楽しみ床に就きました。 

3日目は終日自由行動、バギーで川に乗り入れたり、馬やヘラジカが飛び跳ねる美しいタイガや草紅葉の光景を眺めたり、10頭立ての犬ゾリ(ソリと言っても夏なので雪はないのですが)に乗ったりしてのんびり過ごしました。

夜は旅の目玉であるオーロラ観賞だったのですが、(ここは晴天率が高く、オーロラが見れる確率が高いことで評判だそうです)なんと温泉のあと、うかつにもウィスキーを飲み過ぎて寝てしまい、見逃してしまいました。(´;ω;`)ウッ… 

4日目はフェアバンクスから、アラスカ鉄道展望車でデナリへ、車窓のアラスカ大自然やいくつも通った鉄橋の光景に時を忘れました。

5日目はバスでデナリ国立公園へ 野生の動物観察を楽しむことができる「ツンドラ・ウィルダネスツアー」に参加しました。

ツンドラとは地面がほとんど一年中凍結し、岩石のように固くなっている土地のことで、夏の間だけ表面だけ溶けて湿地帯となり、コケモモなどが生育し散策を楽しむことができます。

デナリ山(6190m)はマッキンレーとも呼ばれ、日本が誇る冒険家植村直己さんが遭難し、眠っている山です。

世界初の五大陸最高峰登頂者の面影を尋ねるべく、デナリ山岳遊覧飛行にトライしました。

このツァーは高度5000mまで(5500m以上は酸素マスクが必要)なので、地面すれすれを飛行します。

高所恐怖症でもある私は地面に激突しそうになると恐怖で震えていたのですが、妻はセスナ操縦経験があり、平気の平左の風体です。

6~8人乗りのデナリ山バスツァーでは、オオカミが野生の羊を襲う場面に遭遇し、自然界の厳しさを目の当たりにしました。

6日目はフェアバンクス空港から帰国です。

この旅は個人旅行の多い私たちの旅にしては珍しくチャーター便のパッケージツァーでしたが、添乗員がいい人で何でも丁寧に説明してくれ、ホテルもサービスが良く、アラスカのダイナミックな自然を満喫し、サーモン料理とトナカイステーキも堪能したとても満ち足りた旅だったようです。

二部 海外旅行トーク・サロン(質疑応答および座談会)では、活発な質疑応答が行われました。

 

開催日:2021年12月12日(日曜日)

場所:zoomを利用したオンラインミーティング

「EU本部があるベルギー・ブリュッセルを訪ねて」と題して、ベルギー・ブリュッセルを旅行した方のお話をお聞きしました。

成田から、マイレージを利用してANAで、5日間の滞在予定でベルギー・ブリュッセルを訪ねました。ブリュッセルは1830年ベルギー独立以来の首都です。

ホテルは海外旅行時はいつも利用しているIBISにしました。ダウンタウンのはずれにあり、便の良い場所です。

チェックイン後、早速観光に出かけました。レストラン街を抜け、ナポレオンが建てたというギリシア神殿風の元証券取引所ビルを横に見ながら進んでいくと、ブリュッセルNO1の観光スポット「グランプラス」に到着しました。

この広場は市庁舎、王の家など煌びやかな美しい建物に囲まれた100m×70mの長方形の広場で、2年に一度開催される花の祭典「フラワーカーペット」で有名です。「グランプラス」は大勢の観光客で溢れかえっていました。

近くにある世界三大がっかりスポットの一つ「ブリュッセルの小便小僧、別名ジュリアン君」(他はコペンハーゲンの人魚姫、シンガポールのマーライオン)も見学しました。その昔、ブリュッセルを敵の軍が包囲したところ、小便小僧のモデルであると云われるブラバン公の王子が敵の火薬の導火線におしっこをかけて消し、街を救ったという逸話があるそうです。

ヨーロッパ最古のアーケードである「ギャルリーサンチュベール」と「小便小女」に立ち寄ってホテルに戻りました。

翌日はMOBIBカードを購入し、地下鉄で郊外へ、ブリュッセル万博の仮設モニュメントとして1958年に造られた鉄の結晶構造を拡大したデザインの「アトミウム」へ行きました。

昼食にベルギー名物ワッフルを食し、午後から「ブリュッセルデザイン博物館」、市内に戻って「マンガ博物館」、「チョコ・ストーリー博物館」を見学しました。ここでは実際にチョコレートを作っていて試食できます。

ウーバーを利用して静岡銀行の関連会社を訪ね、そこで「グランプラス」にあるゴディバ一号店でイチゴにチョコレートをかけて食べることが出来る、という情報をもらい、その店に行って美味しくいただきました。

夕食は「グランプラス」近くのレストランでベルギービールとともに山盛りのムール貝の白ワイン蒸しを平らげました。

3日目はまた、郊外へ出かけ、「サンカートネル公園」、「国立軍事歴史博物館」、「オートワールド」、「EU本部」、「EU議会」を廻り、夜は牛のビール煮込みとフライドポテトでベルギーの旅を締めくくりました。

この旅はヨーロッパ屈指の美しい街ブリュッセルとベルギーグルメを堪能した、とても心躍る旅だったようです。

二部 海外旅行トーク・サロン(質疑応答および座談会)では、活発な質疑応答が行われました。

 

開催日:2021年12月5日(日曜日)

場所:zoomを利用したオンラインミーティング

「カンボジアシェムリアップ・アンコール遺跡群」と題して、カンボジアシェムリアップ・アンコール遺跡群を観光するノウハウについてレクチャーしていただきました。(2回に分けて紹介、今回は1回目で初めて訪問予定の方向き、基本情報と行くべき遺跡を紹介) 

カンボジアの基本情報 人口:1,620万人、面積:日本の1/2 181,000k㎡、宗教:仏教、電源:200V A-C型 通貨:米ドル(リエル)、観光ビザ必要 1ヶ月間 e-visa 36$、政治体制:立憲民主制、時差:-2時間、観光ベストシーズン:1-3月(乾期)、現代史:1975-1979年ポルポト時代に80~230万人の大量虐殺があった。ところどころに大量虐殺現場がある。(キリングフィールド)

シェムリアップへは日本からの直行便はなく、航空券の値段は例えばベトナム航空でハノイ経由で72,000~140,000円。

旅行費用はシェムリ4日間、ハノイ3日間で、2月の場合、静岡からの新幹線、ホテル代、現地ツァー、お土産代等込みで150,000~170,000円。

ホテルはパブ・ストリート、オールド・マーケットに近いところが便利。

中級ホテル(朝食付き、プール有で1泊3,500円程度)の場合、ホテル・アメニティはあまり期待しないほうがいい。

アンコール遺跡群は世界3大仏教遺跡(他はバガン、ボロブドゥール)の一つ。

アンコール遺跡群は9世紀~15に栄えたアンコール王朝によるもので、建設時はヒンズー教寺院として作られ、16世紀後半に仏教寺院に改修された。

遺跡観光には入場券(アンコールパス)が必要で、1日券:37$、3日券:62$、7日券:72$。

観光での交通手段はトゥクトゥクが便利で1日15~20$。

アンコールパスで廻れるところはアンコール・ワット、アンコール・トム、プリアカン、ニャックボアン、タプローム、プラサット・クラバン。および見どころを解説。

アンコール・ワットではサンライズ鑑賞は必須、第3回廊は人数制限している、日本人の落書きも見るべき。

日本人がカンボジアのシルク伝統絹織物を再興させたこと、アンコールのIKTTクメール伝統織物研究所で工房が見学でき、織物ショップもある。

アンコール・トムは「大きな都市」という意味で、バイヨン(クメールの微笑みの人面像が有名)、バプーオン、象・ライ王のテラスなどの見どころがある。

タプロームはガジュマロに侵食されたされた遺跡で、アンジェリーナ・ジョリー主演の映画「トゥームレイダー」撮影の舞台ともなった人気の遺跡。

などの解説がありました。

アンコール遺跡群は世界中の旅行客が賞賛する第一級の観光地で、リーズナブルながらラグジュアリーなホテルも周辺に多くあり、行ったことのない参加者は、「一度は行きたい!」行ったことがある参加者も「もう一度、行きたい!」と思えたプレゼンでした。

二部 海外旅行トーク・サロン(質疑応答および座談会)では、活発な質疑応答が行われました。

 

開催日:2021年11月28日(日曜日)

場所:zoomを利用したオンラインミーティング

「74才南極ひとり旅」と題して、南極を旅した方のお話をお聞きしました。

今から10年ほど前、海外旅行で訪れた国が50ヶ国を上回り、7大陸(南北アメリカ、ヨーロッパ、アフリカ、アジア、オセアニア、南極)のうち南極以外の大陸をすでに制覇したとき、「次は南極だ!!」と思い立ち、当時、円高で旅行費用が割安ということもあり、思い切ってチャレンジすることにしました。

アメリカン航空とアルゼンチン国内線を乗り継ぎ、南極の玄関口と言われる、フェゴ島のウシュアイアに降り立ちました。

この街は風光明媚で治安もよく、清潔なところで、B&B(1泊3,800円)に宿泊し、数日滞在しました。

いよいよ、砕氷船マリーナ・スベタエバ号(ロシア船、総トン数:4,595t、全長:92m、全幅:17.6m、巡航速度:14.5ノット、乗客定員:89名、乗員:59名)に乗船です。

ドレーク海峡を2日かけて縦断し、サウス・シェトランド諸島などの島を巡りました。

島を訪れるとペンギンやアザラシが出迎えてくれました。クジラの骨もありました。

抜けるような青い空と白い氷河のコントラストが奏でる清々しい絶景に圧倒されました。

時々氷河が割れるバーン、バーンという音が聞こえます。

島々では氷上ハイキング、カヤックツァーなどのエクスカーションを楽しむことができます。

温泉が湧き出る島もあり、のんびり温泉に浸っている方もおられました。

とうとう南極大陸に上陸し、皆で記念写真を撮りました。

年間平均気温が-20度を下回るという南極でしたが、船に帰ると船内は22.3℃に保たれ、温かく過ごすことができます。

3人部屋を20代の日本人の青年と2人で共用しましたが、大変親切な青年で、この年寄りを労わってくれました。

乗客は多くは欧米系でしたが、日本人も7名いて、殆ど東京からの旅行者でとても気のいい人ばかりでした。旅行中は家族のように親しくなりました。

欧米人の乗員、乗客に対しても、拙い英語ながら積極的に話しかけ、会話を試みました。

一緒に写真を撮ったり、折り紙をプレゼントしたりして和気藹藹と、国際交流を楽しみました。

この旅は旅行人生の転機となっただけでなく、極寒の極地にあって、人と触れ合う楽しさ、温かさを噛みしめることができた大満喫の20日間に渡る大旅行だったようです。

二部 海外旅行トーク・サロン(質疑応答および座談会)では、活発な質疑応答が行われました。

 

開催日:2021年11月14日(日曜日)

場所:zoomを利用したオンラインミーティング

「デモを避けながらの香港旅行」と題して、最近は香港国家安全維持法の施行により、デモは鎮静化していますが、民主派の抗議活動がさかんだったころ、香港を旅した方のお話をお聞きしました。

2019年末に 静岡空港→仁川(チェジュ航空) 香港(チェジュ航空)→台北(中華航空)→静岡空港(中華航空)のルートで旅をしました。

静岡空港でラウンジを利用しましたが、利用者が少なく、あまり周知されていないのかなと思いました。

仁川への便は外国人が多く、満席でした。韓国のイミグレでは、入国手続きに1時間半も費やし、閉口しました。香港便待ちのため、雲西駅近くの1泊2,500円の安ホテル(Booking.comで予約)に宿泊しましたが、床暖房もあるなかなか快適なホテルでした。また利用しようと思いました。

当時マスコミで民主派のデモが連日報道されていて、家族からも大変心配されていたため、香港に降り立った時は緊張しましたが、空港内はクリスマスの派手な飾りつけがまだ残っていて、平和そのもので拍子抜けしました。

気温も18,9℃あり、韓国と20℃も違い、とても温かく感じましたが、香港人からすると寒いそうです。

街へ行くバスターミナルはごった返していました。

香港では、深水埗に宿を確保してありました。普通は1泊2万円するホテルでしたが、その時は2泊、2万円で泊まることが出来ました。

街へ出ると道路に民主派が書いたと思われるメッセージを消した跡があり、抗議活動を身近に感じた一瞬でした。空気がピリピリしてきました。デモ隊のアジ演説が拡声器を通して聞こえてきました。

廻りを見ると人々の目線がきつくなっています。

カメラを上げると人々が一斉にこちらを向き、刺すような視線を投げかけてきます。

香港のデモ隊に巻き込まれないようにするために、暴動の様子がわかるサイトが役に立ちました。

Citymapperのアプリも助かりました。Google mapより見やすく、目的までの交通手段の選択肢を数多く示してくれます。交通機関がマヒしているときに大変役立ちました。

 Xiaomi、HUAWEIなど大陸系企業の店舗が民主派により、メチャメチャに破壊されていました。

アメリカ系店舗も当初、「アメリカは香港を助けてくれない!」と反感を買い、破壊の対象となったようです。

スターバックスの店が破壊を免れるため、白いベニヤの板で覆われ、囲われていて、店に入るととても薄暗く、戦時下を感じさせました。

明るい夜の香港の街に繰り出し、しばし香港の暴力闘争を忘れようとしました。

有名なペニンシュラホテルがライトアップされ美しく輝いていました。交通量も多く街の往来は盛んでした。

トヨタのアルファードがこちらでは人気のようでよく見かけました。

バスで市内観光に出かけました。日曜日で雨でしたが、香港で働く多くの東南アジア出身のメイド達が家族や友人とともに公園や道路端で鍋を囲んでいました。週6日働くメイド達にとってはかけがえのない楽しみの時です。

隣に座っていた現地の方と親しくなりました。この方は毎週デモに参加されていて、SNSアドレスを交換でき、帰国後もしばらくやりとりしていましたが、香港情勢が悪化したためか最近は連絡がとれず、心配しています。

香港出国は今まで経験したことがないほど荷物チェックなど厳しいもので、時間もかかりました。

この旅は、危険と隣り合わせの緊張した旅でしたが、印象深い出会いもあり、焼き豚、麺、お粥、豆腐などの香港グルメも堪能した思い出に深く残る旅行だったようです。

二部 海外旅行トーク・サロン(質疑応答および座談会)では、活発な質疑応答が行われました。

 

開催日:2021年11月7日(日曜日)

場所:zoomを利用したオンラインミーティング

「ポーランド世界遺産、ヴィエリチカ岩塩坑」と題して、東欧ポーランドを旅行し、ワルシャワやクラクフ、ヴィエリチカ岩塩坑などの観光地を訪ねた方のお話をお聞きしました。

ワルシャワへは上海、モスクワ経由で行きました。15時間のエアー代は4万ちょっとでした。

ワルシャワに到着すると現地通貨へ両替し、市内への電車のチケット(500円位)を自販機で購入しました。購入方法はYouTubeで確認しました。SIMカード(2,000円しない位)はAmazonで購入済でした。

市内に着くと、ワルシャワは首都ながらこじんまりした質素な中世の街でした。中世の街といっても、戦争中、ワルシャワの町はほとんど壊滅状態になったため、戦後、瓦礫から再建されたものです。

スターリンが建造した文化科学宮殿が中心部に聳え立ち、ひときわ目立っていました。

坂道が多いのでアップルペイで支払えて、30分200円位で利用できる電動キックボードをレンタルし、市内観光に出かけました。

ポーランドは2度地図上から消滅した国です。ナチス・ドイツ占領下のポーランドの首都ワルシャワで起こった武装蜂起の資料等を展示したワルシャワ蜂起博物館、軍事博物館、国立博物館などを廻りました。旧市街の広場には、この街のシンボルである人魚像があります。その像はワルシャワに伝わる人魚伝説に由来しています。昔、人魚が悪徳商人に捕えられそうになった時、漁師のひとりが人魚を助けたため、人魚は感謝を表し、すべての漁師とワルシャワ市民を守ることを誓ったという伝説です。

ワルシャワから古都クラクフへ、列車で2時間半かけて移動しました。

ワルシャワが東京とすると、クラクフは京都のような街です。11~16世紀にはここが首都でした。

クラクフに着くと気温が2度、凍えそうで身震いしました。

コンビニで寿司を購入して食しましたが、寒さで凍っていたのか、シャリが固かったです。

年末年始の時期でホテル代が高かったこともあって1泊800円ほどのバックパッカーが利用するドミトリーの10人部屋に泊まりました。

旅に出ると高級ホテルにも泊まりますが、こういう所もよく利用します。パブリックエリアもあり、そこで旅人同士、情報交換をし合ったりして、旅仲間ができ易く、今でもFacebookでつながっている友がいます。

駅のコインロッカーにスーツケースを預けて、市内観光へヴァヴェル城などを廻りました。

ヴィエリチカ岩塩坑は世界初の世界遺産です。ヴィエリチカ岩塩坑では1グループ30~50人の英語ツァー(3,000円位)を日本で予約してありました。日本語ツァー(7,000円位)にしなかったのは料金が半額で安かったのもありますが、そもそも人が集まらないとツァーを催行できないという事情もありました。

この岩塩坑は巨大で、ツァーで地下に潜ると3時間は地上に出て来れません。迷子になってしまうと大変なことになるので一行から離れないように気を付けなければならなりません。このツァーでは地下120mまで、階段でひたすら降りていきます。膝がガクガクしてきて参りました。

塩は昔「白い金」と呼ばれ、1樽の塩が1つの村と同様の価値があったそうです。

採掘の様子がマネキンで展示されています。王女キンガの伝説を描いた塩の彫像がありました。その昔、ハンガリーの王女キンガが、旅の途中、このヴィエリチカにあった泉に指輪を捨ててしまい、後に王女がそこを訪れて井戸を掘らせたときにそこから塩と指輪が出てきたという伝説です。

しばらく歩いて行くと巨大な大広間に出ました。坑夫が作った塩のシャンデリアが輝いていました。礼拝堂もあり、ダビンチの「最後の晩餐」の塩彫刻が掲げられていました。「よく作ったものだな」と感心しました。歴史の偉人たちの塩彫刻もありました。地底湖では、ポーランドの巨匠ショパンの調べが流れていました。

帰りはエレベーターでエントランスホールへ戻り、食事タイムです。

ビーフシチュー、ザワクラフトなどの料理とビールをいただきました。ビールはチェコが近いせいか、種類も多く美味しかったです。土産にバスソルトを購入しました。

この旅は一人旅でしたが、それゆえに自由気ままに、好きなところに行き、楽しむことが出来た満足度の高い旅行だったようです。

二部 海外旅行トーク・サロン(質疑応答および座談会)では、活発な質疑応答が行われました。

 

開催日:2021年10月31日(日曜日)

場所:zoomを利用したオンラインミーティング

「2017秋ウラジオストック、ハバロフスク領事館を訪ねて」と題して、2017秋にハバロフスク領事館に勤務する知り合いの総領事を友人たちと訪ねた方のお話をお聞きしました。

「ハバロフスクへ行くなら、ついでにシベリア鉄道に乗ろう!!」という友人たちの意向で、成田からオーロラ航空でウラジオストック、ウラジオストックからはシベリア鉄道でハバロフスク、ハバロフスクからはS7航空で成田というルートになりました。今回は現地ガイド付きのプランを旅行社で手配してもらいました。

ロシアへ旅行するのにはいろいろ準備が必要です。

ビザも取らなければなりませんし、以前、ロシア旅行した時にセキュリティの関係でクレジットカードが使えなくて大変不便な思いをしたため、今回は渡航前にカードのセキュリティを緩めてもらわなければなりません。

ウラジオストックでは、鷲の巣展望台へ行きました。ここから見ることが出来るのは戦艦が停泊している金角湾を一望する絶景です。

北朝鮮レストラン、市場、ポクロフスキー聖堂、ウラジオストク要塞博物館、極東連邦大学、潜水艦C-56博物館、ウラジオストク駅なども観光しました。

そして、ウラジオストク発7:30分のシベリア鉄道に乗車し、ハバロフスクまで800km、11時間半の旅がスタートです。

2等寝台車だったので、どうも寝心地が悪く、寝台車のグレードを上げればよかったと後悔しました。

車内で日本のカップヌードルが売っていたので買って食べました。お湯もありました。

ハバロフスクではインツーリストホテルに宿泊しました。日本人旅行者は大体このホテルを利用するようです。

この旅の第一目的である総領事に会いにハバロフスク領事館を訪ねました。

応接室に通されて、食事をご馳走になりました。この旅で一番「美味」な料理でした。

訪問団は皆、経済人でもあったため、極東ロシア経済について2時間ほど、レクチャーしていただきました。

ハバロフスク観光ではアムール川が有名です。日本にはないスケールには目を見張りましたが、残念ながら水はきれいではありませんでした。

レーニン広場、スパソ・プレオブラジェンスキー大聖堂、シベリア慰霊平和公苑・日本人戦没者慰霊碑、日本人墓地(シベリア抑留中死亡者約6万人の内320名が眠っている所)、中央食品市場も訪れました。中央食品市場では日本への土産を物色しました。

ロシアの土産はカニ缶、はちみつ、マトリョ-シカ、琥珀絵、そしてキャビアなどがあります。

キャビアは最高級のペルーガの青ラベル30gで8,000円ほどです。

キャビアのイミテーションも売っているので間違えないよう気を付けないといけません。

今回の旅行は、愛想の悪いロシア人、美味しくないレストランの料理(どうも旅行社の選択ミスかも)、空港でSIMを購入できないトラブルなど、ガッカリしたこともありましたが、気の置けない仲間と充実した時を過ごすことが出来た楽しい旅行だったようです。

二部 海外旅行トーク・サロン(質疑応答および座談会)では、活発な質疑応答が行われました。

 

開催日:2021年10月24日(日曜日)

場所:zoomを利用したオンラインミーティング

「ネパール、殿様トレッキング一人旅、エベレストキャンプへの道」と題して、2004年1月19日―22日カトマンズーポカラ、アンナプルナ展望トレッキングと2004年9月5日~13日カトマンズ―ルクラ、ヒマラヤ山麓トレッキングをされた方のお話をお聞きしました。

2004年1月はポカラからガイドとポーターを引き連れて、なーんてことのない山道をてくてく歩いて、2泊3日のトレッキングがスタートしました。祈りや願いを自然の中の風に託したタルチョの旗が各所にはためいていました。

とある静かな村に宿をとりました。標高1,800mのところです。客はチベットから来たという別の日本人と二人だけです。

食事の時、1羽400円で鳥をさばいてもらいました。気前よく皆で食べようと申し出て、10人ほどで食べたら、親指ほどの骨付き肉片4個ほどしかありつけませんでした。

夜、唸り声が聞こえました。牛の鳴き声でした。

途中出会った子供たちにお菓子をあげました。ネパール語で感謝の言葉をもらいました。彼らが着ていたブルーのジャージには日本からの寄贈なのか板橋中学校の校章がありました。

天気に恵まれてアンナプルナが姿を現しました。魚の尾のようなマチャプチャレ(6,995m)が綺麗に見えました。 ネパールの神に感謝しました。

2004年9月はカトマンズに戒厳令が布かれる中、ツァーが始まりました。ガイド、コック、ポーター3名が同行し、総勢6名という、ツァー代900$の割には贅沢な旅になりました。殿様になった気分でした。

カトマンズ―ルクラまでは空路で行きました。後で知ったことですが、この谷合いの傾斜地に造られたルクラ空港は、なんと世界で一番危険に空港だとか。知らぬが仏とはこのことです。

ルクラから、よく整備されたヒマラヤ山麓のトレッキングコースを歩いて登りました。

昼食をとるときは、ポーターが先に歩いて行って食事の準備をしてくれます。私は食べるだけです。食事は野菜のカレーが多かったです。

適当に休みながらのんびり歩きました。「ゆっくり、ゆっくり、休め、休め」とガイドはよく、唯一話せる日本語で言います。

ヤクもゆったり歩いています。稜線に降る雨で谷筋の水量は豊富で水には困りません。

街道最大の街、ナムチェに到着しました。ここはエベレスト登山の後方基地で標高3,440mのところです。

高山病対策のため、多くのビジターがここに宿を取るようです。

どんどん新しいホテルが建設されていました。労働者が建設資材、石を運んでいました。労働者の一日の日当は700円、飯付きで500円ほどのようです。

泊まったのは別のホテルでしたがEverest View Hotel という豪華なホテルでウィスキーを1杯5$で飲みました。ここのテラスからは晴れていれば美しいヒマラヤの展望を楽しめるようです。残念ながら天気が悪く、見ることはできませんでした。

市場が開かれていました。土産物というより、生活必需品が売られていました。

タンポチェ(標高3,867m)でも泊まりましたが、ここは立派な大寺院と僧院がありました。

ここでオーストラリアの5人組に出会いました。彼らもガイド、コック、ポーターを引き連れての殿様トレッキングのようです。

また、旅先で以前知り合いになったイスラエル人の若者と偶然再会し、夜どおし語らい、宗教や科学の話題で盛り上がりました。

残念ながらここで、雨天待機、翌日下山となり、予定していたペリチェまで行くことはできませんでしたが、4,000m地点に到達したくて、ガイドたちを置いて一人で歩いて登っていき、4,000mまで歩いたことにしました。

ネパールの子供たちはとても人懐こく、道ですれ違うと「ナマステ」と挨拶してくれました。嬉しくて顔がほころびました。

下山の途中、JICAの援助でできたリンゴ園や立派なレストランがありました。

激流にかかる吊り橋を渡ったときは足がすくみました。

無事に下山を果たし、お世話になったガイド、コック、ポーターに上着、Tシャツ、薬、お菓子、靴下をチップ代わりにあげました。

シーズンオフで雨模様の天気でしたのでヒマラヤの山容を臨むことはできませんでしたが、殿様気分を味わえた思い出深い旅だったようです。

二部 海外旅行トーク・サロン(質疑応答および座談会)では、活発な質疑応答が行われました。 

 

開催日:2021年10月17日(日曜日)

場所:zoomを利用したオンラインミーティング

「まだ戦火の跡が残るボスニア・ヘルツェゴビナ」と題して、ボスニア・ヘルツェゴビナを訪ねた方から話をお聞きしまししました。

セルビアからバスでボスニアヘルツェゴビナ・ヴィシェグラードに入りました。

ヴィシェグラードでは世界遺産ソコルル・メフメト・パシャ橋が有名です。

この橋は市内を流れるドリナ川に架かっています。

ヴィシェグラードで幼少期を過ごしたノーベル文学賞受賞作家イヴォ・アンドリッチの代表作「ドリナの橋」のモチーフになったことで世に知られるようになりました。

街にイヴォ・アンドリッチの銅像がありました。

宿は橋の近くで一泊2,400円の安宿でしたが、コストパフォーマンスはよかったです。物価は安く旅人の懐に優しいです。

遊覧船に乗って、また違う角度で橋を鑑賞しました。客は私一人でしたが、見とれるほどの美しい橋を堪能しました。

バスでサラエボへ移動しました。サラエボは盆地ですり鉢の底に街があり、丘の上まで家が建ち並んでいます。

東サラエボ駅に到着しましたが、ここは街の中心部から、離れていたので、タクシーで街まで行きました。

サラエボは冬季オリンピックの会場になったことで有名で、競技場がありました。

ボスニア・ヘルツェゴビナは異なる民族・宗教・文化が混在するモザイク国家で、サラエボにも多くのモスクがあると思えば、セルビア正教の教会堂もあちらこちらにあります。

街の路上に引かれた「SARAJEVO MEETING OF CULTURES」のラインが象徴的です。

この線の東側の方はトルコ風の街並みで、西側の方はヨーロッパ風の街並みです。

ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争(1992年から1995年まで続いた内戦)から、まだ日がそれほど経っていないことを旧市街に残る弾痕が物語っていました。

戦時中、ジャーナリスト達がとどまって報道を続けたホリデイインホテルもありました。

第一次世界大戦の引き金となった 1914 年のオーストリア帝国皇太子フランツ・フェルディナント暗殺事件現場として知られるラテン橋にも行きました。近くに博物館もありました。

モスタルへバスで移動しました。

ここも周辺を含めて世界遺産になっているスタリ・モストという橋が有名です。この橋の東側のイスラム系地区で、西側はクロアチア・キリスト教系地区です。この橋はボスニア・ヘルツェゴビナ内戦時に破壊され、川に落ちてしまいましたが再建され、平和の象徴となっています。

食の面では、羊肉料理、トルココーヒーなどにトライしましたが、トルココーヒーは粉が舌に残り、どうもいただけませんでした。

路面電車の中でスリに付け狙われたり、戦争の負の遺産や戦火の傷跡を巡る心が重くなるような旅でしたが、単一民族で平和ボケした我が国では実感できない、複雑な歴史と文化が醸し出す独特の違和感を感じることができた印象深い旅でもあったようです。

二部 海外旅行トーク・サロン(質疑応答および座談会)では、活発な質疑応答が行われました。

 

開催日:2021年10月3日(日曜日) 

場所:zoomを利用したオンラインミーティング

「ベルギー・ブル-ジュとパリ祭」と題して、ベルギー・ブル-ジュ、そしてパリ祭を訪ねた方から話をお聞きしまししました。

ドバイ経由でブリュセルからベルギーに入りました。

ブル-ジュは旧市街全体がユネスコの世界遺産に指定され、運河、石畳の道、中世時代の建物が特徴的な街で、その芸術的な景観は「屋根のない美術館」と言われています。

ブル-ジュは橋という意味で、確かに500以上の橋が運河にかかっているようです。

街の中心のマルクト広場近くの小洒落たホテルにスイートルームを予約してありました。

チェックインしたときに、ホテルの支配人に静岡土産と言って、お菓子の「こっこ」をプレゼントすると、大変喜んでくれて、ブル-ジュの観光のレクチャーを1時間半に亘ってしてくれました。

教えてもらった知識をもとに早速、観光に出かけました。

マルクト広場は街の中心にある中央広場です。広場周囲にはギルドハウスや州庁舎があり、世界遺産で街のシンボルである高さ 83 mの鐘楼もあります。鐘楼の中は入場制限があり、70人ずつしか入れないようになっています。

鐘楼に登って箱庭のような街の全景を一望すると、まるで絵にかいたような美しさです。

聖母教会を訪ねました。ここにはミケランジェロ作の有名な「聖母子像」の彫刻があります。

運河クルーズも楽しみました。

今もベネディクト派の修道女たちが暮らしている世界遺産の「ベギン会修道院」に行きました。とても静かな場所にありました。ベギン会修道院の南にある「愛の湖公園」では、白鳥が羽を休めていて、ロマンティックな風景を楽しむことが出来ました。

ベルギーはグルメも馬鹿にできません。日本のより、値は半分ながら、量は倍もあるぷりぷりのムール貝、エビクリームコロッケ、白身魚料理、フレンチポテト(ベルギーが発祥らしい)、ワッフル、チョコレートなどに舌鼓を打ちました。

ベルギービールも種類が多く、美味しいことで有名です。特にオススメはフルーティな「ブルックスゾット=ブルージュの馬鹿」という意味」で、昔、神聖ローマ帝国のマクシミリアン皇帝がブルージュを訪問した際、ブルージュの街の人々が馬鹿のふりをして派手なパレードを行い、新しい精神病院を建設するため、資金援助を皇帝に乞うたところ、皇帝が、「ブルージュは馬鹿しかいない。」と言ったという逸話から、ブルージュの市長がそのビールにそう命名したようです。

高速鉄道タリスを利用してパリ祭に参加するため、パリへ移動しました。

1車両に1つしかない対面シートを日本で予約していました。

7月14日のパリ祭はフランス革命記念日=フランス建国記念日で大統領出席のもと、軍事パレードが行われます。

凱旋門(エトワール広場)から、コンコルド広場まで軍隊、消防隊、騎兵隊、装甲車、戦車などがシャンゼリゼ通りをパレードします。シャンゼリゼ通りに入るのにセキュリティチェックがありました。戦闘機やヘリコプターも上空をデモンストレーション飛行しています。

エッフェル塔やセーヌ河の橋から上がる花火を見ながら、しみじみと旅の情緒をかみしめました。

この旅の満足度はとても高かったです。特にブルージュの街はゴミ一つなく、落書きもない綺麗な街で感動しました。ヨーロッパの街はよく訪れるのですが、初めて「ここに住みたい。」と思った街でした。

二部 海外旅行トーク・サロン(質疑応答および座談会)でも、他の参加者のベルギー旅行の経験の披露など、活発な交流が行われました。 

 

開催日:2021年9月12日(日曜日)

場所:zoomを利用したオンラインミーティング

「スペイン2大都市、マドリード・バルセロナ、観光地としての魅力」と題して、マドリード・バルセロナを訪ねた方から、このスペインの二大都市の観光地としての魅力をご紹介いただきました。

スペインが世界中の人々を魅了する理由はそれぞれの地域がもつ異なる風景にあります。

マドリッドとバルセロナも、それぞれ別の国に来たような感覚があります。

バルセロナはスペインのカタルーニャ州の州都で、2000年以上の歴史があり、サグラダファミリアをはじめとしたガウディの作品群、カタルーニャ音楽堂、サン・パウ病院などの世界遺産が市内にあります。

マドリードよりも緯度は高いですが、地中海に面しているため気候は温暖です。

マドリードは スペインの首都で、カスティーリャ王国とアラゴン王国の合併によって成立したスペイン王国の首都となってからの歴史はまだ浅いものの、エル・エスコリアル修道院、セゴビア、トレド、アビラなど近郊に世界遺産があるほか、市内にもプラド美術館、ソフィア王妃芸術センター、マヨール広場、王宮など、多くの観光スポットがある素敵な都市です。盆地なので、夏は暑く、冬は寒いです。

いずれも世界的な国際観光都市で、常に多くの観光客で溢れかえっています。

まず、バルセロナを訪れました。そして真っ先にサグラダファミリアへ行きました。

ここは入場するのにも、いつも混んでいるので、チケットはあらかじめ、日本でサグラダファミリアのホームページを通じて入手していました。

ガウディはスペインが誇る天才建築家で、その建築物には自然界の造形やその鮮やかな色彩が多用されています。

中に入ると、美しく輝くステンドグラスに目をうばわれ、森に木漏れ日が指しているような幻想的な世界が広がっていました。聖堂の柱は自然界にある木々の幹をモチーフにして設計したようです。

午前中いっぱい見学して、お腹が空いてきたため、近くのレストランでパエリアをいただきました。

市内にはほかにガウディ作品群として、グエル公園、カサミラ、カサ・バトリョ、グエル邸などがあります。

ガウディ作品を堪能した後、1929年のバルセロナ万博に合わせて、東京ドームとほぼ同じ面積の敷地に作られたテーマパーク「スペイン村」を訪れました。

ここにはスペイン国内各地方から、117もの建物が集められていて、建物の内部は陶芸、ギターなどの工芸品体験工房やクラフトショップ、フラメンコが堪能できるタブラオや郷土料理を楽しめるレストランなどになっており、スペイン各地の文化を楽しむことができます。

その後、バルセロナ・サンツ駅から AVEでマドリードへ移動しました。

プエルタ・デル・ソル広場近くに宿をとり、市内観光に繰り出しました。

グランビア通り、シベーレス広場、プラド美術館、ソフィア王妃芸術センター、マヨール広場、アルムデナ大聖堂、王宮、スペイン広場、オエステ公園(デボ神殿)などを徒歩で巡りました。

特にベラスケスの「ラス・メニーナス」、ゴヤの「裸のマハ」「着衣のマハ」等のスペイン絵画の傑作をはじめとする3000点ほどのヨーロッパ美術の名作があるプラド美術館はとても見ごたえがあり、大きな感動を覚えられたようです。

昼食はプエルタデアトーチャ駅の近くの店でビールとともにピンチョスを食し、夕食は日本語メニューがある有名なレストランでスペイン伝統料理に舌鼓を打ちました。

夜はプエルタ・デル・ソル広場付近のグランビア通り界隈のぶらぶら歩きを楽しみました。世界最大級の広さを誇る人気のショッピングモール「プライマーク」でお土産などの買い物も堪能したようです。 

この旅はスペインが誇る世界屈指の二大観光都市、マドリッド・バルセロナの観光スポットと芸術・文化を楽しみ、同時にスペイングルメも楽しんだ、幸せに満ちた旅だったようです。

二部 海外旅行トーク・サロン(質疑応答および座談会)でも、他の参加者のスペイン旅行の経験の披露など、活発な交流が行われました。 

 

開催日:2021年9月5日(日曜日)

場所:zoomを利用したオンラインミーティング

「ギリシャ・アテネの古代建築、博物館を訪ねて…2,500年前の古代ギリシャ文明に触れる旅」と題して、クルーズ旅行の際にギリシャ・アテネを訪ねた女性の方の話をお聞きしました。

クルーズ旅行でギリシアのピレウス港に船が着港するやいなや、地下鉄でアテネ観光にくり出しました。(帰路はバス)

ラッキーなことにその日、インターナショナルディだったので、様々な観光施設の入場料が無料でした。

(アテネ国立考古学博物館)

ここはギリシア各地にある遺跡からの出土品のほとんどが収められている国内最大規模の博物館です。

展示品は彫刻、ブロンズなど各コレクションでまとめられ、さらに年代ごと計56の部屋に分かれています。 

海底から出土したと言われる「馬を駆る少年のブロンズ像」アフロディーテと牧神パンの像アガメムノンの黄金マスク(ギリシア神話に登場する伝説の都市トロイアを発掘したシュリーマンがこの黄金マスクはアガメムノンのデスマスクだと主張したが、鑑定した結果、現在は別人のものとされています。ただ、このマスクは相変わらずアガメムノンの黄金マスクと呼ばれ続けているそうです。)アンティキセラの青年像ポセイドン像など主な展示品を鑑賞いたしました。

(古代アゴラ) アゴラとは「人の集まる所」を意味していて市場や集会所などがある公共広場を指すようです。

古代アゴラも人々の交流の場だったようで、政治や経済、文化の拠点として機能していました。

ここで商取引をしたり、人々が政治家やソクラテス、プラトン、アリストテレスなどの哲学者の熱弁に耳を傾けたりして、情報交換を行っていました。

ここにはアタロスの柱廊(2階が博物館になっている。) 炎と鍛冶の神を祀るヘファイストス神殿などの見どころがあります。

(パルテノン神殿)

当日は天気が悪く、午前中は大雨で大理石の足場が滑りやすく、ツァーでここを見学したひとりの日本人が骨折する大怪我をしたようでしたが、この方が訪ねたときには雨はやみ、問題なく観光できたようです。

パルテノン神殿は当時の最高の技術をもって建築された神殿です。

アクロポリスの丘に建つドーリア式の神殿は、建設当時、微妙な曲線を描いた合計46本の円柱(鑑賞者が下から見上げた時に均等に見えるよう綿密に計算されていた。)が支えていたようで、その表面と、ペディメント等に施された装飾彫刻は彩色され、素晴らしい出来でした。

それらの彫刻の多くはイギリスに収奪され、現在大英博物館にあるとのことです。

パルテノン神殿はアテナ女神を祀った神殿で、この女神の名前がギリシアの首都アテネの由来です。

当時、この神殿の内部にはアテナ女神の巨大な黄金像がありました。

パルテノン神殿の北側には6体の女神像が屋根を支える優美なエレクティオン神殿があります。

また、勝利の女神ニケ(スポーツ用品メーカー、ナイキの社名の由来)が祀られているアテナ・ニケ神殿も見ごたえがあります。

他にもディオニソス劇場などいくつかの観光スポットがあります。

これらの建築物は大理石でできていますが、その調達方法は、山から石を切り出した後、ロバで運び、設けられたスロープから、滑車を使って上げたようです。

(グルメ)

ヤギのチーズ、ムサカ、タラモサラダ、デザートで食べたバクラヴァなどのグルメも楽しみました。

アテネ観光は、クルーズ中のワンディ観光でしたが、古代ギリシャ文明にどっぷり浸かり、ロマン溢れる充実した一日だったようです。

二部 海外旅行トーク・サロン(質疑応答および座談会)でも、他の参加者のギリシア旅行の経験の披露など、活発な交流が行われました。

 

開催日:2021年8月29日(日曜日)

場所:zoomを利用したオンラインミーティング

「イタリア農家のアグリツーリズム体験、フレンツェ郊外とソレント」と題して、イタリア農家の民泊を利用して、ご夫婦でイタリアを旅行した方の話をお聞きしました。

農家民宿をベースに近隣地区の観光を楽しむというアグリツーリズムを体験しました。

フィレンツェで2泊し、フィレンツェ観光を楽しんだ後、郊外の農家民宿(ラヴァッキオ)に2泊しました。

この施設にはレストラン、屋外プールがあります。

ここでは、伝統的な農法を使用してワイン、オリーブオイル、小麦粉、野菜を生産しています。

オリーブオイルを日本の10分の1の値段で買うことが出来ます。

料理教室、ワインの試飲、陶芸教室、乗馬、スイミング、マウンテンバイクなどの様々なアクティビティを提供するアグリで、ブドウ園の見学もでき、ワインの製造過程を学ぶことが出来ます。

ここでいただいたTボーンステーキは絶品だったようです。

公共バスを利用してシエナ観光に出向きました。 

お目当ては、シエナの町の中心にあるカンポ広場で開催されるパリオレースです。パリオはシエナで800年以上続いている伝統行事の競馬(裸馬)レース&お祭りです。4万人の観客が広場にひしめいています。

この時期は周辺のホテル代が高騰し、いつもの3~4倍になるそうです。

現地ツァーバスを利用して、ピサの斜塔で有名なピサ観光にも出かけました。

列車でソレントへ移動し、ソレントの農家民宿(イル・ジャルディーノ・ディ・ヴォリアーノ)にも3泊しました。

ここは広大な敷地に数千本のレモンの木が生えるレモン農園です。

ソレント市内観光にくり出し、カフェ・レストランを巡りました。

「帰れソレントへの歌で有名なソレントは綺麗で高級感がある古い街で、風光明媚な絶壁の海岸線が特徴的なリゾート地です。

「青の洞窟」で有名なカプリ島、ポジターノ、アマルフィも訪ね、南イタリアを満喫しました。

ナポリから帰国しましたが、スパッカナポリのピザに舌鼓を打ちました。

プレゼンターの方は現在、オリーブ農園を経営しておられますが、そのノウハウはこの旅行で泊まった農家からも教わったようで、その意味でも大変、有意義な旅だったようです。

二部 海外旅行トーク・サロン(質疑応答および座談会)でも、他の参加者のイタリア旅行の経験の披露など、活発な交流が行われました。

 

開催日:2021年8月22日(日曜日)

場所:zoomを利用したオンラインミーティング

「中国、瀋陽、丹東旅行記」と題して、中国東北部を旅行した方の話をお聞きしました。

4年前に中国東北部を静岡空港発着の北京首都航空を利用したパックツァーに参加しました。

瀋陽は東北3省最大の重工業都市で満州族の王朝である後金(のち清)の時代には北京に遷都されるまで首都として栄えた大都市です。

旧満州時代には奉天と呼ばれ、日本人が多く住んでいたようです。

瀋陽では、瀋陽故宮、張氏帥府博物館、ヤマトホテル、遼寧省博物館を観光しました。

瀋陽故宮は後金の皇帝・太祖ヌルハチと太宗ホンタイジの皇居で、現在は「瀋陽故宮博物院」として一般公開されています。ユネスコの世界遺産になっています。

太宗ホンタイジと皇后の墓が昭陵です。

広大な敷地には、陵墓を中心として後金~清時代の貴重な建築物や石像、池、緑地などが整備されています。

ここも世界遺産です。

張氏帥府博物館は、奉天軍閥の総帥であった張作霖・張学良の官邸および私邸であった建物です。

現在は一般公開されていて、貴重な文化財となっています。 

遼寧省博物館は施設がすばらしく、国宝級のものが展示されています。訪問した時は、茶馬古道についての特別展示がありました。

戦前、南満州鉄道株式会社が経営していた奉天ヤマトホテルは往時、最高級のホテルで、現在は遼寧賓館となり宿泊可能のようです。VIPの宿泊名簿の中に毛沢東や溥儀の名がありました。

新幹線で丹東へ移動しました。パスポートチェックがありました。

丹東は中朝国境鴨緑江を隔てた朝鮮民主主義人民共和国と接する国境の街です。

戦前日本が建設した鴨緑江大橋のすぐ近くのホテルに宿泊しました。この橋は鉄道も通る大橋と朝鮮戦争時に米軍の空爆によって寸断された断橋の2本あります。

鴨緑江の遊覧船に乗りました。北朝鮮側の様子を興味深く観察しました。

上陸しなければ、近づくのはOKのようで、農民の農作業の様子や監視所の兵士の姿を見ることができました。

夜になるとこの橋はライトアップされ、丹東の街のイルミネーションも綺麗なのですが、北朝鮮側へ目をやると暗闇が続き、対照的でした。歴然とした経済格差を感じました。

万里の長城の東起点とされている虎山長城も訪問しました。

瀋陽に戻り、オプショナルのナイトツァーに参加し、夜市にも行きました。

この場所を個人で訪ねるとなると大変なので、パックツァーに参加されたようですが、高校の同級生と再会を果たすなど有意義な旅が出来たようです。

二部 海外旅行トーク・サロン(質疑応答および座談会)でも、他の参加者の中国東北部旅の経験の披露など、活発な交流が行われました。

 

開催日:2021年8月1日(日曜日)

場所:zoomを利用したオンラインミーティング

「もう一歩、踏み込んだ台湾観光を提案します。(第2回)」と題して、何回も台湾を旅行している方にディーブな台北観光について(再開発地区、林邸宅、エビ釣り)、そして「ランタン」をキーワードにした台湾の観光地・イベントの紹介をしていただきました。

(再開発地区)

華山1914文創園区台北駅から15分、日本統治時代の酒工場の跡地を流行やアートの発信基地として開発されたもので注目の場所です。週末にはフリーマーケットが開催され、演劇・展示会も定期開催されています。出店ショップはどれも今の時代感を取り入れているお洒落なお店ばかりで、なかなかセンスよく構成されています。

松山文創園区台北駅から20分、かつての煙草工場をリノベーションし、展覧会や芸術活動を行う場所として生まれ変わった一大文化総合施設です。新施設内にはこじゃれたホテルやショップがあります。

(林邸宅) 

林本源園邸北駅から30分、林家(米屋を開き、経営の才能を発揮、莫大な富を得た)により1893年に造園された台湾が誇る歴史的名園です。古き良き時代の美しさ、優美さ、繊細さを兼ね備え、江南式庭園の特色に富んでいます。

林安泰古厝台北駅から30分、200年余りの歴史があり、市内では最も古い家屋です。1987年に都市開発により、現在の場所に移設されました。

風水を取り入れた庭園は池や滝、景石が巧みに配置され、景観が美しいだけでなく、防衛、防火、給水などの機能も持ち合わせています。

(エビ釣り)

北には多くのエビの釣り堀があります。

餌付きで1時間1200円、1時間で3匹連れれば平均的な腕前のようです。釣ったエビはその場で焼いて食べられ、釣ったエビを食べながら飲むビールは格別です。

(ランタンをキーワードにした台湾の観光地・イベント)

十分駅菁桐駅でのランタン上げ

現地発ツァーに組み込まれたものもあるようです。

線路上にて、昼間の明るいうちから、個別に単体でランタン上げることができます。

ランタンフェスティバル

起源は元宵節で旧暦の1月15日に開催されます。毎年開催地が異なります。

光と張りぼてのショーです。

札幌の雪まつりに似ていて、都市・企業・各種団体単位で参加するようです。

平渓の天燈祭り

これも旧暦の1月15日に開催されます。

参加方法は旅行代理店で申し込む無料の整理券をゲット三重県(観光協定)の参加枠に申し込む」といった方法があるようですが、男性2人で整理券をゲットし、女性に一緒にランタン上げない」と声をかけるというナンパ方法があるとか。

会場はかなり混雑し、トイレも混むので注意が必要のようです。

会場へ行く鉄道はすし詰め状態で、シャトルバスを利用したほうがいいようです。 

二部 海外旅行トーク・サロン(質疑応答および座談会)でも、他の参加者の台湾旅の経験の披露など、活発な交流が行われました。

 

開催日:2021年7月25日(日曜日)

この日は海外旅行トーク・サロンだけ行われ、海外旅行に持って行ってよかったもの、役立ったもの(お土産、スマホアプリなど)について大いに語ろう!!」というテーマで、活発な交流が行われました。

 

開催日:2021年7月11日(日曜日)

場所:zoomを利用したオンラインミーティング

「南米の絶景を訪ねて」と題して、南米の絶景の数々をご夫婦で旅した方に話していただきました。

成田→NY経由リオデジャネイロ、リオデジャネイロ→フォド・イグアス→リマ、リマ↔クスコ、リマ→ロス経由羽田便をオープンジョーで利用しました。(skyscannerで予約)

ホテルはBooking.comで予約、旅程はトラベリーというアプリで管理しました。

 (リオデジャネイロ)

コパカバーナ近くのオーソンパレスホテルに滞在、周りは夜の人出は多かったが、治安が悪いという感じではありませんでした。

リオはコパカコルコバードの丘にある巨大なキリスト像が有名です。ここに来るのが夢でした。登山電車で20分、下車後エスカレーターで簡単に登ることが出来ました。

ここからの風景は、素晴らしく、リオデジャネイロの街やビーチ、美しい海や島々など360度パノラマの絶景を眺望することが出来ました。近くにはセラロンの階段やカテドラル・メトロポターナなどの観光スポットもあります。

(イグアスの滝)

世界三大瀑布(イグアスの滝、ビクトリアの滝、ナイアガラの滝)の中でもイグアスの滝が一番いいと言われています。

12、1、2月が増水期のようでその時期に行くと最も迫力ある光景を楽しむことが出来ます。

公園内のホテルに宿泊しました。ここに宿泊するとフルムーンツァーに参加することが出来るからです。

PM8時すぎからのフルムーンツァーでとても神秘的な風景を味わいました。

アルゼンチン側の通路からイグアスの滝のメインスポット「悪魔の喉笛」に行き、大瀑布を体感しました。

ここでは、滝で気絶する鳥を狙う鳥がいるそうです。

(マチュピチュ)

リマからクスコへ、ここで高山病予防に効くダイヤモックスという薬を服用しました。

マチュピチュへはホテルから車で15分のポロイ駅から展望列車で行き、マチュピチュで宿泊しました。(多くの観光客はバス移動でオリャンタイタンポ駅まで行き、そこから展望列車を利用することが多いようです。)

マチュピチュ村は、土産物屋、レストラン、カフェ、マッサージ屋などが軒を並べていて散策するのに楽しいところです。雑貨、トートバックなどのショッピングを楽しみました。

マチュピチュ村の初代村長が野内与吉という日本人だということを知ったのは、興味深かったです。

マチュピチュの光景は、まさに息を飲む絶景です!! 

こんな山の中にどうやって街を築いたのかが不思議でした。

ここへ来て良かったと心から思いました。

この旅は南米の3つの絶景を堪能し、夫婦の絆を強めることが出来た、思い出深いものだったようです。

二部 海外旅行トーク・サロン(質疑応答および座談会)でも、他の参加者の南米旅の経験の披露など、活発な交流が行われました。

 

開催日:2021年7月4日(日曜日) 

場所:zoomを利用したオンラインミーティング

「中国、ハイテク都市・深圳の旅、驚異的な発展と課題」と題して、深圳を旅した方に「深圳の今」を話していただきました。

わずか人口3万人のひなびた漁村が、経済特区に指定され、IT産業の一大集積地になり、国が進めるハイテク企業振興の波に乗り、今や人口1700万人の「最先端都市・アジアのシリコンバレー」に成長しました。

今もベンチャー企業が続々生まれていて、深圳に住む10人に一人が社長といわれ、平均年齢は32.5歳と若く、GDPは上海、北京に次いで中国第3位と、驚異的な発展を続けています。中国中から人が集まってきたため、広東語圏にありながら、北京語を話す人が大多数のようです。

深圳へは香港経由で行きました。香港の空港からはリムジンを使うと中国入国が便利です。(片道3,300円ほど)

深圳市内では完全自動運転のタクシーやコミュニティバスが走っていました。

公共交通機関は、ほとんど電気自動車です。免許なくても乗れる電動スクーターが音もなく行き交い、簡単にスマホで利用できるレンタサイクルがそこら中に放置されています。

至る所に監視カメラが設置され、行きかう人々の顔と住民登録等の情報が紐づけられているので、交通違反を重ねれば、たちどころに顔写真などの個人情報が街頭に設置されているディスプレイに表示されたり、個人の信用評価のポイントが下がったりするため、違反をする人がだいぶ減ったようです。

人々の生活も激変しました。スマホのアリペイ・ウィーチャットアプリなどを利用して、バス、地下鉄などの交通機関・屋台・店舗でのQRコードキャッシュレス払い、ワクチンの接種証明、カラオケの曲予約、運転代行予約、モバイルバッテリーなどのシェアサービス利用、ファーストフードなどの注文、ストリートパフォーマーへの投げ銭などに利用されています。ウィーチャットアプリをダウンロードし、中国人の知人に頼んで送金してもらい、滞在中は重宝に利用させていただきました。

もはや現地では現金を持ち歩く人はほとんどいないそうです。

電気街へ行きました。スマホなどのガジェットものを安く買うことができます。

アイホンそっくりのアンドロイドスマホが売られていました。ラジオやテレビも視聴でき、「本物より、機能が優れているかも?」と思える代物でした。

市の中心から車で一時間、塩田海鮮街へ行きました。

海鮮料理屋が所狭し、と軒を連ねていて海鮮を大変安く食べることが出来ます。

海を見ながら、1瓶100円ほどのビールをぐび飲みしながら、海鮮料理に舌鼓を打ちました。 

深圳の温浴施設は、規模が大きく、豪華でリラックスできます。マッサージも2時間4,000円弱で利用できます。

「世界の窓」というテーマパークも必見です。広大な敷地に世界中の名所がジオラマ化されており大人でも楽しめます。

海上世界にあるホテルと飲食店が入った観光スポット、大型船「海上世界」も人気です。

日本のMUJIとDAISOが合わさったような「メイソウ」という店がありました。

日本にも出店しているそうで、なかなか品質がよさそうな物が売っていました。

食の面では、串焼き、中国鍋、牛しゃぶ・・・いろいろ楽しめます。

和食では立ち食いの「富士そば」が現地では高級店の風貌です。

蛇専門レストランで蛇料理にも挑戦しました。鶏肉のような味でまあまあでした。

中国旅で不便な点は、ネット規制があり、LINE、Google、Facebookなどが利用できないことです。

ただし、その点はドコモの安価なahamoのローミングサービスが開始したのでクリアーできそうです。

ずるくやってもうまくいけばOK!! 若干問題あっても、6、7割の完成度であればノープロブレム!!走りながら改善しよう!!という価値観の中国での道中はなんとなく危なっかしいながら、刺激的な旅を楽しむことが出来たようです。

二部 海外旅行トーク・サロン(質疑応答および座談会)でも、他の参加者の中国旅の経験の披露など、活発な交流が行われました。

 

開催日:2021年6月27日(日曜日) 

場所:zoomを利用したオンラインミーティング

「ミャンマー博物館巡り」と題して、ミャンマーの博物館でJICA協力隊のメンバーとして活躍された方にミャンマーの様々な場所の博物館を紹介していただきました。

ヤンゴンの国立博物館と首都ネピドーの国立博物館で働きながら、他の博物館も巡りました。

(ヤンゴン)

ヤンゴンの「国立博物館「は、ミャンマーで最大の博物館です。かなり広く、5階建てでミャンマーの歴史や文化に関する展示物を見ることができます。

最大の見所は「獅子の玉座」です。ミャンマー最後の王朝の首都・マンダレーの王宮内に9ヵ所あった王座の内の一つで、イギリス軍によるマンダレーの王宮攻略の際にインドへと持ち去られたものが、その後ミャンマーへと返還されたものです。

「ボージョーアウンサン博物館」は独立運動の英雄、アウンサン将軍が暗殺される前に住んでいた邸宅を博物館にしたものです。

「宝石博物館」は世界で最も多く産出するヒスイほか、ルビー、サファイア、真珠、琥珀など、様々な宝石が採れるミャンマーにふさわしい博物館です。建物は4階建てで、4階が博物館、1階から3階のフロアには宝石店がひしめいています。

「麻薬撲滅博物館」は、世界有数の麻薬産出国であるミャンマーならではの世界でも珍しい麻薬の巨大な博物館です。麻薬の作り方から中毒者から取り出された内臓の標本に至るまで、麻薬に関する展示物が展示されています。

シェタゴンパゴダの中にもミュージアムがあります。

(ネピドー)

ネピドーの「国立博物館」は、静岡県立美術館の4.5倍の広さで、20もの展示室があります。

ミャンマーの歴史や文化の集大成とも言える展示物があります。

「宝石博物館」は1階が宝石屋で、2階が博物館になっており、6万3000カラットで約12キロもある世界最大のスターサファイア(以前ヤンゴンにあった)があります。

年に1.2回、ヒスイの取引で世界中から業者(中国からが多い)が来るようで、この時は入場料が500ドルになるようです。

「軍事博物館」は東京ドーム52個分の広大な施設で陸・海・空軍の展示館があり、戦闘機などが展示されています。

(マンダレー、バガン)

「マンダレー王宮博物館」、バガンの仏塔群に安置されている仏像は盗賊対策のためレプリカがおかれているが、本物が収蔵されている「バガン考古学博物館」、バガンの「漆器ミュージアム」などを巡りました。

ミャンマーでの生活はアウンサンスー・チー女史や岸田元外務大臣の来館に立ち会うなど、充実した日々だったようです。

二部 海外旅行トーク・サロン(質疑応答および座談会)では、ご参加いただいたミャンマーの方も交えて、活発な質疑応答が行われました。

 

開催日:2021年6月20日(日曜日)

場所:zoomを利用したオンラインミーティング

「北フランス紀行」と題して、北フランスをレンタカーで旅した方のお話をお聞きしました。

ヨーロッパへはちょいちょい行くのですが、どうも長時間直行便がダメで、エミレーツ航空を利用してドバイでストップオーバーすることが多いです。

今回もドバイのホテルのスィートルームで1泊し(旅行した時期は格安だった)、フランスへ向かいました。

有名なセーヌ川はデジョン→パリ→ルーアン→オンフルールとエトルタの間のセーヌ湾へ注いでいますが、今回はそれを逆流するように、CDGからレンタカーを借りてエトルタへ(所要時間3H)そしてオンフルール(1H)→ルーアン(1H)→ベルサイユ(1.5H)→シャルトル(1H)と廻りました。

フランスでの車の運転はパリなど市街地では大変ですが、郊外は車も少なく、らくちんです。

エトルタはノルマンディー地方にある小さな街で石灰質の断崖が続く海岸にあります。

ノルマンディー地方は第二次世界大戦中、1944年6月6日のD-DAYで連合軍によるノルマンディー上陸作戦で有名ですが、印象派の巨匠クロード・モネがル・アーブルに居住し、印象派の聖地(モネの代表作「印象・日の出」から印象派と呼ばれるようになった)としても知られています。

オンフルールはル・アーブルの近くの漁村で、旧港の風景はたびたび印象派の絵画の題材になったほど美しく、多くの観光客が訪れています。

木組みの家の街並みが印象的です。

サント・カトリーヌ教会はフランス最大の木造の教会で、船大工たちにより、その造船技術をもって建てられたものです。

訪問した時、ミサが行われていて、神聖な気持ちになりました。

景色のみならず、食の面でも漁村だけあって海鮮が美味しく、ホテルに頼んで予約していた店で、プリプリの牡蠣の料理に舌鼓を打ちました。

以前、この辺りでカキの病気が蔓延し危機に陥ったとき、カキの幼生を送って窮地を救ったのが、日本の養殖業者たちだったようです。

ルーアンはノルマンディー公国の首都だっただけあって立派な街で、見渡すと50以上の尖塔がそびえています。

ここはジャンヌ・ダルクが処刑された地としても有名です。

モネの作品で有名なルーアン大聖堂へ行きました。(三大ノートルダム寺院の一つ)

キリストの生涯が描かれたステンドグラスの美しさには心踊りました。 

この地方の名産ガレットを食べに行きました。

ノルマンディは北過ぎてワインの原料となるブドウがうまく育たないのか、ワインはいまいちですが、代わりにリンゴ酒(「シードル」や「カルヴァドス」)が有名です。

デザートのリンゴでできたタルト・タタンも絶品でした。

シャルトルにも三大ノートルダム寺院の一つで有名なシャルトル大聖堂があります。

実はこの街に来たのは、期間限定で開催されるシャルトル大聖堂のプロジェクションマッピングを見に来たのです。

大聖堂に映し出された映像はまさに幻想の世界!! 大聖堂だけでなく、美術館の壁や橋もプロジェクションマッピングの対象になっています。

昼間もこの大聖堂のステンドグラスがこれまた美しく、その青色はシャルトルブルーと呼ばれています。

この旅では、三大ノートルダム寺院の二つの大聖堂の美を楽しみ、世界三大料理のフランス料理を楽しんだ大満喫の旅となったようです。

二部 海外旅行トーク・サロン(質疑応答および座談会)でも、他の参加者のフランス旅の経験の披露など、活発な交流が行われました。

 

開催日:2021年6月13日(日曜日) 

場所:zoomを利用したオンラインミーティング

一部「旧ユーゴスラビアの首都ベオグラードを訪ねて」と題して、セルビアの首都ベオグラードを旅行した方の話をお聞きいたしました。

ベオグラードへはANA便を利用して、フランクフルト経由で行きました。

ベオグラードに到着して、まず、明日ボスニアヘルツェゴピナへ移動するためのバスチケットを購入いたしました。

その後ベオグラード市内へ繰り出しました。

ベオグラードはヨーロッパ最古の都市であり、旧ユーゴスラビア最大の都市です。

コソボ紛争でNATOから爆撃を受けたビルが今でもそのまま残っていました。

空爆時、政府系機関が建ち並んでいたため、この通りは空爆の標的となりました。

この通りはクネズ・ミハイロヴァ通り、別名空爆通りと呼ばれているようです。

ベオグラードの街の散策を続けました。

この街は起伏があり、坂が多いので少々疲れましたが、歴史ある街並みを楽しむことができました。

ドナウ川のほとりにある街なので、水には不自由しないようで、街のあちらこちらに噴水・水飲み場があり、さわやかさを感じることができました。

街の一角に物売りしている異様な集団がいました。

彼らはシリア難民のようです。

シリアのイスラム過激派、ISの支配から逃れ、ここまで来て、さらにハンガリー、ドイツへ移動しようとしたようですが、ハンガリーが国境を閉鎖しており、彼らはこの街にとどまらざるを得なかったのです。

公園などで寝泊まりしているようでした。

公園では、シリア難民のために炊き出しも行われていました。

日本では、テレビの画面、新聞紙面でしか目にすることができない現実を目の当たりして、感慨深いものがありました。

疲れが溜まってきたので、駅の近くの食堂で簡単に夕食をすませ、ホテルに戻りました。

ベオグラードの滞在はわずかでしたが、シリア難民に遭遇するなど、いろいろ考えさせられる訪問となったようです。

二部 海外旅行トーク・サロン(質疑応答および座談会)でも、他の参加者の戦争遺跡を訪れた旅の経験の披露など、活発な交流が行われました。

 

開催日:2021年6月6日(日曜日) 

場所:zoomを利用したオンラインミーティング

一部「スペイン三都物語、古(いにしえ)の首都を巡る旅」と題して、西ゴート王国の首都であったトレド、ウマイヤ朝の首都であったコルドバ、セビリア王国の首都であったセビリアをツァーで廻った方の話をお聞きいたしました。

コルドバは、スペインのアンダルシア州コルドバ県の県都で花の都と称される美しい街です。西暦711年、イスラム教徒により西ゴート王国が征服され、成立した後ウマイヤ朝は、コルドバを首都としました。

紀元前1世紀に造られた美しいローマ橋は修復を繰り返しつつ、現在でも使用されています。

メスキータ(スペイン語でモスクのこと)は、785年アブデアラマン1世によって建てられた巨大なイスラム教寺院でしたが、今ではカトリック教会の司教座聖堂となっています。

中へ入ると、見渡す限りの石灰石と赤レンガで作られた二重のアーチの柱の森に圧倒されました。

「ミフラーブ」(メッカの方向を示す場所)がありましたが、その豪華な装飾に舌をまきました。

コルドバは昔は学問の中心地として非常に繁栄したところで、多くの人が移住して来ました。ユダヤ人も10世紀から15世紀末にかけて多く住んでいたようです。

このあたりのユダヤ人街の路地の両側には美しい花が飾られた白壁の家が立ち並んでいます。市街地全体が「コルドバ歴史地区」として世界遺産に指定され、年に一度の花の祭典パティオ祭りでは、家々は花でいっぱいになります。

昼食は近くのレストランで名物冷製スープであるガスパチョとオックステールシチューを美味しくいただきました。

セビリアはイスラムのセビリア王国の首都で、レコンキスタ後の大航海時代には繁栄を極めた華麗なる都です。スペイン3大祭りの一つセビリアの花祭りの開催地としても有名です。

1929年にセビリアで開催された万国博覧会の会場施設として造られたスペイン広場へ行きました。

両翼に半円形に広がる回廊がとても美しく、無料で鑑賞できるフラメンコの踊りを見ながら、暫し、時を忘れて休憩しました。

スペインで2番目に古い闘牛場「マエストランサ闘牛場」も訪ねました。スペインで2番目に古い闘牛場のようで闘牛の歴史を学ぶことができました。

さらに世界3大カテドラルの一つ、世界遺産のセビリア大聖堂へ廻りました。

その荘厳さ、巨大さに圧倒されました。横にそびえるヒラルダの塔は階段でなくスロープで登ることができ、セビリア市内を一望できます。

近くのユダヤ人街サンタ・クルス街は細い路地が迷路のように続き、中世から抜け出てきたような白壁の家に花やセビリア焼きが飾られていました。

アンダルシア地方で最長を誇る川であるグアダルキビル川をクルーズしました。

途中、トリアナ橋をくぐりましたが、トリアナ橋に名前を書いた南京錠かけると、そのカップルは一生一緒にいられるという言い伝えがあるようです。

「トレドを見ずしてスペインを語るなかれ」といわれるほど美しい古都トレドは古くは、フランク王国に敗れた西ゴート王国が首都とした街です。

スペイン画家三大巨匠のひとり、エル・グレコが住んだ街として有名です。クレタ島で生まれたギリシア人のエル・グレコはこの街に移り住み数々の名画を生み出しました。

移住後の初仕事としてトレド大聖堂から任された「聖衣剥奪」を鑑賞しました。

当時、大聖堂側は「キリストの頭より群衆の位置が高い」、「マリア様が3人もいる」などと難癖をつけて報酬を踏み倒そうとしたようです。

エル・グレコが独自の作風で描いた最初の作品で最高傑作ともいわれる「オルガス伯爵の埋葬」も、トレドのサント・トメ聖堂に展示されており、その独特の生気ある描写に感激しました。

スペイン三都巡りの旅はいにしえのスペイン帝国の栄華を体感するとともに、スペインの美食に舌鼓を打った幸福感溢れる旅となったようです。

 二部 海外旅行トーク・サロン(質疑応答および座談会)でも、他の参加者のスペイン旅の経験の披露など、活発な交流が行われました。

 

開催日:2021年5月30日(日曜日) 

場所:zoomを利用したオンラインミーティング

一部「神秘の島バリ島を旅して」と題して、「神の宿る島バリ島を旅した方の話をお聞きいたしました。全日空&タイ国際航空を利用し、バンコク経由でバリ島を訪れました。

インドネシア・バリ島は5つもの世界遺産が集まる神秘的な美しい島で、アジア屈指のリゾートアイランドです。 

4世紀頃から、インドのヒンドゥー教と仏教が伝わり、その後8世紀から土着宗教と仏教が混じった「バリ・ヒンドゥー教」が生まれました。

その教えは、神と人と自然が調和することで、人々が幸福に生きることができるというもので、今日のSDGSに通じるものがあります。

インドネシアはイスラム教国ですが、このエリアだけはヒンドゥー教独特のエキゾチックな文化があります。

滞在ホテルはDUTY FREE SHOPやショッピングモールに近く、初日はKURA-KURA BUS(キュートな緑色、カメのマークの乗り降り自由の観光バス)の5DAY PASSを購入し、クタビーチやその周辺を散策しました。

クタには2002年、テロにより202人が死亡した事件の記念碑があります。

一日の締めにビンタンビールを美味しくいただきました。

翌日は山のリゾート、ウブドへ行きました。ウブドは16世紀から20世紀に至るまでの王制下で政治・文化の中心地だったところです。

モンキーフォレスト、王宮、美術館などを巡りました。

次の日は半島部の高級リゾートエリア、ジンバラン地区のラグジュアリーリゾートホテル、アヤナ リゾート&スパ バリを訪れました。

ここだけでゆったり過ごして楽しむことができるようになっている統合型リゾートで、バリの休日を満喫しました。

翌日は運転手、ガイド付きの貸し切りツァーに参加し、3つの世界遺産を訪れました。

タマン・アユン寺院、ジャティルウィの棚田、ウルン・ダヌ・バトゥール寺院です。

コーヒー園、美しいサンセットで有名なバリ随一の観光名所タナロット寺院などもツアーのポイントでした。

次の日はKURA-KURA BUSのデンパサールを廻るツァーにふなっしーとともに参加し、独立を記念した広場、ミュージアムなどへ行きました。

バリを体験して、なぜ欧米の観光客が大挙して訪れるのか?不思議なバリの魅力が理解できたようです。

洗練された海のリゾート、山のリゾート双方を堪能し、大満足の休暇となったようです。

 二部 海外旅行トーク・サロン(質疑応答および座談会)でも、他の参加者のバリ旅の経験の披露など、活発な交流が行われました。

 

開催日:2021年5月23日(日曜日) 

場所:zoomを利用したオンラインミーティング

一部「「南ドイツ(バイエルン州)の自転車旅」と題してたびたびドイツをサイクリング旅で訪れている方の話をお聞きいたしました。

まず、フランクフルトから電車で40分のハーナウへ、この街はグリム兄弟の生まれ故郷として有名でドイツ、メルヘン街道の起点でもあります。

マルクト広場内の街の中心部に建つグリム兄弟国立記念像などを訪れました。

自転車専用道路を使ってサイクリングツァーを開始、ヴェルトハイム、バートメルゲントハイムを経てローテンブルクへ、ローテンブルクは中世の宝石箱とも呼ばれるバイエルン州随一の観光地です。

市庁舎、マルクス塔などを巡りました。

そしてニュルンベルクへ、ニュルンベルクは第二次世界大戦後の「ニュルンベルク裁判」「ニュルンベルクソーセージ」などで有名な街です。

神聖ローマ帝国の皇帝が築いた城がある城塞都市で城壁の周りを自電車でスイスイ廻りました。

それからカフェで至福の一服、この旅で一番リラックスしたひと時でした。 

アウクスブルグへ移動し、市庁舎3Fにある黄金のホールを訪れたり、さらに南下し、ロココ様式の美しいフレスコ画が一見の価値がある世界文化遺産ヴイース教会を見学したりしました。

ロマンティック街道が終着する町フュッセンからはノイシュヴァンシュタイン城がよく見えました。

そして大都市ミュンヘンでは、BMW本社へ、この会社の本社ビルはエンジンのシリンダーを模した円筒形を4つ組み合わせたような形をしており、英語でフォー・シリンダー (Four Cylinder) と呼ばれています。

1972年夏季オリンピックのために建設されたオリンピックパークも訪れました。

もちろん、ビアガーデンでドイツの美味しいビールを堪能しました。

帰りはフランクフルト近郊の街、有名なヨハニスブルク城があるアシャッフェンブルクにも立ち寄り、フランクフルトから帰国の途につきました。

1日60キロほど、自転車で美しい自然の風景や中世の街並みを走り抜けた後、ソーセージなどをつまみにしながら飲むビールは最高の贅沢のようで、これを味わうとドイツサイクリングツァーはやめられないだろうなと聴衆、誰しも納得するプレゼンでした。

 二部 海外旅行トーク・サロン(質疑応答および座談会)でも、他の参加者の旅での自転車利用経験の披露など、活発な交流が行われました。

 

開催日:2021年5月16日(日曜日) 

場所:zoomを利用したオンラインミーティング

一部「アメリカCA州ヨセミテ国立公園の旅」と題して、8月後半、サンフランシスコから約300㎞東方に位置するヨセミテ国立公園へご夫婦で旅した方の話をお聞きしました。

ヨセミテ国立公園は自然保護を目的とした国立公園で、1984年世界遺産(自然遺産)に指定されています。

ヨセミテは以前から気になっておられたようで、そこでのんびりとした休暇を楽しむのが夢でした。

ヨセミテへはレンタカーを利用して行かれたようです。

途中、サクラメント近くのディビスで農産物直売などのフリーマーケットに立ち寄りました。

サンフランシスコからヨセミテまで車で4時間かかります。

UA直行便の長距離フライトの後だったので、疲れと眠さで運転がしんどかったようです。

ヨセミテでは有名なアワ二―ホテル(マジェスティック ヨセミテ ホテル)に泊まりたかったのですが、予約できずTenaya Lodgeに宿泊しましたが、そこは森の中にあるホテルで夜は満天の星がキレイに見えました。

プールなどもあり、スイミング好きの奥様にもよかったようです。

ヨセミテ渓谷では、無料のシャトルが利用できます。

セコイア大木の見学、トンネル・ビュー、ハーフドーム、エル・キャピタン、ブライダルベール滝、ヨセミテ滝、グレーシャーポイント、ビジターセンターなどの観光ポイントを楽しみました。

ただ、滝は8月になると殆ど水が無くなるようで、チョロチョロの残念でした。

昼食は現地では調達が難しかったので、サンドウィッチをホテルで作ってくれたのが助かりました。

ヨセミテからサンフランシスコに戻り、ニッコーホテルに宿泊してサンフランシスコ観光も楽しみました。

サンフランシスコは国際的な観光都市でゴールデン・ゲート・ブリッジなどの観光資源があり、毎年400万人の人が訪れています。

有名な世界最古の手動運転の循環式ケーブルカーに乗りました。

フィッシャーマンズワーフは、ギラデリ広場やヴァン・ネス大通り東から、ピア35やカーニー通りまでのウォーターフロントエリアでいつでも多くの人でにぎわっています。

東京築地の場外市場のように、ここでも美味しい海鮮料理が食べられるそうです。

アメリカは確かに食事の面ではヨーロッパに劣るものの、この方がアメリカ各地で食べ歩いた中でも、田舎のオールドファッションバーガー、メイン州のロブスターロール、NYグランドセントラル駅のクラムチャウダー、フロリダのフルーツのスクイーズドジュースなどは絶品だそうです。

眠い目をこすりながらの車の運転中、隣でグーグー寝ていた奥さんに若干イラっときたものの、夫婦愛を深められたのんびり旅だったようです。

 二部 海外旅行トーク・サロン(質疑応答および座談会)でも、他の参加者のサンフランシスコ滞在の経験の披露など、活発な交流が行われました。

 

開催日:2021年4月25日(日曜日) 

場所:zoomを利用したオンラインミーティング

一部「地下鉄で巡るニューヨーク、マンハッタン島」と題して、ニューヨーク、マンハッタン島の観光地を訪れた女性の方の話をお聞きしました。

ニューヨークはクルーズ旅行の寄港地で10月も終わりの頃に訪れました。アメリカの独立戦争100周年記念にフランス市民より寄贈されたという自由の女神像(台座から測ると93mの高さがある)、エリス島を横に見ながら埠頭に到着、下船に際しては入国審査が厳しく2時間以上かかりましたが、その日の夜、なんとかインターネットで予約していたブロードウェイの有名なミュージカル劇場(マジェスティックシアター)で「オペラ座の怪人」の開演に間に合い、観劇することができました。ロードウェイはアメリカのエンターテインメントのメッカで39の500席以上のシアターがあります。その中でもマジェスティックシアターは最大の劇場の一つで歴史もあり有名な劇場です。

前から3列目の特等席です。2階席なら3千円で済むのですが、一生に一度と思い、2万円ほどの大枚をはたいて予約していたので間に合ってほっとしました。

観劇後、タイムズスクエアへ繰り出しました。この名は1904年から1913年までニューヨークタイムズ本社があったからつけられた様です。近くの店でチーズケーキとオニオンスープを美味しくいただきました。

次の日は、地下鉄(メトロカードを5.5ドルで購入、24時間乗り放題、シングルカード3ドルなので2回乗れば元が取れる)レッドラインで南下し、グラウンドゼロへ。

グラウンドゼロは英語で「爆心地」を意味していて、アメリカ同時多発テロの標的となったワールドトレードセンターが倒壊した跡地のことです。

そこで2983名の犠牲者の名前が刻まれた滝が流れるモニュメント、新しい1ワールドトレードセンター(9.11アメリカ同時多発テロ事件で崩壊したワールドトレードセンター跡地に建てられ、2014年11月3日に開業、今回はツインタワーでなく1つのタワーなので1ワールドトレードセンターと呼ばれている、アメリカ建国の年号に合わせ高さ1,776フィート)、2014年オープンの9.11メモリアム・ミュージアムを訪れました。

9.11当時、ワールドトレードセンターには430の企業に35000人の人が勤務されていたようで、日本人の犠牲者も数名いたそうです。そのうち何人かの刻まれた名前をモニュメントに見つけて胸が詰まる思いでした。

9.11メモリアム・ミュージアムでは”生還者の階段”や飛行機の残骸、つぶれた消防車、奇跡的に1枚だけ割れなかったガラス窓(3.11の時の奇跡の一本松を思い出しました)などの展示を見学しました。

それから近くのトリニティ教会から、ウォールストリート散策へ、ウォールストリート(名前の由来は17世紀、ここはオランダの植民地で高い防護壁があったためだという)はわずか600mの長さながら、さすが世界金融の中心地、錚々たる金融機関のオフィスが立ち並んでいます。

その後、地下鉄ブルーラインで北上し、セントラルパークの近くにある世界4大美術館の一つメトロポリタン美術館へ、ちょうどクリムトの特別展が開催されていました。

ここは所蔵300万点もあり、そのうち10万点が展示されています。入場料は無料ですが、強制ではないものの25ドルの寄付の要請があり、皆支払っていたようです。

美術館では3時間かけて、古代エジプトの美術品、ドガ、ミレー、ゴヤ、カルバッジョ、レンブラント、フェルメール、ルノワール、ゴーギャン、エルグレコ、クリムト、ゴッホなどの美術品・絵画を堪能しました。

わずか1日ちょっとのニューヨーク滞在でしたが、エキサイティングで大変充実した時間を楽しまれたようです。

 二部 海外旅行トーク・サロン(質疑応答および座談会)でも、他の参加者のニューヨーク滞在の経験の披露など、活発な交流が行われました。

 

開催日:2021年4月18日(日曜日) 

場所:zoomを利用したオンラインミーティング

一部「もう一歩踏み込んだ台湾観光を提案します」と題して、台北市内から北東にある港町「基隆」周辺の廃墟を旅した方の話をお聞きしました。

台湾は日本の統治時代はあるものの中国、韓国とは違い、親日国で日本人に人気の観光地です。 

しかしながら、中国の圧力のせいか、世界遺産登録は0だとか。

台湾入国には入国カード記載が必要ですが、オンラインでも可能。

常連客(年3回以上入国)は優先レーンでスピーディーに出入国審査が出来る。 

・悠遊カード(プリペイドカード、鉄道、MRT、バス、ロープウェー、連絡船が割引になり、コンビニでも使える)が便利、有利。

・台鉄と高鉄の駅が離れているところがあるので乗り換えに要注意!!

・GoogleMap、Uber が大変便利に使える。

・買い物した時、レシートが最高で1,000万元(約3,600万円)に化ける可能性がある宝くじになる。

などの情報も話されました。

今回の旅のテーマは廃墟巡りですが、廃墟の魅力は”懐かしさへの回帰”という願いを抱いたレトロを愛する感覚、朽ちて「無」になる美学です。

最初に「幽浮船廃墟」へ行きました。ここはサーファーの夢の跡地”で、ホテル、レストラン、UFOを模したレジャーハウスなどの廃墟があります。

「阿根納造船廠遺跡」は日本統治時代の100年前の終戦後、アメリカ系企業が買収、使用していましたが、1980年代まで稼働した後、業績不振のためこの会社が撤退し、長年にわたり放置されたものです。

今は市の保存物になっています。

「天空之城 十三層遺址」は1933年から1985年まで操業していた金・銅の製錬所です。かつては7000人ほど就労していたようです。

「黄金神社」は黄金博物館のとなりにあり、明治31年建立で、終戦後廃社、現在ではパワースポットとして人気のようです。

「猴銅猫村」はかつてここに炭鉱があり、坑道の木材をネズミから守るために猫を飼ったところ、繁殖し有名になったようです。新しい観光スポットとして注目されています

台北で気軽に行け、リピートしたくなるB級グルメの紹介もありました。

オススメは、「基隆廟口夜市」にある店、「天天鮮排骨飯」、台北駅で売っている台鉄弁当本舗の駅弁、グループで行くなら魚料理が安く食べられる「紅翻天生猛海鮮」「好記担仔麺」など。

これらの店で食した魯肉飯(ルーローハン)、エビスープ、排骨飯(パイコーハン)、牛肉麺、エビのピーナッツ和え、ゴボウ・チップなどはどれも安いながらも絶品で、舌を唸らせました。

デザートもマンゴーはもちろんのこと、釈迦頭(森のアイスクリームとも呼ばれ、バナナとマンゴーをミルクで掛け合わせたような味)は、ぜひ皆に一度食べて欲しいオススメの味のようです。

今回の台湾旅は、朽ちてゆく廃墟に思うブルーな感覚と、台湾グルメを前にした食欲全開、パワフルな感情がほどよく交錯した納得の旅だったようです。

二部 海外旅行トーク・サロン(質疑応答および座談会)でも、他の参加者の台湾旅の経験など、活発な交流が行われました。

 

開催日:2021年4月11日(日曜日) 

場所:zoomを利用したオンラインミーティング

一部「トルコ・イスタンブールの旅と題して、トルコ・イスタンブールを旅した方の話をお聞きしました。ウクライナ、モルドバの旅行の帰路は、トルコ航空でイスタンブ―ル(トランジット)経由成田という手はずでした。イスタンブールでトルコ入国はしない予定でした。

深夜、イスタンブ―ルでいよいよ搭乗という時、係員から飛行機に乗れないという説明がありました。

なんとオーバーブッキングで溢れた予約客になってしまったということのようです。

見ると同じように溢れた20名ほどの人がいて、「何とかしろ!明日、仕事があって今日中に帰りたい!」と係員に詰め寄っています。

思えば搭乗券を受け取ったとき、座席欄に見慣れないSBYの文字があり、何だろうと思っていたのですが、これは”Stand by”の略、キャンセル待ちという意味だったのです。

航空会社は、キャンセルを見越して実際の席数より多めに予約を受け付けます。予想よりキャンセル数が少ないと席が足りなくなり、何人かに搭乗を見合わせてもらおうということになるようです。

人生初めて、”オーバーブッキングの恐怖に直面しました。

明日、仕事の予定があったのですが、幸いSIMカードが使えたので、会社に連絡し調整できました。

新たに手配された帰国便は24時間後です。トルコ航空で5ツ星ホテルを手配してくれて、往復バスで送迎、3食付きです。

さらに迷惑料として、600ユーロ支給されました。

気持ちを切り替えて、翌日イスタンブール一日観光を楽しもう‼ということで、Uberで旧市街へ、ATMでトルコリラを調達して、世界遺産アヤソフィアへ、キリスト教とイスラム教の両方の芸術が一度に見られる、歴史的価値が高い場所です。その荘厳さに息を飲みました。広大な天井や壁、床にふんだんに美しいモザイクが使われています。

近くのブルーモスクも訪れました。オスマン建築の傑作と言われるこの施設もメチャメチャ広大で、天井もとても高かったようです。

バザールやガラタ塔、スタンブール軍事博物館(1000年以上にわたって続いた東ローマ帝国滅亡・イスタンブール陥落の際、オスマントルコのメフメト2世が艦隊の一部を山越えの陸路で金角湾内に送る奇策を成功させた様子などが展示されている)、ハマム、床屋へも行き、イスタンブールの一日を満喫しました。

トルコの食は、世界三大料理というだけあって、野菜料理、トマトひき肉料理、ナッツ料理、鯖サンド(200円位)、上澄みだけ飲むトルココーヒーどれも美味だったようです。

ただ、デザート類はどれも、日本よりだいぶ甘く、糖分が頭に突き抜けてくるようでした。

人懐っこく話しかけてくる親日のトルコ人も、とてもフレンドリーで、転んでもただでは起きなかったイスタンブールの一日は記憶に残る特別な日となったようです。

二部 海外旅行トーク・サロン(質疑応答および座談会)でも、他の参加者のオーバーブッキング経験など、活発な交流が行われました。

 

開催日:2021年4月4日(日曜日) 

場所:zoomを利用したオンラインミーティング

一部「イスラエル紀行と題して、イスラエルを旅した方の話をお聞きしました。

 イスラエルへは北京経由で行きました。

イスラエルは入出国手続きに「時間がかかる」「チェックが厳しい」と聞いていましたが、北京からの出国便のゲート前で3人の検査官から、なぜ帰国便がパリ経由なのか訊ねられ、検査官ごとに違う説明をしたため、出発5分前まで取り調べのため、足止めをくうことになったそうです。

イスラエル入国の際、アラブ諸国などのなかにはイスラエル入国の痕跡がパスポートにあると、自国への入国を認めない国があるようなので、パスポートを差し出した際、しばらくして「No stamp, please.」と言いましたが、すでに遅し、言葉を発したと同時にスタンプを押されてしまったようです。(どうせ時間がかかると思っていたが、ここは意外にも早かった。)

イスラエルへの旅は皮膚病の治療の目的もありました。

エンボケック(死海の西岸にあり、大きなホテルが林立する観光都市)のリゾートホテルに滞在しました。

「死海の水でおいしい漬け物はできないが、おいしい豆腐はできる」といいます。

普通、食塩は塩化ナトリウム80%ですが、死海は8%しかなく、塩化マグネシウムが40%含まれています。いわゆるにがりです。しょっぱいというより、苦い水です。

身体にキズがあるととても痛く、変な話、おならをしても痛いようです。おむつかぶれのある子供が水に入り、しばらくしたら、急に大泣きするのだとか。

治療は意外にも、死海に浸かることによる治療ではなく、天然ソラリウムというもので、全裸で1日4~5時間日光浴するという方法です。

水の蒸発のため、死海上にいつも厚いもやがかかっています。このもやと海面下400m高度差によるより高い気圧の大気は、日焼けを起こす波長の短い紫外線を取り除き、波長の長い紫外線だけが照射されます。そのため日光浴の時間を増やすことができるのだとか。

ヨーロッパ人が多く治療に来ています。ドイツでは代替治療が進んでいて、1日10ドル負担すれば、飛行機代、ホテル代、治療費がすべて保険から出る仕組みになっているそうです。

死海から400m上がったところにアラドという町があり、そこを訪れましたが、ここはロシア系の人が多く住んでいるようです。(イスラエルは1990年代、ロシア系ユダヤ人100万人を受け入れた。)

エルサレムへも行きました。嘆きの壁に多くの人が群がっていました。 

ヴィアドロローサ(イエス・キリストは磔刑にされたとされている。イエスは磔刑に使う柱を背負ってローマ総督ピラトの官邸から刑場のあるゴルゴダの丘までを歩かされたが、その道のりのことをヴィアドロローサという。)を歩きました。

キリストが躓いた場所、3ヶ所にプレートがありました。

イスラエルの食はワイン、イチジク、ザクロ、オリーブ、デーツなどが有名です。

おみやげはハムサ(イスラム教徒のお守り)、 キッパ(ユダヤ教の男性がかぶる帽子のようなもの) 、メノラー(燭台)、死海泥パック(クレオパトラも使用したと言われる)、Ahavaなど死海ミネラルを使用した化粧品などです。

イスラエルの旅は治療で訪れましたが、その古くて深い宗教的な歴史にも触れることができ、精神的な癒しにもなったようで、是非また訪れたい国のようでした。

二部 海外旅行トーク・サロン(質疑応答および座談会)でも、活発な質疑応答が行われました。

 

開催日:2021年3月28日(日曜日)

場所:zoomを利用したオンラインミーティング

一部「ミャンマーで何が起きているのか!?と題して、日本在住のミャンマー人の女性の方にミャンマーの現状と、今後旅行で訪れる際のアドバイスを話していただきました。

現在、ミャンマーはコロナ感染拡大に加え、国軍によるクーデターでとても旅行できる状況ではありません。

しかし、この状況が落ち着いたならば、ミャンマーはとても魅力的な旅行の目的地の一つです。

 ミャンマーは仏教国であり、黄金色に輝くパゴダ巡り、2019年に世界遺産に登録され、世界三大仏教遺跡の一つであるバガン遺跡、ゴールデンロック(チャイティーヨー・パゴダ)などがテッパンのオススメのようです。

ただし、本当のミャンマーを体験したいなら、ヤンゴンではなく、地方への観光がオススメだとか。

例えばインレー湖は周囲を山に囲まれた湖で、イギリス植民地時代に栄えた街があり、遺跡とはまた一味違うミャンマーの魅力が感じられる場所とのことでした。

また、インレー湖の周りにはインター族という少数民族が漁業や農業をしながら暮らしていて、その様子を見ることが出来るそうです。

ボートの片足漕ぎは彼らの得意技で、水上生活をしている方も多いようです。

ミャンマーでは近代化が進んでいるようですが、毎日、仏壇に手を合わせてお祈りをしたり、年齢に関係なくパゴダに行ったりするという、日本ではなくなりつつある生活に根付いた信仰は変わることなく続いているそうで、その心に触れるのもミャンマー旅行で考えさせられる貴重な体験になるようです。

二部 海外旅行トーク・サロン(質疑応答および座談会)では、活発な質疑が行われましたが、ミャンマーの現在の不幸な問題が一刻も早く解決して、旅行できるようになることが本日のミーテイング参加者の共通の願いでした。

 

開催日:2021年3月21日(日曜日)

場所:zoomを利用したオンラインミーティング

一部「ベルギーへの旅 」と題して、ベルギーを旅した方の話をお聞きしました。ベルギーは、国土は九州ほどの大きさで小さい国ですが、3つの公用語(仏語、蘭語、独語)と7つの政府、そして多くの世界遺産を有する魅力的な国です。

ベルギーへは2018年9月に 羽田→ドバイ→ブリュッセル をエミレーツ航空を利用して行きました。

その後 アントワープ→シャルルロア空港(LCCライアンエァー)→マルセイユ→エクサン・プロバンス→アヴィニヨン(TGV)→パリ→ブリュッセル→ドバイ→羽田 のルートで旅しました。

アントワープではチョコレートの店を覗いたり、「フランダースの犬」の舞台となった有名な聖母大聖堂を訪ねました。中国資本寄贈の少年ネロと愛犬パトラッシュの石像がありました。

ブリュッセルでは世界遺産の世界一美しい広場グランプラスへ、しばらく歩いて小便小僧の像の向かいのテラス席に陣取ってビールをぐびっと飲んだり、ワッフルを買い食いしたりして過ごしました。

移動は地下鉄を利用していましたが、シャルルロア空港へ行くときストに遭い、やむなく空港へUberを使いましたが、南仏へ行くより(1,600円)随分高くつきました。

エクサン・プロバンスでは知人が出迎えてくれ、街歩き、ここでもビールぐびぐび。

日本食レストランがありましたが、中華とハイブリッドでどうも店主は中国人のようでした。

日本漫画専門店があったのが印象的でした。

アヴィニヨンへ行く途中、1526年築城のルールマラン城、フォンテーヌ=ド=ボークリューズを訪れました。

フォンテーヌ=ド=ボークリューズはエメラルドグリーンのキレイな水の美しい川が、この旅随一といっていいほどとても印象的で不思議な泉が湧き出ています。

アヴィニヨンはかつてローマ教皇庁が置かれていたところで世界遺産のアヴィニヨン教皇宮殿はとても広く、今では博物館になっています。

館内のスポットでガイド機器かざすと当時の豪華の内装がCGで再現されたり、日本語の説明もあり、興味深く見学できました。

パリではお決まりの市内観光へ、ノートルダム大聖堂(4ヶ月後に大火災になるとはそのときは、知る由もありませんでした)、ルーブル博物館、コンコルド広場、シャンゼリゼ通り、凱旋門を巡りエッフェル塔へ、ここは大混雑で敷地内で列に並び、チケット購入で並び、エレベーターに乗るのに並び、やっと上へ、疲れをビールで癒しました。

暫しパリの夜景を楽しみ、その後、予約したナイトクラブ・クレージーホースシアターへ、ところが帰り、Uberもタクシーも捕まらず、やむなく深夜バスでホテルに戻りましたが、門限?でカギがかかっており入れず、後でわかったことですがどうも少し前に近くでテロがあったため、警戒していたようです。

ピンポンを鳴らし続けて、なんとか入れてもらえました。周りは治安が少々悪いところでヒヤヒヤしました。

帰りもパリ北駅からブリュッセルへ戻るとき列車の遅延に遭い、そこでもヒヤヒヤ。 

この旅はヒヤヒヤが幾度かあったものの、好物のビール三昧の良い旅だったようです。

 二部 海外旅行トーク・サロン(質疑応答および座談会)では、海外でのIP電話の活用法など、活発な情報交換が行われました。

 

開催日:2021年3月14日(日曜日)  

場所:zoomを利用したオンラインミーティング

一部世界遺産の街、ラオス・ルアンパバーンに暮らして」と題して、ラオス国立王宮博物館でJICA協力隊のメンバーとして活躍された方に世界遺産の街ルアンパバーン見のどころを紹介していただきました。

 この方のラオス国立王宮博物館での2年間に及ぶ、JICAの任務は博物館に所蔵されている膨大な写真の整理だったとか。

整理した写真で写真展を開催したことや現在の天皇陛下が皇太子時代に博物館を訪問され、ご案内できたことがいい思い出となったようです。

ルアンパバーンはとても暮らしやすかったとのことですが、ややこしい病気になるとバンコクまで行かなければならないのが難点のようです。 

街自体が世界遺産に登録されているルアンパバーンは、有名なイギリスの旅行雑誌で行ってみたい観光都市NO1に輝いたことから、欧米を中心に人気が出始め、東南アジア有数の観光地になりました。街の景観は保護され、プールがあるような大型ホテルは街の中に造れないそうです。 

街が小さいため歩いて観光することができ、特に欧米人のバックパッカーなどの観光客で溢れています。

ラオス観光のおすすめは例えばお祭り、ラオスは正月が4回あり、(1月は国際的な正月、2月は中国・ベトナムの正月、4月はラオスの正月ピーマイラオ、12月はモン族の正月)その時期に行くのもオススメ、「雨安居(うあんご)」明けのオークパンサー・とうろう流しの祭りでは伝統のある行事も数多く行われ、ボートレースなども開催されるそうです。

陽が昇る前の静かな街の通りを300人からの托鉢僧が粛々と歩むのを見るのも神々しい体験です。

街中には多くの寺がありますが、モザイク壁画が美しい「ワットシェントーン」は特に見ごたえがあります。

PM5:00~10:00に開かれ、屋台・土産屋が並ぶナイトマーケットを覗くのもいいです。

郊外には泳ぐこともできる、エメラルドグリーンの「クアンシーの滝」「セーの滝」があります。 像乗りも30分1500円位で体験できます。

夕陽を眺めながら街を一望できる「プーシーの丘」は神聖な場所として地元の人にも人気で、絶好のインスタスポットです。

メコン川を心地よい風に吹かれながら、ゆったりとクルージングするツァーも旅のハイライト、途中に訪れる「パクウー洞窟」には4000体の以上の仏像が収められています。

トレッキングでモン族の村を訪れるのも人気です。村人との交流もよい思い出になります。

しかし、なんといってもルアンパバーンの滞在ではビアラオを飲みながらメコン川の夕日を眺め、ゆったり、まったりするのが一番のオススメだそうです。

食のオススメは、カオソイ、カオ二ヤ、タケノコのスープ、昆虫食、焼きバナナ、カエルのスープ、フランスパンのサンドイッチ「カオチーサイクワン」だそうです。

ラオスでの生活は生涯の思い出となる素晴らしい日々だったようです。

二部 海外旅行トーク・サロン(質疑応答および座談会)では、この方の奥様が日本語を教えられた、ルアンパバーン出身の女性にも現地よりご参加いただき、活発な質疑応答が行われました。

 

開催日:2021年3月7日(日曜日)  

場所:zoomを利用したオンラインミーティング  

一部・二部「北イタリアの旅」と題して、トスカーナ地方、南チロル地方、ヴェネチアをレンタカーで旅した方の話をお聞きしました。

今回の旅行は8/3~16日(11泊14日)エディハド航空を利用しました。

アブダビ経由→ローマ→トスカーナ地方・オルヴィエート→チヴィタ ディ バニョレージョ→シエナ→フィレンツェ→ラ・スぺッツァ→パルマ→トレンティーノ地方南チロル地方・ドロミテベネチアというルートです。

ローマ観光を堪能してからオルヴィエートへ向かいました。

ここは世界一とも言われる美しい丘上都市でイタリアで最も美しいといわれる大聖堂があるところです。

聖堂内にあるフレスコ画をミケランジェロが絶賛し、この絵をもとにあの有名なシスティナ礼拝堂の最後の審判を描いたといわれています。

また、美食の街として知られています。生ハムや三大珍味として知られる高級食材トリュフにワインと様々な名産品があります。

トリュフ、生ハムやカルボナーラに舌鼓を打ちました。カルボナーラは元々ベーコンではなくブランチャーレを卵黄だけであえて調理するそうで、ベーコンを用いるやり方は米兵が代用品として使用したことで日本などに広まったそうです。

断崖絶壁の上に建つ天空の小さなチヴィタ ディ バニョレージョは別名死にゆく町」とも呼ばれ、一時住人はいなくなったようですが、橋が架けられ現在では20人ほどが住んでいるようでホテル、カフェやレストラン、バー、土産店などが営業しています。

オルチャ渓谷にも行きました。ここは世界遺産になっていて、みどりのじゅうたんで有名です。

残念ながらみどりのじゅうたんの景観は5-7月までだそうで、次回の楽しみとなりました。

アレッツォの街でアンティーク市を覗いたり、丘の上の街ピティリアーノへ行ったりしました。

ここで大失敗、メイン通りは車の乗り入れが禁止されていたにもかかわらず、うっかり入ってしまい、呉服町の歩行者天国を車で爆走するに等しい、はりのむしろ状態に・・・罰金2万円ほどが半年後に請求されるというおみやげまで付きました。

トスカーナ地方ではキャンティワイン、ラビオリ、リゾットなども美味しくいただきました。 

街がまるごと世界遺産に登録されているフィレンツェでは、ドゥオモ、アルノ川に架かる美しいヴェッキオ橋、ミケランジェロの「ダヴィデ像」などの多数の彫刻があるシニョリーア広場、サンタ・マリア・ノヴェッラ教会、世界最古の薬局(英語で薬はメディシンだがその語源はフィレンツェの実質的な支配者として君臨したメディチ家から来ている) などを観光しました。

その後、海の幸を食べたくなり、世界遺産チンクェ・テッレ、ラ・スぺッツァへ、海鮮料理を堪能しました。

パルマ近郊では貴族の館に宿泊しました。

ここでもスペインのハモンセラーノに似ている生ハム、バルサミコ(はちみつ味が美味)料理などの食事を楽しみました。

ドロミテは女性的な優美さがあるスイスのアルプスとは異なり、男性的な荒々しい独特な灰色の岩肌(ドロマイト成分の堆積岩)がむきだしの山並みで有名な観光地です。

サンタマッダレーナ村、古都ボルツァーノを巡ったり、ロープウェイで山頂まで登ったりしました。3300mの最高峰マルモラーダやサッソルンゴ峰が金色に輝き、時間を忘れていくら見てても飽きません。

イタリアの軽井沢と言われる山岳リゾート地コルティナ・ダンペッツォも訪れました。

旅のゴール、ヴェネチアでは、旅の疲れをいやすとともに、地元の人しか知らない穴場のレストランでイカ墨リゾット、海老のフリット、カラマーレ ボンゴレ、ムール貝などの絶品を味わいました。

今回の旅行はイタリアの大自然の魅力を味わうとともに伊太食三昧のとても楽しい旅でした。

 

開催日:2021年2月28日(日曜日) 

場所:zoomを利用したオンラインミーティング

一部「不運続きのスイス旅行」と題して様々なアクシュデント・トラブルを乗り越えてスイスを旅した方の話をお聞きしました。

このスイス旅行は元々、中国国際航空を利用して羽田発北京経由でゴールデンウィークに行くはずでしたが、出発当日、北京では一帯一路・AIIB関連の国際会議が開催されており、世界中から賓客が北京へ集まり、北京国際空港がてんやわんやのため、かなりの遅延がでており、見通しがたたず、スイス到着が下手すると数日ずれこむかもしれないということで、泣く泣くキャンセルした経緯がありました。

夏休みにその雪辱を果たすべく再トライしました。

ベトナム航空利用で、ホーチミン→パリ→バーゼル→チューリヒ→リヒテンシュタイン→クールと移動してきましたが、ホーチミンで飛行機遅延のためトランジット時間が40分しかなくなるなどのトラブルもありました。

クールではいよいよ夢見た、今回の旅行の待望のメインイベント「氷河特急」に乗車という手はずです。

「氷河特急」はツェルマット=クール=サン・モリッツを結ぶ人気の観光列車で予約を取るのが大変です。

最新のパノラマ展望車両で、7つの谷、291の橋、91のトンネルを抜けてスイスアルプスを横断する約8時間の旅が楽しめます。

ところが、いざ乗車という段になったとき、駅員から衝撃のことばが発せられました。

「崖崩れのため運行停止、別ルートでツェルマットへ行ってください。」頭がガーンとなりました。

「氷河特急」は次回のお楽しみとなってしまいました。

その後もツェルマットではマッターホルンが雲に隠れて見ることが出来ない、ツェルマットからベルンへ行く鉄道がまたも落石事故のためバスへの振替輸送になる、シュタイン・アム・ラインではグローカルミーというWIFIルーターを誤って噴水の中に落として使い物にならなくなるなどの不運が続きました。

それでも、ラクレットやシュニッツェルなどのスイスグルメを楽しんだり「ラインの滝」などのスイスの大自然の驚異に魅せられたり、祟られた旅? の中にもささやかな喜びがあった旅だったようです。

二部 海外旅行トーク・サロン(質疑応答および座談会)では、参加者が経験した旅のトラブルなどを語り合いました。

 

開催日:2021年2月21日(日曜日) 

場所:zoomを利用したオンラインミーティング

一部「アンダルシアの風に吹かれて~スペイン グラナダ・ロンダ紀行」と題してスペイン・アンダルシア地方を旅した方の話をお聞きしました。スペイン南部のアンダルシア地方は、8世紀初めから約800年にわたりイスラム教徒の支配下にあり、「グラナダ」は、最後のイスラム王朝「ナスル朝」の首都であったため、「アルハンブラ宮殿」など町の中いたるところにイスラム文化を感じさせるものがあります。

グラナダ到着後、町の中心部へ観光に出かけました。イサベル女王とコロンブスの像がありました。

カステーリャ王国の女王イサベルとアラゴンの王子フェルナンドが結婚し、両国は統合してスペイン王国が成立し、「ナスル朝」の最後の拠点を陥落させ、イスラム教徒を駆逐し、レコンキスタ(国土回復運動)を完成させたのはここグラナダです。

その後、イサベルは有名な冒険家コロンブスを支援し、大航海時代によって国を繁栄させることができたわけです。

「カトリック両王」といわれたイサベルとフェルナンドの墓はこの像の近くにそびえるグラナダ大聖堂の地下にありました。

大聖堂の建物内部に使われている石がとても鮮やかな白色なので、室内は明るく感じました。大聖堂付近にあるアラブ風のお土産店が立ち並ぶアルカイセイヤ(市場)をぶらつきました。

そろそろ夕飯時になってきたのでバル巡りをスタートしました。

グラナダのバルはビールが1~2ユーロと安く、その上、生ハムなどのタパスまで無料でついてきます。

たらふく飲んで食べた後はサクロモンテの丘の洞窟フラメンコ観賞ツァーです。

フラメンコの原型は、18世紀末頃、アンダルシアのロマ族がイスラム教徒伝統の踊りや音楽を取り入れて生まれたと言われています。今もロマ族が住むサクロモンテの丘には、洞窟フラメンコのタブラオが沢山あり、狭い洞窟なので、ダンサーのほとばしる汗がかかりそうな程、間近で鑑賞でき、歌もよく響いて臨場感満点でした。

翌日は「アルハンブラ宮殿」見学ツァーです。ナスル朝初代ムハンマド1世により宮殿の建設が開始され、14世紀後半に完成しました。2,000人以上が住んでいたというこの幻想的な宮殿はイスラム建築の最高峰といわれ、繊細かつ精密な職人の技術の結晶が散りばめられていて、その豪華さ、美しさは多くの観光客を魅了してきました。作家ワシントン・アービングの「アルハンブラ物語」で世界中の人々に有名になったことで、いつも観光客で溢れかえっています。

「ヘネラリーフェ庭園」「アセキアの中庭」「カルロス5世宮殿」「コマレス宮」「アラヤネスの中庭」「大使の間」「ライオンの中庭」「二姉妹の間」などのみどころを見学しました。

600年ほど前、この「ライオンの中庭」で政敵の策略によって王の妃との密会を疑われたアベンセラヘス家の男性36人が斬首刑にされ、この美しい庭が血まみれになったという中世の悲しい逸話をガイドさんが話してくれました。

白い村ロンダへ移動しました。

白壁の建物と石畳の坂道が続いています。ロンダは高さ98メートルの絶壁に架かるヌエボ橋が有名です。

世界最古の闘牛場もこの町にありました。

ロンダは新闘牛のルーツで有名だそうで、この町に住んでいたフランシスコ・ロメロという人が、当時は闘牛といえば騎馬闘牛でしたが、馬を捨てて、牛をけしかける赤い布を考案して牛と戦ったのが現在の闘牛の始まりだそうです。

アンダルシアの旅はヨーロッパでありながら今でもイスラムの香りがただよう特有の雰囲気を味わい、同時にスペイン料理もおおいに味わった幸福感に溢れた旅だったようです。

二部は海外旅行トーク・サロン(質疑応答および座談会)では、一部の質疑応答を行いました。

 

開催日:2021年2月14日(日曜日) 

場所:zoomを利用したオンラインミーティング

一部 特別ゲストによる話「ネパールでの日々 with コロナ」と題して外務省職員(外交官)や常葉大学教育学部非常勤講師などを経て、現在 JICAネパール事務所に企画調査員として勤務されている松田徳子さんの話をお聞きしました。

松田さんは新型コロナ感染症の流行により、一時日本に避難・帰国されていましたが、昨年10月にネパールに戻られたそうです。

ネパールはコロナ禍でのロックダウンの状況で、一時は人通りが途絶え、牛だけ闊歩する牛天国になっていたようです。

そんな中で、ネパールのデリバリーサービス「FOODMANDU」が大人気だとか。

ネパール政府からの支援金、給付金がないことや、医療崩壊の状況は日本より深刻のようですが、最近では人々はコロナ慣れコロナ疲れなのか、マスクなしで歩いている人も多くなったとのこと。

JICAネパール事務所も以前は日本からの客人が絶えず会食をする機会が多かったようですが、現在は客人はなく、一人飯も多い寂しい状況の様です。

ネパールの様々な情報を教えていただきました。

ネパールの少数民族の名前だったシェルパが現在は登山ガイドを表す一般名称としても使われていること、2018年シンガポールでのトランプ・金正恩会談は世界最強なことで有名なネパールのゴルカ兵の警護のもとで行われたようですが、ゴルカ兵のゴルカという民族は存在しないが、ネパールの山岳民族の総称であることなどのトピック、マガール民族の村でダルバート(ネパール人のソウルフード)の接待を受けた思い出、アンナプルナトレッキング体験について、カトマンズ盆地の古都「バクタプル」や仏陀生誕の地、世界遺産「ルンビニ」などの観光情報、日本の起業家が立ち上げた農産物ビジネスについて、ネパールの地理、民族・宗教、政治経済状況、多くの人(主に男性)が日本に出稼ぎに行っていること、自然災害、停電などの電力事情、大気汚染状況等々…多岐にわたってお話しいただきました。

二部 海外旅行トーク・サロン(質疑応答および座談会)では、現地でガイド業をされているネパール人の方にもご参加いただき、大変活発な質疑応答が行われました。

 

開催日:2021年2月7日(日曜日) 

場所:zoomを利用したオンラインミーティング 

一部「ソウルとソウル近郊、日本家屋が残る港町 群山を訪ねて」と題して韓国を旅行した方の話をお聞きしました。この旅行はこの方が主催する「静岡で海外料理を食べる会」のスペシャルイベントとして会のメンバー数人と行ったものです。

もちろん、ソウルでは、市内の有名料理店などで、サムゲタン、石焼きビビンバなどに舌鼓を打ち、韓国伝統茶も楽しみました。

市内観光も、世界遺産「宗廟」であでやかな歴史絵巻を鑑賞したり、日本統治時代に総督府があった景福宮」の守門将交代儀式」などを楽しんだり、人気観光スポットで多くの人でにぎわう、仁寺洞、明洞、南大門などを巡りました。

ソウル郊外へも足を延ばして、カルビが美味しいことで有名な水原を訪れました。ソウルから急行電車で2時間、人口120万のSAMSUNG電子の城下町です。ここにも世界遺産水原華城があり、日本語のシティツァーバス(2200円位)を利用して行きました。おそらく世界広しといえどもここしかないと思われる「トイレ博物館」も観光コースにありました。もちろん水原カルビも美味しくいただきました。

水原からタクシーを利用して50km、日本の京都にある太秦映画村のような場所、韓国MBCが制作する史劇の撮影スタジオであるヨンニンテジャングムパーク」も訪れ、韓国ドラマの名場面を思い出しました。

そこからは、ソウルへいったん戻り、翌日、高速バスで2時間半かけて人口27万人の群山へ行きました。

群山は韓国全羅北道北西部の港湾都市です。日本家屋、日本式寺院など日本と関連の深い近代文化遺産が残っています。その有名な日本家屋は米殻商として財を成した広津氏の邸宅「旧広津家屋です。

寺院の方は日本式としては、韓国に唯一残ると言われる「東国寺です。それらの建築物や歴史博物館などを巡り、群山での一日が終わりました。

韓国グルメと深みのある韓国の歴史の双方を楽しんだ充実した旅だったようです。

二部は海外旅行トーク・サロン(質疑応答および座談会)では、一部の質疑応答を行いました。

 

開催日:2021年1月31日(日曜日) 

場所:zoomを利用したオンラインミーティング 

「グリンデルワルトをベースにしたスイス10日間の旅」と題して、ご夫婦でスイス旅行を楽しまれた方の話をお聞きしました。

グリンデルワルトをベースに周辺のベルン、ルツェルン、インターラーケン、ツェルマット、チューリッヒなど、山と湖の景観を楽しみながら、トレッキング、パラグライダーなどのアクティビティを堪能されたようです。   

グリンデルワルトではこじんまりしたホテルのジュニアスィートルームを利用しました。

利用客は5組しかおらず、家族的な雰囲気でした。夕食も割安で利用でき、ワインを飲み残してもボトルをキープしてくれました。

2日目は登山電車でクライネシャイデック経由でスフィンクス展望台へ行きました。現地で購入したスイスパスを利用して半額で乗ることが出来ました。

展望台はトップ オブ ヨーロッパと呼ばれヨーロッパで最も標高が高い展望台です。西にユングフラウ、東にメンヒ、南にアレッチ氷河が眼前に広がります。

グリンデルワルト滞在中はトレッキングを楽しみました。スイスではトレッキングコースがよく整備されています。日本語が通用する案内所でいろいろアドバイスも得られます。

随所に道案内板が多く設置されていて、行先がわかりやすく表示されています。周囲の雄大な景色とともに、道端のキレイな草花が心をなごませてくれます。

ロープウェーを利用して、いろいろな展望台へ行きました。メンリッヘン展望台では、ご本人は高所恐怖症で遠慮されたようですが、奥様がパラグライダーに挑戦しました。

聞いたところでは、カップル客の場合、男性はしり込みし、女性の方が飛ぶケースがほとんどのようです。

スイスパスを利用して、ベルン、ルツェルンへも行きました。水の都ルツェルンのカペル橋の骨組みが日本の古民家風で興味を引きました。

マッターホルンを見にツェルマットへも行きました。

マッターホルン・グレッシャー・パラダイス展望台からは、マッターホルンがやや山頂が雲に隠れ完全な姿は望めなかったのが残念でした。

マウンテンカートにもチャレンジしてみました。最初は甘くみていましたが、予想以上にスリリングで恐怖すら覚えました。

スイスは世界屈指の観光大国ですが、実は世界文化遺産は数えるほどです。

スイスはやはり大自然です。スイスの大自然に抱かれ、その絶景を満喫できた、とても良い旅だったようです。

二部は海外旅行トーク・サロン(質疑応答および座談会)では、一部の質疑応答および各自の近況報告を行いました。

 

開催日:2021年1月24日(日曜日) 

場所:zoomを利用したオンラインミーティング 

リバプール ・ビートルズの生誕地を訪ねて」と題して、ビートルズファンの女性の方の話をお聞きしました。

リバプールに在住する友人を訪ねてリバプールへ行ってきました。

18世紀当時、ヨーロッパからアフリカへ日用品や武器を、アフリカから新大陸へ奴隷を、新大陸からヨーロッパへ砂糖などを持ち込む「三角貿易」において、港町リバプール は、この貿易の拠点として中心的な役割を果たし、巨万の富を築きました。

リバプール 産業革命によってさらに発展し、19世紀末にはロンドンに次ぐ「大英帝国第二の都市」となりました。最近は古い産業は衰退し、観光に力を入れているようです。

ビートルズは、1960年代から1970年にかけて活動したイギリス・リバプール出身のロックバンドで20世紀を代表する音楽グループです。

世界中から彼らを偲んで観光客が押し寄せて来ます。

マジカルミステリーツァー(16ポンドの半日ツァー)というビートルズの軌跡を辿るツァーに参加し、 リンゴ・スターの子供時代の家、 ペニーレーン、 ジョンとポールが最初に出会った聖ピーター教会、 ストロベリーフィールド、 ジョン・レノンの子供の頃の家、 ポール・マッカートニーの子供の頃の家、 メンバーの通っていた学校、ハードデイズナイトホテル、マシュー・ストリート、彼らが足繁く通ったパブ、ザ・グレイプス、キャバンクラブなどを巡りました。

このキャバンクラブはビートルズが292回ステージ演奏した所で、今でもビートルズのコピーバンドの演奏をお酒を飲みながら聴くことが出来るようです。

ウォーターフロントにある世界遺産アルバートドッグ、ビートルズストーリー(ビートルズ歴史館)などにも足をのばしました。

ビートルズに熱狂した若いころのことを思い出すことが出来たとてもよい旅だったようです。

二部は海外旅行トーク・サロン(質疑応答および座談会)では、一部の質疑応答を行いました。

 

開催日:2021年1月17日(日曜日) 

場所:zoomを利用したオンラインミーティング 

「オランダへの旅」と題して、年末年始にオランダへ旅した方の話をお聞きしました。

静岡空港から中国東方航空を利用して上海経由でアムステルダム・スキポール空港からオランダに入りました。

初日はデンハーグ → デルフトへ移動し、デルフト焼きの工房、フェルメール美術館を見学、デンハーグへ戻って、だまし絵で有名なエッシャー美術館、そしてミニチュアタウン「マドローダム」、レンブラントの「自画像」フェルメールの「真珠の耳飾りの少女」などの作品が所蔵されているマウリッツハイス美術館を観光しました。

2日目はライデンに行き、シーボルトハウスを見学しようとしましたが、あいにく閉館日で入れず、やむなく運河クルーズへ、そしてアムスへ戻ってネット予約を済ませておいたアンネフランクの家を見学し、アムステルダム国立美術館でレンブラントの有名な「夜警」などを鑑賞し、その夜は1泊25,000円のホテルに宿泊しました。

その後もゴッホコレクションで有名なクレラー・ミュラー美術館でアルルの跳ね橋「夜のカフェテラスを鑑賞したり、ゴッホ美術館などを訪ねたりして過ごしました。

今回の旅は主に芸術鑑賞の旅です。

オランダというとチューリップや風車のイメージが強いですが、実はフランスやイタリア、イギリスに次いで美術館が豊富で芸術活動がさかんな国です。

日本人はゴッホ、レンブラント、フェルメールなどの作品が大好きです。

見ごたえのある作品を鑑賞して心が満たされ、さらに帰りはビジネスクラス便でしたのでとてもリッチな気分を味わうことが出来た旅だったようです。

 二部は海外旅行トーク・サロン(質疑応答および座談会)では、一部の質疑応答を行いました。

 

開催日:2021年1月10日(日曜日) 

場所:zoomを利用したオンラインミーティング 

「ミャンマー、バガンでの気球搭乗によるサンライズ観光」と題して、年末年始にミャンマーを観光した方の話をお聞きしました。

ミャンマーは人口6千万人ながら国土面積は日本の1.8倍あり、90%の国民が敬虔な仏教徒の国です。

ミャンマーへは台北経由でチャイナエアライン(エアトリで予約)を利用して行きました。

ホテルはブッキングドットコム、現地ツァーなどはサラトラベルで予約しました。

ヤンゴン→マンダレー→インレー湖と観光してバガンに入り、翌朝は今回の旅の最大のトピック気球による初日の出観光」です。外国資本経営(フランス)の為か、ツァー代は400ドルと高額でしたが、ホテルピックアップ、軽食・フルーツ、シャンパン込みで、一生に一度ということで思い切ってネット予約をかなり前に済ませておいたのです。

時間になると気球ツァーの会社4社の50ぐらいの気球が一斉に飛び立ちます。

サンライズは6:45です。あたりを陽光がまぶしく照らし始めました。

眼下には約3,000基以上あるという金色に輝く仏塔が見えます。

この仏塔の多くは西暦1,000年~1,200年にかけて建設されたものだそうです。

バガンのこれらの遺跡は2019年に世界遺産に登録されました。

1時間ほどの遊覧飛行を楽しみ、着陸後、同乗メンバーでシャンパンで乾杯して新年を祝いました。

そのあとは、レンタルバイクで寺院観光です。

なにせ主要寺院だけで254ヶ所もあり、とても廻りきれるものではありません。

その中でも魅力的な寺院を廻りました。

バガンは郊外観光も楽しめます。ホッパマウンテンリゾート、チーク修道院などです。

市内観光ももちろん楽しいです。エンタメ関係ではパペットショー、レストランはMyoMyoをお勧めします。

それにしても、何でこのように多くの仏塔を建立したのでしょうか?

敬虔な仏教徒であるミャンマー人は自分の代で築いた財産は、自分の代で使い切るようです。

それも世のため、人のため、仏のためです。私財をなげうち、仏塔を建立することは人生において大変価値あることなのです。

功徳を積むこと」これがミャンマーの人の人生の目的のようです。

ミャンマーへの旅は人生の過ごし方を考えるよい機会となったようです。

  二部は海外旅行トーク・サロン(質疑応答および座談会)では、一部の質疑応答を行いました。

 

開催日:2020年12月20日(日曜日) 

場所:zoomを利用したオンラインミーティング 

一部は「永遠の都ローマを歩く」と題して、スペイン一週旅行の前に2泊3日の予定でローマに立ち寄り観光した方の話をお聞きしました。到着した日は夕方だったのですが、さっそくオードリーヘップバーン主演の映画「ローマの休日」のロケ地巡りに出発、スペイン広場とトレビの泉を訪れました。

翌日は2つの現地ツァーを利用してローマ観光を行いましたが、世界で入場者数トップ5に入るバチカン美術館、サン・ピエトロ寺院などは個人で行くと入場するのに数時間待ちということがしばしばあるようで、団体だと待つことなく入れるというメリットがあるそうです。

午前中はバスに乗ってバチカン美術館、サン・ピエトロ寺院へ、所蔵の数々の美術品を鑑賞し、その見事な美しさを堪能しました。

ここではミケランジェロ作のものが多く展示されています。(アテナイの学堂、最後の審判、システィーナ礼拝堂天井画 、サン・ピエトロ寺院のピエタ像などです)ほかにもヴェルベデーレのアポロ像 、コンスタンシアの石棺 、プリマ・ポルタのアウグストゥス像、 レオナルド・ダ・ヴィンチ作「荒野の聖ヒエロニュモス」、ヴェルベデーレのトレソ など超一級品の美術品ばかりです!!

ツァーについているランチを駅近くのレストランで食べてから、午後からはまたバスに乗ってコロッセオ、サンタ・マリア・デッラ・ヴィットーリア教会、サン・ピエトロ・イン・ヴィンコリ教会、フォロ・ロマーノ、カンピドーリオ広場、チルコ・マッシモ、共和国広場、アヴェンティーノの丘、ヴェネツィア広場、フェリクス水道の泉など「ローマ帝国の栄光の残影」を楽しみました。

昼間のツァーを終え、駅近くの旅行社オフィスへ戻ると、ホテルで休息を取るヒマもなく、夕方からはすぐ別のツァー参加です。オペラ・アリアとカンツォーネディナーのツァーです。

オーソレミーオ、サンタルチア、帰れソレントへ、フニクリフニクラ、雨など有名な曲はもちろんのこと、歌手たちが客のリクエストに応えて歌う耳慣れない曲を聴きつつ、豪華なイタリアンディナーに舌鼓を打ち、絶品のワインによる酔いも手伝って最高にハッピーな気分になったようです。

素晴らしい体験がギュギュッと詰まった充実した1日でした。

 二部は海外旅行トーク・サロン(質疑応答および座談会)では、一部の質疑応答を行いました。

 

開催日:2020年12月13日(日曜日) 

場所:zoomを利用したオンラインミーティング 

一部は「森と湖フィンランド・自然の神秘オーロラツァー」と題してコロナ禍の中、フィンランドを旅行した方の話をお聞きしました。

成田からガラガラのフィンエァー直行便でヘルシンキへ飛び、そこから国内線でオーロラを見ることが出来るロバニエミへ移動しました。フィンランド入国は陰性証明もいらず、すんなり入国できました。

ロバニエミの街は雪が降れば、犬ぞり、スノーモービルなどのアクティビティもあるようですが、その時は雪もなく、街の中にはこれといって観光するところもなく、夜オーロラを見るまでの昼間の時間帯は湖畔を歩いたり、郊外の動物園、サンタクロース村を訪れたりしていたようです。(サンタクロース村で有名なサービスはクリスマス当日に自宅にサンタから手紙が届けられるというもので8ユーロで申し込みを受け付けています、サンタクロースと一緒に写真を撮ることも出来ます)

さて夜になると(その時はPM2時3時になると日が沈み体内時計がおかしくなります)、なんと初日からオーロラを見ることが出来ました。携帯で写真を撮りましたがうまく映りません。やはり光度などの微妙な調整が必要なようでプロに頼んでキレイな写真を撮ってもらいました。オーロラを見ることが出来るかできないかはまさに運次第で2週間居ても、オーロラを見ることが出来なかった人もいれば、わずか3日滞在して毎日見れたという人もいるようで、天候とタイミングが悪ければ折角遠くから来ても残念な結果で終わることもよくあるそうです。それでも12月から2月の冬場はキレイに見える確率が高いようです。

帰りはヘルシンキ観光も楽しみました。街中では罰金はないようですが、行きかう人は皆マスクを着用していました。ヘルシンキは首都ながらコンパクトなこじんまりとした町で見どころはあまり多くないと感じました。トラムを利用して、教会、スオメンリンナの要塞、サウナ(サウナがある観覧車もあるそうです)、カモメ食堂、オペラ座へオペラ・演目は「ジキルとハイド」鑑賞へ行きました。

夜の街はコロナ禍の影響で静かでバーも開いておらず、普通の飲食店でも22時で終了です。

それでも、トナカイの肉料理、サーモンのクリームスープ、ニシンの酢漬け、ミートボール、黒パンなどの料理に舌鼓を打ちました。値段は結構しました。

今回のフィンランド旅行はコロナ禍でくたびれた心身を癒すことができた旅だったようです。

日本帰国後は成田で抗原検査→陰性→公共交通機関を利用しないで自家用車で帰宅→2週間自宅隔離(毎日、健康状態を報告)という流れでした。

二部は海外旅行トーク・サロン(質疑応答および座談会)では、一部の質疑応答を行いました。

 

開催日:2020年12月6日(日曜日) 

場所:zoomを利用したオンラインミーティング 

一部は「ドイツ ワイマールからドレスデンへの自転車旅」と題して9日間の行程でドイツを自転車旅行した方の話をお聞きしました。

 フランクフルトから入国し、ブナの原生林がきれいなチューリンゲンの森、アイゼナハ(バッハの生誕地でバッハミュージアム、マルティンルターが過ごした街でルターハウスなどがある)、ゴーダ、エアフルトと移動し、そこから自転車旅行開始です。途中電車旅もはさみますが、全行程200KM以上です。

ワイマール(ワイマールは第一次世界大戦後の1919年に憲法制定会議が行われた地でワイマール憲法で有名)、イエーナ(レンズなどの光学機械製造業で有名、博物館がある)、ゲーラ、アルテンブルグ、ツィッカウ(ゲルチュタール橋が近い)を経由してドレスデンに到着。ドレスデンは「ドイツの京都」とも称される東ドイツ屈指の観光都市です。

ドレスデンではモーリッツブルグ城(郊外)、君主の行列の壁画で有名なドレスデン城、三位一体大聖堂、ツィンガー宮殿(中に美術館がある)、国立歌劇場ゼンパオーパーなどを観光しました。

ドレスデンからエルベ川に沿ってチェコ国境近くの観光地ザクセンスイス、ポーランド国境に近いゲルリッツ、ムスカウ公園、ライプツィヒへも足を延ばしました。

自転車旅の大きな楽しみは一日走った後のビールです。赤キャベツ、ジャガイモ団子、牛肉巻き、ニシンの酢漬けなどを頬張りながら飲むビールは格別だったようでした。

ドイツは自転車道路がよく整備され、季節(9月初旬、紅葉の初め)、気候もよく心地よい旅だったようです。

二部は海外旅行トーク・サロン(質疑応答および座談会)では、一部の質疑応答を行いました。

 

開催日:2020年11月29日(日曜日) 

場所:zoomを利用したオンラインミーティング 

一部は「キューバへの旅、チェ・ゲバラの足跡を訪ねて」と題してキューバを旅した女性旅行者の話をお聞きしました。

キューバはカリブ海にある島国でカストロ、チェ・ゲバラが主導したキューバ革命によって誕生した共産主義の国です。

チェ・ゲバラはアルゼンチンのブエノスアイレス大学を卒業した外科医でしたが、後に妻となった女性活動家のイルダ・ガデアと出会い、社会主義に目覚め、彼女を媒介者としてカストロと接触することによって軍医としてキューバ革命に参加することになります。

革命成功後、キューバの工業大臣や国立銀行の総裁などの要職に就き活躍しています。

共産主義であるため、現地の人は医療費や教育費はかからず、生活必需品は配給があるか、大変安く買うことが出来るので貧富の差もなく、それなりに幸福な生活をしているようです。

ただ、商店には品数は少なく、電化製品も旧式で、一般市民にはぜいたく品は手に入りません。

買い物ではアメックスなどのアメリカ系のクレジットカードは使えなかったが、米ドルは使えたようです。

外国人でもレストランでの飲食や買い物は安あがりにできたようです。

「カリブ海の真珠」と称される首都ハバナ(現地ではハバナのHは発音しないようです)はコロニアル建築が並ぶ美しい都市です。

ゲバラなどキューバ革命の顔のモニュメントがある革命広場、カテドラル広場、アメリカの国会議事堂とそっくりな国会議事堂、ヘミングウェイが定宿にしていて、そこで有名な小説「老人と海」を執筆したという瀟洒なホテルアンボスムンドス、キューバ革命で倒されたアメリカ傀儡政権の独裁者バチスタの弟の邸宅を摂取し改装されて出来たチェ・ゲバラの家(博物館になっている)などを廻りました。

観光客向けの4,50年前の古いアメ車(キャデラック)を一人50米ドル(なにせ1リッター当たり2キロしか走らないのでそこそこの値段)で運転手付きで貸し切り、ハバナ港沿いに点在するスペインの要塞(その中にはゲバラが執務室として使っていたガバー二ャ要塞などがある)、キューバ危機の時にソ連製のミサイルが並べられていた場所などにも出かけました。

ただ、運転手が英語が出来なかったためコミュニケーションには苦労したようです。

現地人との交流会に参加し、歌やダンスをともにしましたが、現地の人のラテン系特有の明るさや楽天的なところを見るにつけ、本当の豊かさとは何か考えさせられる旅だったようです。

二部は海外旅行トーク・サロン(質疑応答および座談会)では、一部の質疑応答を行いました。

 

開催日:2020年11月15日(日曜日) 

場所:zoomを利用したオンラインミーティング 

 一部は「ルーマニアへの旅」と題して 、ルーマニアを旅した方の話をお聞きしました。

東ヨーロッパの国ルーマニアは日本と同等の広さの国土を有し、自然豊かで古い歴史を持つ国です。

首都ブカレスト、古都ブラショフ、ドラキュラの城ブラン城などを廻りました。

ブカレストへはブルガリアのソフィアから空路で入りました。

国民の館というところを訪れましたが、ここはルーマニア議会の議事堂で観光施設でもあります。1980年代、当時のルーマニア共産党書記長だったニコラエ・チャウシェスクが「宮殿」として造成したことで有名で大変巨大な建築物です。

ルーマニア第二の都市ブラショフへ移動しました。ホテルのトラブルもありましたが、親切なタクシードライバーのおかげでいい観光ができたようです。

この辺りはトランシルヴァニア地方と呼ばれ、観光名所ブラン城はブラショフから南西へ約30kmのところの岩山のてっぺんにあります。

アイルランドの作家ブラム・ストーカーによる小説「吸血鬼ドラキュラ」で、ドラキュラ居城のモデルになっていることで知られています。

ドラキュラのモデルはワラキア公ヴラド3世とされていますが、ブラン城はヴラド3世の祖父ヴラド1世の居城です。

ヴラド3世は敵に対する処刑が残虐であったため、串刺し公とも呼ばれ、そこからドラキュラに結び付けられたようですが、実はヴラド3世はルーマニアではオスマン・トルコと勇敢に戦った英雄とされ尊敬されています。

街にはヴラド3世の銅像が建てられています。

ブラショフからブカレストへ戻り、モルドバへと旅をつづけました。

ルーマニアは物価も安く、人も素朴でとてもいい旅だったようです。

 二部は海外旅行トーク・サロン(質疑応答および座談会)では、一部の質疑応答や旅先での飲酒について語り合いました。

 

開催日:2020年11月8日(日曜日) 

場所:zoomを利用したオンラインミーティング 

一部は「フランス、ロワール川古城巡りとグルメ旅~ドバイ経由」と題して 、フランスをレンタカーで旅した方の話をお聞きしました。

ドバイ経由でパリに到着、レンタカーを借りてノルマンディー地方のエトルタ経由で有名な港町オンフールに到着、かき料理を食べました。

次の日はルーアン、ヴェルサイユを廻り、フランスの中部に位置する都市シャルトルで大聖堂のプロジェクションマッピングを見学しました。

翌日はヴェズレー、ボーヌで泊まりました。ボーヌではエスカルゴを食べましたが最近フランスではかたつむりを食べることは敬遠ぎみだという話です。次の日はディジョンマスタードで有名なフランスブルゴーニュ地域圏の街ディジョンへ行きましたが、いちごマスタード、ミントのマスタードなど多種類のマスタードが売っていて興味深かったようです。それからスミュールアンノーソア経由でロワール地方の街シノンに入り、シノン郊外の有名な古城ホテル「シャトー ドゥ マルセ」に宿泊しました。シノンはワインの名産地で爽やかな酸味が特徴の白ワイン「ミュスカ」やスミレの香りとたとえられる赤ワイン「シノン」など、様々な種類のワインがあります。 

シャトー ドゥ マルセ では1人2万円のフルコースディナーを奮発しました。ロワール料理は水魚を使った料理やジビエ料理などが有名で、カワカマス、カモ、はと、うずらなどの肉系、ホワイトアスパラテリーヌ、ヤギのチーズ、ラタトゥイユ(夏野菜の煮込み)、コンフィズリー(砂糖を主な材料として作るお小さな菓子)に舌鼓を打ちました。

ロワール地方はかつて王侯貴族の避暑地、狩猟場であったため、多くの古城が点在しています。(140ぐらい)アゼルリドー城、ビランディー城、アンボワーズ城 (レオナルドダビンチの墓があることで有名)、シュノンソー城(イタリアメディチ家からこの城の城主フランス王アンリ2世の王妃として来たカトリーヌドメディチがそれまでフランスでは料理を手づかみで食べていたが、彼女がフォーク、ナイフ、皿を持ち込んでコース料理を始めたことで有名のようです)、ランジェ城、シュヴェルニー城、シャンボール城(一番大きいが中はがらんどうなので行くことはあまりオススメしない)などの古城を廻りパリへ戻りました。   

古城巡りはレンタカーがオススメです。レンタカーなら1日4つ5つ廻ることができるようです。

さらにツァーで行くより個人旅行がオススメです。なぜならツァーは大きい城だけしか立ち寄らないが、個人旅行ならいろいろ面白い小規模な古城もよれるし、古城ホテルにも泊まることが出来るからだそうです。(古城ホテルは大人数の宿泊はできないので団体向きでない)

この旅は大満腹!?大満足!?のグルメ旅行だったようです。 

 二部は海外旅行トーク・サロン(質疑応答および座談会)では、一部の質疑応答を行いました。

 

開催日:2020年11月1日(日曜日) 

場所:zoomを利用したオンラインミーティング 

一部は「北欧クルージング(ノルウェーフィヨルド巡り)に参加して」と題して 、夫婦で北欧クルージング旅行に行かれた方の話をお聞きしました。

クルーズはコスタルミノーザで行く7泊8日のクルーズでデンマーク、コペンハーゲン発着です。

クルーズ料金はバルコニー・バスタブ付海側客室で一人232,000円でした。(港湾税・保険別)

船に乗り込むと避難訓練が行われます。イタリア人、スペイン人、フランス人、イギリス人の順で実施しましたが、待ち時間が長すぎて終わるまで2時間ぐらいかかったようです。

乗客はイタリア人、スペイン人、フランス人が主体で、他にもドイツ人、イギリス人、デンマーク人の方々と交流し、日本人ツアー客も多く、楽しい思い出となったようです。 

船内の食事は朝食、ランチ、ディナーが料金込みです。この方はレストランではなく、クラブのサービスを主に利用されていたようです。

水の国ノルウェーは澄み渡った空気が最高で、いろいろなフィヨルドを巡るプショナルツァーに参加しました。代表的なものはベルゲンから鉄道で75分ヴォスへ(ヴォスには由緒あるフレイシャーズ ホテルがあります)、ヴォスからバスで1時間グドヴァンゲンへ、グドヴァンゲンから船で2時間ソグネフィヨルドを観光し、フロムへ、フロムから鉄道で50分途中でヒョース滝を見学しながらミュルダールへ、ミュルダールからベルゲンへ戻るというポピュラーなツァーです。

ベルゲンでは、小食堂で飲食した地ビールとタラのトマト煮の味が忘れられないそうです。

コペンハーゲンでのんびりと電車(city pass/コペンハーゲンカード)を使って3日間観光しました。

チボリ公園、ローゼンボー城、ニューハウン、アンデルセン童話の人魚姫像、アマリエンボー宮殿などを廻りました。 

一般に北欧の物価は高いので、昼食は大衆的なものを食されたようです。また北欧はキャッシュレス化が進んでおり、コーヒー一杯でもカード支払い(tax)でした。

夫婦のきずなが強まった思い出深い旅行になったようです。

二部は海外旅行トーク・サロン(質疑応答および座談会)では、コペンハーゲンの観光地、自由なヒッピーコミューンクリスチャニアの情報などについて語り合いました。

 

開催日:2020年10月25日(日曜日) 

 場所:zoomを利用したオンラインミーティング 

 一部「海外での通信環境(Wi-Fi、Simカード、Wi-Fiルーター、iPad、旅行アプリ)について事例紹介します。」と題して通信機器の海外旅行での便利な活用方法の話をお聞きしました。

まず、基本的な用語についての説明、4G、5GのGはGenerationのGであること、5GHzは周波数で5GBは容量、230万メッセージを送信できる量、LINE通信277.5H分、YOUTUBE視聴で25H分に相当すること。

4G、5Gの違いを高速道路に例えると4Gで時速100KMで4車線(14M)を走行しているとした場合、5Gでは時速10000KM、マッハ8で4000車線の高速道路を走行することになるとのことです

5Gでは2時間の映画を3秒でダウンロードできるようです。5Gは光回線より早いので有線は使わなくなる可能性もありそうです。

ホテルのFREEWIFI状況については口コミで確認した方がいいことや、空港でFREEWIFIを使用するときは、暗号化が十分でない場合があるのでクレジット利用操作しない方がいいこともアドバイスいただきました。

そのほかにIPAD、IPHONEの海外使用に関し、省データモードという便利な機能があることや、WIFI、Cellularモデルの違い、現地SIMカード購入とWIFIルーターレンタルとのお得度比較、暑い場所で端末の温度上昇に注意しないとフリーズしてしまうことなど、実体験からの話もありました。

二部は海外旅行トーク・サロン(質疑応答および座談会)では、海外で携帯電話、情報端末をどう使っているかなどについて語り合いました。

 

開催日:2020年10月18日(日曜日) 

 場所:zoomを利用したオンラインミーティング 

一部「マレー、中国、インド、ヨーロッパ文化が混ざり合ったモザイク国家マレーシア・東洋の真珠ペナン島への旅」と題して 、夫婦でペナン島へ旅した方の話をお聞きしました。

この方はマレーシアへは8回ほど旅していて、大変お気に入りの場所のようです。

東西文化の十字路であるマラッカ海峡に位置し、イギリスの海峡植民地であったペナン島は、文化・貿易の交流地として栄えたのは過去だけではなく、現在もマレーシア髄一の観光都市として世界中の観光客に人気の場所です。15世紀に中国から移住してきた人々の子孫がマレー女性と結婚して生まれたプラナカン文化、ニョニャ料理が有名です。

ビーチリゾートでもあり、クアラルンプールに次ぐマレーシア第二の都会でもあります。マレーシアは14年連続ロングスティ人気国NO1に輝いた国です。マレーシアが人気なのは親日で国民性が穏やか、バラエティに富む観光場所、他民族で多彩な文化、英語が広く使える、生活水準は高いのに、物価が安い、日本人人口が多い、日本のイオンやデパートがある、日本食レストランが多い、日本語が通じる医療機関が多く医療レベルが高い、旅行の基点として便利、一年中温暖、治安がよい、道路や宿泊施設が充実している、高速インターネットが通じる、水質がいい、停電もめったにない、法律がしっかりしている、政治が安定している、経済が好調である、日本の各地の空港から直行便がある・・・等です。

今回はジョージタウン、ガーニーエリア、バトゥ・フェリンギのエリア、極楽寺を主に紹介いただきました。

ジョージタウンは世界的な貿易港として栄えた町でコロニアル調の洋風建築と、マレー、中国、インド式 の建物が相交った町並みが美しく、世界遺産となっています。様々な人種が生活をしており、多彩な文化とグルメが楽しめます。中国寺院、モスク、ヒンズー寺院が仲良く併存しています。また、ストリートアートが有名で建物に描かれた壁画を見ながらトライショーで街を巡るのが人気です。

ガーニーエリアは屋台街が有名で、CNN世界の美食ランキング7位に輝いた名物のペナンラクサはここで食べられます。エビのペーストが入っていることが特徴です。この周辺は高級コンドミニアムが立ち並んでいます。

北部バトゥ・フェリンギ周辺は世界的に有名なビーチリゾートで高級ホテルが立ち並び、バカンス客でにぎわっています。マリンスポーツも楽しんだ後、レストランやカフェ、屋台街、マッサージ店でゆったりできます。

極楽寺は東南アジア最大の仏教寺院の一つで、中国式、タイ式、ビルマ式の仏教様式が混合した七重の塔が有名です。夜は時々ライトアップされ、カラフルで一見仏教テーマパークのようですが、陳腐さはなく芸術性の高い仏教芸術を楽しむことができます。

ペナン島でゆったりしただけでなく、多彩な文化にも触れ、充実した旅行だったようです。

二部 海外旅行トーク・サロン(質疑応答および座談会)では、海外でことばで困った経験、海外旅行会話のポイントなどについて語り合いました。

 

 開催日:2020年10月11日(日曜日) 

 場所:zoomを利用したオンラインミーティング 

一部「黒海の真珠オデッサ・ウクライナの電車旅」と題して 、現地の友人に会いにウクライナを旅した方の話をお聞きしました。 

このウクライナの友人とはエジプト旅行の際、知り合ってFACEBOOKを通して友情を育み、今回の旅につながったようです。友人の家に招かれ夕食をごちそうになりました。

ポーランドから電車でウクライナへ入り、ウクライナではオデッサ、キエフを廻りました。

オデッサ駅では豪華な駅舎に目を見張りました。

初夜はエクスペディアで予約した978円のドミトリーに泊まりましたが、寝るだけのスペースしかないところでした。

2泊目以降はホテルウクライナなどいいホテルに泊まられたようです。

いいホテルでも1泊8千円程度、ただ元共産国、サービス精神に欠けるところがあったようです。

映画で有名な巨大なポチョムキンの階段、世界一深いと言われているキエフ地下鉄のアルセナーリナ駅

(地下105Mちなみに大江戸線は48M)、世界遺産のペチェルスカヤ大修道院・キエフ聖ソフィア大聖堂、2014年2月にキエフで発生した一連の抗議活動(当時のヴィクトル・ヤヌコーヴィチ大統領が失脚し、ロシアに亡命した)で有名な独立広場、チェルノブイリ原発の博物館などを観光しました。

チェルノブイリ原発があった現地へのツァーなどもあるようです。

交通機関はウーバーやグーグルマップを見て30円で周回しているバスなどを効率よく活用しました。

食の面では、ボルシチ、黒パン、ピロシキ、ペニメニ、バターを鶏肉でくるんで揚げたキエフカツレツ、マヨネーズ・チーズ入りの鮨などを楽しみました。

-3℃の寒空に暖かい美味なスープは身に染みたようです。

二部のトークサロン(質疑応答および座談会)では 冬の海外旅行の思い出やGOTOトラベルを活用した国内旅行の経験などについて語り合いました。

 

開催日:2020年10月4日(日曜日) 

 場所:zoomを利用したオンラインミーティング 

一部「オーストリアの最高峰グロースグロックナーとチロルの村へ」と題して、美しい山々と氷河などオーストリアアルプスの豊かな自然美が広がるチロル地方を同級生3人とレンタカーを借りて旅した方の話をお聞きしました。 

チロル地方はヨーロッパ中部にある、オーストリアとイタリアにまたがるアルプス山脈東部の地域です。大部分の住民はドイツ系です。

フランツ・ヨーゼフス・ヘーエ(高原)が雄大に広がっており、その中にグロースグロックナー山(富士山よりも高い3800mもある山)がそびえたっています。

フランツ・ヨーゼフスヘーエ展望台からはアルプス東部最長のパステルツェ氷河を見ることができます。

グロースグロックナーの麓、オーストリアで最も美しい村の一つであるハイリゲンブルートにも立ち寄りました。教会のひときわ目立つ細長い尖塔が印象的です。

青い空に聳え立つグロースグロックナー山を背景に素朴な木造の家々が並ぶ風景はアルプスの少女ハイジの世界です。

エーデルワイスなどの地ビール(店で買うと1本155円、レストランだと500円ぐらい)も楽しみました。標高が高いとアルコールの廻りが早いです。

デザートにはシュトゥルーデル (Strudel、詰め物を幾層にも巻くパイの様な甘い菓子)が美味です。

ロマンティック街道の代表都市ローテンブルグにもよりました。

ローテンブルクの正式名称はローテンブルク・オブ・デア・タウバーでタウバー川を望む丘の上のローテンブルクという意味があります。

ローテンブルク市内は何回も観光したことがあったので友と別行動をとり、自転車を借りて30キロ走り近郊の城も訪ねました。

気のおけない友とともに巡った旅行は大満喫の旅となったようです。

二部のトークサロン(質疑応答および座談会)では 海外でレンタカーを借りて運転した経験などについて語り合いました。

 

開催日:2020年9月27日(日曜日) 

 場所:zoomを利用したオンラインミーティング

一部「LCCとバジェット・ホテルを使った フィリピン・セブの旅」と題してフィリピン屈指の観光地セブ島を旅行した方の話をお聞きしました。 

今回のセブ旅行は韓国のLCCチェジュ航空(往復31,000円)とバジェットホテル(5泊16,000円)を利用したエコノミー旅行でしたが、旅の内容は大変充実していたようです。 

セブ市はフィリピン最初の植民都市で、人口規模はフィリピン第二位、ビサイヤ地域の中心都市です。

あの大航海時代の航海者、探検家マゼランがここセブのマクタン島のイスラム教徒の部族長ラプ=ラプの手にかかって殺害されたことは有名な話です。

その後、スペイン、アメリカ、日本の統治を経て独立することになるわけですが、その歴史を通じて多彩な文化を生み出すことになりました。

サン・ペドロ要塞、マゼラン・クロス、サント・ニーニョ教会、カルボン・マーケット、道教寺院、ヤップ・サンディエゴ・アンセストラル・ハウス、ムスオ・スグボ、山頂展望台トップスなど歴史を感じられる観光地を廻りました。

食の面でも有名な豚の丸焼き料理のレチョンやフィリピンNO1ファミリーレストランチェーン「ジョリビー」の甘いスパゲッティ、サンミゲルビール、フィリピンのポピュラーなスィーツ「ハロハロ」などを楽しみました。

オンライン英会話レッスンでフィリピン人先生を通じてセブ島の魅力は聞かれていたようですが、この旅行により、それを実感出来たようです。

二部のトークサロン(質疑応答および座談会)では 海外でのタクシートラブルについて語り合いました。

 

開催日:2020年9月20日(日曜日) 

場所:zoomを利用したオンラインミーティング

一部「タスマニアトレッキングツアーに参加して」と題して、以前、焼津市の英語教師として滞在していたオーストラリア人夫妻との交流を目的としてタスマニアを旅行した方の話をお聞きしました。

タスマニアは北海道より少し小さいくらいの島で人口は50数万人です。

メルボルンからタスマニアのオーストラリア人夫妻の住むデボンポートに入り市内観光を共にし、その後、南部のホバートへ移動し、トレッキングツァーに参加しました。このツァー(2泊3日)は交通費、ガイド料、宿泊費、全食事込みで49,000円と大変コストパフォーマンスの良いツァーだそうで、タスマニアの西海岸の有名どころを巡るツァーです。

オーストラリア人、イタリア人、アルゼンチン人など多国籍の20名が参加し、国際交流を楽しむことが出来ました。

バス運転手兼ガイドが自然保護員なので専門的な説明を聞くことが出来るのもこのツァーの特色です。

タスマニアは世界で最も山岳地帯の多い島で原生林や大自然があり、随所に大変美しい景色を楽しむことができたようでLake St Clair、 Henty Sand Dunes (砂丘)、Hogarth Falls、Zeehan Silver City、世界遺産Cradle Mountain国立公園などを廻ってデボンポートに戻ってきました。

ツァーは同行者の良し悪しに左右されます。(これは運)今回は一緒に回った面々が気のいい人ばかりで大変楽しいツァーになったようです。

二部のトークサロン(質疑応答および座談会)では 海外旅行の準備、パッキング(荷造り)術、バゲージの種類、海外旅行に必ず持参する物,etc.について語り合いました。

 

開催日:2020年9月13日(日曜日) 

場所:zoomを利用したオンラインミーティング

一部「火の国アイスランド・ゴールデンサークルを回る旅」と題して、ピースボートクルーズでオーロラを見る目的でアイスランドを旅行した女性の方の話をお聞きしました。肝心のオーロラを見ることは出来なかったようですが、アイスランド観光のハイライトであるゴールデンサークルと呼ばれるシングヴェトリル国立公園、グトルフォスの滝、 ゲイシール(間欠泉)などの観光地を8人のメンバーでレンタカーで回ることができました。

アイスランドではユーラシアプレートが東に北米プレートが西に大地を押し広げ、断層が縦に走り、各所でギャウと呼ばれる地の裂け目を見学できます。とりわけ世界遺産シングヴェトリル国立公園では規模の大きいものがを見ることが出来るようです。プレートの境目は普通は海の中なので地上で見ることが出来るのは珍しいようです。このシングヴェトリルの地の裂け目の間は音響がいいため、全島の住民集会が開かれました。これは民主議会の発祥ということになり、世界的に有名になりました。

ゲイシール(間欠泉)は2000年に起きた地震により、活動が再開し、巨大な噴出が世界中から押し寄せる観光客を楽しませているようです。

グトルフォスの滝は別名「黄金の滝」と呼ばれ、水しぶきがすごく壮大な光景を見ることが出来たようです。

アイスランドで予定していたブルーラグーン温泉体験はレンタカーの手続きのトラブルで時間がとられたため、行くことは出来なかったようですが、オススメスポットだということです。

二部のトークサロンでは 「私が見た世界の自然の驚異」について各自が用意した写真を見ながら、語り合いました。

 

開催日:2020年9月6日(日曜日) 

場所:zoomを利用したオンラインミーティング

一部「私がパリについて知っている2,3の事柄」と題して、パリをこよなく愛する方の話をお聞きしました。

この方はパリは20回くらい行かれているようですが、墓地をよく訪れるようです。

例えばモンマルトル墓地です。ここには映画監督の名匠フランソワ・トリュフォーの墓があることでも有名でこの方もトリュフォーの熱心なファンだそうです。

ペール・ラシェールズ墓地はもう観光地化されていて、ツァーの立ち寄り先にもなっているようで、ジム・モリソン、オスカー・ワイルド、ショパン、モディリアーニ、イヴ・モンタン、コローなどの著名人の墓があります。

世界中の本好きが訪れるシェイクスピアアンドカンパニー書店の紹介もありました。

ここはセーヌ川左岸にある有名な英語文学専門の書店で1919年開業、今は2代目だそうですが、有名な「チャタレー夫人の恋人」が禁書にされた当時もここでは入手できたようです。

世界随一の観光地、花の都パリはエッフェル塔、ノートルダム寺院、ルーブル美術館、凱旋門など著名な場所以外にも見どころはいろいろあるようです。

二部は各自の海外旅行でハマった場所について語り合いました。

 

開催日:2020年8月30日(日曜日) 

場所:zoomを利用したオンラインミーティング

  一部「海外旅行におけるクレジットカード」と題して、アフターコロナを見据えて、海外旅行に便利なクレジットカードの利用のポイントをレクチャーしていただきました。

1:海外旅行保険

2:マイレージ

3:空港ラウンジ

4:海外ATM

の4項目についてわかりやすく説明していただきました。

 クレジットカード付帯の海外旅行保険には自動付帯と利用付帯の別があること、治療費など2社以上請求の場合は支払い最高額の比率となること、持病については適用されない可能性があり、特約・応急治療で対応できること、マイレージは、座席のランクアップ、商品やレストラン・ホテルなどのサービスポイントに交換などに利用できること、AMAZONギフト券購入・使用でJALマイルが2重取りできること、ANAマイレージモール経由でポイントが加算され、両取りできること、マイレージ利用にはシーズンチャートを参考にすべきこと、空港ラウンジが利用できるカードの情報など、有益な情報が語られました。

二部は各自の海外旅行の宿泊場所について語り合いました。

 

開催日:2020年8月23日(日曜日) 

場所:zoomを利用したオンラインミーティング

 一部「灼熱のコスタ・デル・ソル(Costa del Sol)でバカンス三昧!!」と題して、コスタ・デル・ソルでバカンスを楽しんだ方の話をお聞きました。

コスタ・デル・ソル(Costa del Sol)とは、太陽海岸という意味で、スペイン南部地中海に面する1年で300日以上太陽の光が降り注ぐ地域です。マラガ、トレモリノス、マルベーリャ、スペイン有数の観光地白い村ミハスなどなどの街が有名です。白い壁の家々を際立たせる青い空と海が、世界中から訪れる観光客らを魅了しています。特にシーズンの時期はバカンス客、ロングスティヤーであふれかえります。

この地域については以前、シルバーコロンビア計画で注目されました。シルバーコロンビア計画とは、1986年に通商産業省が提唱した、第二の人生を海外で送るリタイア層に対する支援事業計画で、その後、この計画は頓挫しましたが「海外滞在型余暇研究会」から「ロングステイ財団」へと今日までそのポリシーは継承されています。話し手は「ロングステイ財団」に所属するロングステイアドバイザーでこの旅にはマラガにある「ロングステイ財団」の「現地サロン」を訪問する目的もあったようです。

ちなみに「海外ロングステイ」とは、移住とか駐在などではなく、現地に2週間以上滞在する海外旅行のことを言います。

紀元前にフェニキア人によって建設された太陽海岸の中心都市マラガはピカソの出身地でもあり、ピカソはこの町で幼少時代を過ごしました。ピカソの生家やピカソ美術館があります。美しいビーチ、安く食材などを調達できるアタラサナス市場、壮麗なエンカルナシオン大聖堂、町を一望できるアルカサバ、そして闘牛場など、観光の名所も多くあります。他のヨーロッパ都市と比較して物価も安く、シーフードなどは日本人の口にも合います。

暑い中の旅行でしたが、とてもよいバカンスを過ごされたようです。

二部は各自の海外旅行の宿泊場所について語り合いました。

 

開催日:2020年8月9日(日曜日) 

場所:zoomを利用したオンラインミーティング

一部「悠久の大地インドにあなたも呼ばれる日が来る!!」と題して、インド旅行をされた方の話をお聞きしました。

悠久の大地インドは、五千年の歴史を持つ広大な国です。豊かな自然、伝統的な芸術、様々な人々と動物が共存する文化、過去と現在が同時に存在する国です。

今回のインド旅行は個人手配で、ビザも代理店を通さずご自分で取られたようで1万円かかるところが1,200円で済んだようです。デリーから途中、怪しい旅行社に連れていかれ、監禁され、偽警官まで登場してだまされそうになるという怖い経験もしながら、ジャイプールへ、そしてアグラへ、着いたタージ・マハル(ムガル帝国第5代皇帝シャー・ジャハーンが、1631年に死去した愛妃ムムターズ・マハルのため建設した総大理石の墓廟)は華麗で壮大で心から「来てよかった!!」と思ったそうです。

駅で4時間も列車を待たされたり、毎日毎回のカレーの食事に辟易 したり、ハチャメチャな暑さでぐったりしたり、苦難の連続の旅行だったようですが、他の国の旅にはない魅力もあり、エキサイティングな思い出深い旅となったようです。

二部は各自の海外旅行の思い出について語り合いました。 

 

開催日:2020年8月2日(日曜日)

場所:zoomを利用したオンラインミーティング

 一部は「オーストラリア、メルボルン・パースへ家族旅行!!」と題して、オーストラリアの文化的首都メルボルン、ビーチや美しい公園が織りなす世界と小さなバーやレストランで賑わう都市の顔を併せ持つ街パースと魅力溢れるオーストリアの2都市を家族で旅行した方の話をお聞きしました。

 メルボルンではビクトリア州立図書館、メルボルンセントラル(メルボルンセントラルショッピングセンターがある)、世界遺産のメルボルンミュージアム、「アーケード」と「レーンウェイ」を訪ねました。メルボルンはオーストラリアの他の都市とは違い「流刑地」ではなかかったため、文化的な香りがします。カフェが多く、あのスターバックスも参入を断念したのだとか。緑も多く「ガーデンシティ」とも呼ばれているようです。

 パースでは無数の奇岩群が創り出す不思議な光景を目にすることができるピナクルズツァーに参加しました。洞窟、原生林、コアラのコロニーで有名なヤンチャップ国立公園も立ち寄りました。

「世界一美しい街」と言われているパースの街が一望でき、バオバブの木もある広大な「キングスパーク」もオススメのようです。

パース から南西約10kmに位置するフリーマントルフィッシングボートハーバーも周りに植民地時代の古い建物が残っていて、19世紀の雰囲気が残るいいスポットだそうです。

この旅行は主に娘さんが企画したようですが、ご家族にとって思い出に残るいい旅だったようです。

二部は各自の初めての海外旅行の思い出について語り合いました。 

 

開催日:2020年7月26日(日曜日)

場所:zoomを利用したオンラインミーティング

 一部は「思い出に残る世界の宿」と題して、 フランス・ヴィシーの古城ホテル、スイス・グリンデルワルトの宿、イタリア・アグリツーリズムでの宿、竹富島・星のや、タスマニアの小さなホテル・山小屋、イグアスの滝の近くのベルモンドホテル など、思い出に残ったオススメの宿の話をしていただきました。

宿を選ぶときは、観光基地としては3or4ッ星ホテルより、現地ツァー集合場所に近いかどうか、スーパーや駅やバス停に近いかどうか、バスタブの有無、朝食の内容、レストラン・プール・サウナの有無などの様々な条件から選択されるようです。

例えばブロードウェイのミュージカルを観劇した後は深夜になるため、治安の悪そうな帰路は避けて近くに泊まるなど、宿選びの工夫についてもレクチャーいただきました。

しかし、その宿がよかったかどうかは、結局スタッフの対応がよかったかどうかに負うところが大きいようです。

二部は各自の思い出の宿や近況について語り合いました。 

 

開催日:2020年7月19日(日曜日)

場所:zoomを利用したオンラインミーティング

一部は「企業城下町シアトルの魅力」と題して、マイクロソフト、ボーイング、スターバックス、アマゾン、コストコなど大企業がひしめくも、全米で住みやすい街ランキングで常に上位を争う町シアトルを旅した方の話をお聞きしました。

シアトルのランドマーク的なスペース・ニードル(962年の万国博覧会の時に建てられたタワーの上部にUFOのような円盤状の展望台がくっついている独特なデザインのタワー、高さ184m)、歴史産業博物館(町とマイクロソフトなどの歴史を展示)、最も有名な観光スポットであるパイク・プレイス・マーケット、ボーイングの工場、航空博物館、セーフコ・フィールド(あのイチローで有名なシアトルマリナーズのホームグラウンド)、若者に人気の町フリーモント、世界の公園トップ25に選ばれたケリー・パークなどを訪れ、水陸両用車によるダックツァー、アンダー・グラウンド・ツァーなどにも参加されたようです。

アジア系移民も多く住んでおり、韓国料理・中華料理・地元の海鮮料理なども楽しまれ、思い出深い旅となったようです。

二部は質疑応答および座談会で今日のプレゼンの質疑応答や各自の近況など、語り合いました。 

 

 

開催日:2020年7月12日(日曜日)

場所:zoomを利用したオンラインミーティング

一部は「薔薇香るエキゾチックな魅力あふれる東欧の国ブルガリアの旅」と題して、リラの僧院や首都ソフィアのアレクサンダル・ネフスキー寺院などを訪れた方の話をお聞きしました。

バルカン半島にあるブルガリアへ羽田を夜出発し、翌日早朝、フランクフルト乗り継ぎで首都ソフィアへ午前中到着しました。空の玄関口ソフィアは観光の中心都市としても栄えています。物価は他のヨーロッパの国々と比べ安いようです。観光は、まず「アレクサンダルネフスキー寺院」ブルガリア総主教の中心で、世界的にみてもその大きさは最大級の正教会です。地下鉄「セルディカ」駅の地下道は発掘されたローマ時代の石碑や遺跡があり、ちょっとした博物館になっています。中央市場「セントラル·ハリ」へも立ち寄りました。普段は大勢の人でにぎわっているようですが、その時は時間帯が悪く人はまばらだったようです。

ソフィアから車をチャーター(100ユーロ)して、約3時間、世界遺産「リラの僧院」を訪れました。世界中から多くの観光客が押し寄せています。イスラム教の帝国「オスマントルコ」の時代、ブルガリアでここだけはキリスト教の信仰を守ることができたようです。

壁いっぱいに描かれたフレスコ画は息をのむほどの美しさで、必見の価値があります。

ブルガリアへ旅行したら、ここだけは訪れなければならないところのようです。 

二部は質疑応答および座談会で今日のプレゼンの質疑応答や各自の近況など、語り合いました。

今回からプレゼン40分、質疑応答および座談会40分という構成にいたしました。

 

開催日:2020年7月5日(日曜日)

場所:zoomを利用したオンラインミーティング

「ユカタン半島の街「MERIDA メリダ」を拠点にマヤ文明の遺跡を観光!」と題して、ここを拠点に マヤ遺跡、セノーテ、自然公園を観光した方の話を聞きました。

日本人にあまり知られていないメキシコ・ユカタン州の州都メリダはスペイン風コロニアル様式の街並みがあり、治安・雰囲気も良く、町の南80kmには世界遺産のウシュマル遺跡、その東南22kmにはカバー遺跡、東には世界遺産のチチェンイツアがあり、マヤ遺跡探訪の拠点として滞在するのに便利な場所です。街の中にもソカロ広場、カテドラル、ユカタン人類学博物館などの観光名所もあります。

セノーテは、石灰石にできた大きな空間に、雨が溜まってできた天然の泉で、ユカタン半島でしか見られない貴重な自然の芸術です。ツァーでクサマ、イクキルなどのセノーテを訪れ、新調した防水カメラ片手に遊泳されたようです。

フラミンゴやペリカンの美しい群れを観察できるセレスティン国立公園も訪れました。

スペイン料理も魅力です。サボテンステーキ、七面鳥の黒ソース煮、アボカドソースやチョコレートソースをたっぷりかけた料理、トルティーヤ、野菜豊富なタコス、サルブテス、バナナの皮でチキン・野菜を包んで蒸した地元料理などを地ビールとともに楽しまれました。

帰りはメキシコシティを経由して帰国されましたが、テオティワカン遺跡にも立ち寄られ、大満足の旅行だったようです。

 

開催日:2020年6月28日(日曜日)

場所:zoomを利用したオンラインミーティング

「魅惑のエーゲ海クルーズ、セレスティアルオリンピア号で紺碧の海に浮かぶ島々を巡る優雅な船旅 !!」と題して、エーゲ海の白い宝石と呼ばれるミコノス島、トルコの有名リゾート地クシャダス、エフェソス遺跡、聖ヨハネがイエス・キリストから啓示を受けたパトモス島、クノッソスの迷宮で知られるギリシャ最大の島クレタ島、海外トラベラー憧れのサントリーニ島をクルーズで訪れた方の話を聞きました。

このクルーズはドリンクパーケージ込み、オプショナルツァー込み、毎晩行われる楽しいショーなどのイベント込み、勿論全食事込みで移動・宿泊のコストを考えると大変コストパフォーマンスが良いといえます。オリンピア号は全長284m、37,584tの中型カジュアル船ながら、乗り心地のいい船です。若い女性の日本人スタッフも数名乗っています。食事も自由席なので毎日違う方と一緒に夕食をとって海外旅行話に花を咲かせ、楽しいひと時を過ごされていたようです。このクルーズの特徴は魅力ある寄港地(午前に一ヶ所、午後も一ヶ所)に効率的に多く立ち寄れることです。リトルベニス・カトリミの風車・白いミコノスタウンで有名なミコノス島、セルシウス図書館・ドミティアヌスの神殿・ラトリネ(トイレ)などの遺跡で有名なトルコのエフェソス、キリストの愛弟子ヨハネがローマ皇帝から迫害・島流しにされ幽閉された洞窟と聖ヨハネ修道院で有名なパトモス島、王座の間・王妃の間・紀元前2000年ごろに描かれた百合の王子の肖像画などがあるミノア文明のクノッソス迷宮で有名なクレタ島、断崖絶壁と紺碧の海・白い家々・青いドーム屋根のギリシア正教の小さな教会とエーゲ海に沈みゆく黄金色に輝く夕日のコントラストが有名な、まさにエーゲ海クルーズのハイライトともいえるイアの町があるサントリーニ島などです。

船内生活、寄港地観光とも大満喫のクルーズだったようです。

 

開催日:2020年6月21日(日曜日)

場所:zoomを利用したオンラインミーティング

オンライン交流会、互いの近況や海外旅行についての最新情報を語り合いました。

以下、航空会社(国際線/国内線)各社のコロナ対策の例です。

・チエックインはできるだけオンラインチェックイン。

・乗客にはマスクを着用(機内でも、ただし食事の際は取り外しOK)

・荷物は最小限に減らす努力をして機内持ち込み荷物は頭上のロッカーの出し入れを控えるために座席下に収納できる量にまとめるよう要請する航空会社もあり。

・機内では乗客に消毒用シートを配布。

・ドリンクやミールサービスは制限を設ける航空会社が多い。(例えばビジネスクラスでも一品だしではなくトレーにてひとまとめに)

・雑誌や新聞、座席ポケット内の冊子の配布を中止。

・その他航空会社により過去14日間にコロナの症状がないことを確認するチエックシートを導入したり、乗客に対する体温測定を行ったり、血中酸素濃度測定など検査ツールの使用頻度を増やしている。

以下は宿泊各社のコロナ対策の例です。

・客室はもちろんのこと、館内各所の清掃.消毒作業の徹底。

・フィジカルディスタンスを促すサインの掲示。

・パブリックスペース(ロビー等)の空間は、スタッフはマスク着用。

・マリオットグループでは希望者にモバイルアプリでの[タッチレスサービス]を提供したり、宿泊客のスマホによるチェックインや客室ドアの開錠を行っている。

・ルームサービスは料理を包装し客室ドアの目前に届ける。

・プリンスホテルでは、清掃済みの客室ドアにシールを貼付して清掃,消毒後には誰も入室していないことを宿泊客に伝えたり、敷地が広大な軽井沢プリンスホテルでのコテージ利用宿泊客を対象にドライプスルーチェックインを行っている。

 

開催日:2020年6月14日(日曜日)

場所:zoomを利用したオンラインミーティング

「 南米の玄関口ペルーの旅パートⅡ」と題して先週に引き続きピースボートクルーズのオプショナルツァーでペルーを旅した方の話をお聞きしました。まず、最初にピースボートクルーズについて、また船内の様子についてのお話があり、引き続きインカ帝国の中心都市クスコの街の様子を紹介していただきました。

インカ帝国は太陽信仰が国家宗教で、皇帝は「太陽の子」として統治するという「太陽の帝国」でした。最盛期の領土はペルー、ボリビア、エクアドルを中心に、チリ北部と中部、アルゼンチン北西部、コロンビア南部におよび、アンデスの産地やアマゾンの密林をつらぬく「インカの道」が建設されて広大な領土を治め、栄華を極めていましたが、スペインが派遣したピサロに征服され、滅亡しました。

マチュピチュ遺跡はインカ皇帝の夏の離宮として建設されました。

インカの都市は動物をモチーフに作られたようです。クスコはピューマ、マチュピチュはワニといった具合です。遺跡は多角形の切石が隙間がなく積まれていて、当時の見事な建築技術を垣間見ることができたようです。石の運び方など最近、いろいろ研究も進んだようで、その点についても解説していただきました。

それにしても、標高2430mの尾根にある堅牢な都市で、「インカの失われた都市」と言われているマチュピチュ遺跡については当時文字がなかったこともあって多くは謎に包まれているようです。

 

開催日:2020年6月7日(日曜日)

場所:zoomを利用したオンラインミーティング

「 南米の玄関口ペルーの旅」と題してピースボートクルーズのオプショナルツァーでペルーを旅した方の話をお聞きしました。

 ペルーの首都リマは、「ここはスペインか?」と見間違えるほど、立派なスペイン建築がセントロ地区のアルマス広場の周りにあります。サントドミンゴ教会、カテドラル、大統領府(あの日系大統領のフジモリ氏もいました。)などです。

リマからナスカの地上絵を見に移動しました。20世紀前半にアメリカの大学教授が飛行中に発見しました。ハチドリ、クモ、サルなど約30の絵柄をセスナ機で観光するも、あっという間で飛び去ってしまうため、カメラに鮮明な画像を収めるのは至難の業でなかなかうまく撮れなかったようです。

この絵は地表の小石を取り除き、下の地肌を露出させて、拡大法という技法で描かれています。

日本の小学生が実習でこの方法により、同じような絵を描いたところ、3時間もかからなかったようですが当時はもっとかかったようです。

この絵が描かれている場所には保護のため立ち入ることはできません。

現在はナスカの地上絵の他にもいろいろと同じような幾何学的な絵が次々と発見されているようです。

古代インカ文明の謎を解き明かす話を興味深くお聞きすることができました。

 

開催日:2020年5月31日(日曜日)

場所:zoomを利用したオンラインミーティング

「ポルトガル・リスボンと近郊の魅力的な街々」と題して世界中から観光客が集まる観光都市であるポルトガルの首都リスボンと周辺の街を旅した方の話をお聞きしました。

ポルトガルは物価も安く、料理も海産物など日本人の口に合い、節回しのあるファドの哀愁ある歌声も演歌好きな日本人の心に響き、とても魅力的な旅行先です。ヨーロッパ人のリタイヤメント先としても人気のようです。

リスボンでは、ジェロニモス修道院、1960年にエンリケ航海王子の500回忌を記念して作られた発見のモニュメント、リスボン大聖堂、ベレンの塔、アジュダ宮殿などを市内バスとUBERで観光しました。

近郊へは現地ツァーを利用し、ペーナ宮殿(シントラ)ユーラシア大陸最西端のロカ岬、エボラ大聖堂(エボラ)などを回ったとのことです。

この方の海外旅行スタイルは、原則1ヶ所のバジェットホテル(イビス)に滞在し、現地で申し込んだ日帰りツァーで近場を回るという体に負担のないものです。

ヨーロッパの田舎?でありながら、「過去の大航海時代の栄光」がきらめくポルトガルの旅行は思い出深いものとなったようです。

 

開催日:2020年5月24日(日曜日)

場所:新型コロナウィルス感染拡大防止のため、zoomを利用したオンラインミーティング

「エジプトの旅」と題して 5千年の歴史を有し、古代ロマンの香りをただよわせている国、エジプトを旅した方の話をお聞きしました。

カイロでは、ツァーで定番のギザの3大ピラミッドへ、実際に近くで見ると大変圧倒されたということです。「エジプト考古学博物館」では、エジプトの歴史的な25万点以上の貴重なコレクションを堪能しました。

その後、カイロからアブシンベルまでバスで行き、アブシンベル神殿を見学し、アスワンへ、アスワンからは2泊3日のナイル河クルーズです。

ナイル河クルーズでは、ベリーダンス鑑賞などを楽しみつつ、途中、数々の巨大な古代遺跡を観光します。ルクソールでは、象形文字が彫られたカルナック神殿やルクソール神殿、王家の谷等を見学し、カイロに戻ります。

米、マカロニ、スパゲティ、レンズ豆と炭水化物たっぷり入ったコシャリというリーズナブルな料理やモロヘイヤがたっぷり入ったヘルシーなムルキーヤスープなど、エジプトB級グルメの紹介もありました。エジプト旅行は魅力いっぱいです。

 

開催日:2020年5月17日(日曜日)

場所:新型コロナウィルス感染拡大防止のため、zoomを利用したオンラインミーティング

「ドレスデンからハンブルグまでの自転車と列車の旅」と題して、昨年5月~6月にエルベ川沿いのサイクリングコースを走った方の話をお聞きしました。

エルベ川は、チェコ北部に端を発し、ドイツ東部を流れて、北海に注いでいます。

ドイツは自転車道路がよく整備されています。エルベ川沿いにも風光明媚で気持ちの良いサイクリング・ロードがAmazonで手に入るbikelineのガイドブックに紹介されています。

ドレスデンからからマグデブルクまで、時速15~20KMぐらいの速度で走り、そして列車でハンブルグ近郊のラウェンブルグまで行き、またサイクリング・ロードでハンブルグを目指しました。

疲れた体に途中で食べた旬の白アスパラとビールがとても美味しかったようです。

第二部も皆さん、情報交換を行うなど活発に交流いたしました。

 

開催日:2020年5月10日(日曜日)

場所:新型コロナウィルス感染拡大防止のため、zoomを利用したオンラインミーティング

「ベトナムホーチミン在住のベトナム人女性に聞くベトナムとっておき情報 !!」と題して、静岡市にも住んだことのある日本語堪能なベトナム人女性に、現在のベトナムの状況についての話をしていただきました。

このように海外にいる方からオンラインで話を聞くのは、この会初めてのことでした。

ベトナムでは5/11からロックダウンが解除になり、自由になるということです。

ベトナムは新型コロナウィルス対策が早くから行われており、感染者数も288名足らずで肺移植も試みられなど死者数も0に抑えられています。世界に誇るべき成果をあげています。

ただ給付金などの政府支援については期待薄とのこと、ベトナムでは政府に頼るより、民間が互いに支えあう体制ができているという話でした。

第二部も皆さん、情報交換を行うなど活発に交流いたしました。

 

開催日:2020年5月3日(日曜日)

場所:新型コロナウィルス感染拡大防止のため、zoomを利用したオンラインミーティング

「アジア最後のフロンティア、ミャンマーは経済、観光地として発展途上ですが、個人旅行では今が面白い、楽しめます!」というテーマで2019年の年末からミャンマーを周遊(マンダレー〜インレー湖〜バガン〜ヤンゴン)した方からインレー湖の周辺観光を中心にご紹介いただきました。

インレー湖は、ヤンゴンの北部、マンダレーの南東部、バガン東部に位置する大きな湖です。

インレー湖観光の玄関口ニャウンシュエからボートで観光できます。

その周辺には首長族の村、 インデイン遺跡、ガーペー僧院 、カックー遺跡、  ファウンドゥー・パゴダ

などの観光地が点在しています。

それらの観光地の見どころの案内や、ミャンマー料理、レストランの話、ヤンゴンからの小型飛行機の話など皆さん興味深く聞かせていただきました。

第二部は恒例の旅の情報交換を行い、活発に交流いたしました。

 

開催日:2020年4月26日(日曜日)

場所:新型コロナウィルス感染拡大防止のため、zoomを利用したオンラインミーティング

 旧ユーゴスラビアの旅(セルビア、ボスニア、モンテネグロ、マケドニア、コソボ+アルバニア)

と題して個人旅行でこれらの国を旅した方の話をお聞きしました。

ユーゴスラビアは7つの国境、6つの共和国、5つの民族、4つの言語、3つの宗教、2つの文字を持つ、1つの国家と言われていました。

特にこの地域は歴史的にオスマン帝国の影響下にあり、イスラム文化が育ってきました。今もイスラム教徒が多く住んでいます。シリア難民も大勢逃れてきています。

多彩な文化を楽しむことができる魅力的な街が多くあります。

また、物価も安く、人も優しいということでした。

 

開催日:2020年4月19日(日曜日)

場所:新型コロナウィルス感染拡大防止のため、zoomを利用したオンラインミーティング

第一部はチョイ住み inクロアチア(ドゥブロブニク、スプリト)と題してNHKの人気番組チョイ住み in○○○のように、年齢の違う二人がホテルではなくアパートメントで自炊をしながら、クロアチアにまるで引っ越したように共同生活を楽しんだ旅の話をお聞きしました。

アパートメントはAirbnb(エアビーアンドビー)を利用して予約したそうです。近隣の観光地コトル(モンテネグロ)やモスタル(ボスニアヘルツェゴビナ)への日帰り旅も満喫したようです。

そのほかセディナカードで海外キャッシングするメリットや、ドゥブロブニクカードの特典についての情報も提供されました。

第二部は恒例の旅の情報交換を行い、活発に交流いたしました。

 

開催日:2020年1月18日(土曜日)

場所:アイセル21 4F

静岡県静岡市葵区東草深町3−18 定例会 (海外旅行情報交換会)

第一部は地中海文明の十字路シチリア島へご夫婦で2週間かけてゆったりと旅行をされた方の旅の話をお聞きしました。

シチリアの食材・果物・スイーツ・ワインの種類とおすすめのお店をご紹介いただきました。

数百のホテルを予約サイトから英語の口コミを頼りに、比較検討し、特に朝食の美味しいところを選んだこと。

古代円形ギリシア劇場で、盲目のハンディを克服した世界最高峰のテノール歌手アンドレア・ボチェッリのコンサートを鑑賞し、奥様がまた来たいと言われたこと。

などが語られました。

航空会社により、シートピッチがどのくらい違うかという話に聴衆は興味深そうに耳を傾けていました。

第二部は恒例の参加者を6グループに分けて旅の情報交換を行い、各グループ活発に交流いたしました。

今回も大勢の方のご参加をいただきました。

 

開催日:2019年11月16日(土曜日)

場所:アイセル21 4F

静岡県静岡市葵区東草深町3−18 定例会 (海外旅行情報交換会)

第一部は異世界モロッコに魅せられた女性の方の旅の話をお聞きしました。

50度近い灼熱の中で、フナ広場の屋台の生絞りのオレンジジュースをがぶ飲みし、美味しかったこと。熱い昼間はハマムでリフレッシュしたこと。モロッコで人気の宿「リヤド」に宿泊したこと。迷いそうなスークにある店に並ぶ雑貨や光を放つランプなどの可愛さ・美しさに女子心がときめいたこと。サハラ砂漠の満天の星の下での野宿体験がとても開放的で貴重な経験であったこと。刺激的な夜のフナ広場(マラケシュ)にはまって毎晩通ったこと。 などが語られました。

第二部は恒例の参加者を6グループに分けて旅の情報交換を行い、各グループ活発に交流いたしました。

今回も大勢の方のご参加をいただきました。

 

開催日:2019年9月14日(土曜日)

場所:アイセル21 4F

静岡県静岡市葵区東草深町3−18定例会 (海外旅行情報交換会)

第一部はアジアに魅せられた経験豊富なトラベラーのお話をお聞きしました。

1歩踏み込んだ東南アジア旅行計画(タイ、ミャンマー、ベトナムなど)のご提案があり、是非、訪れてほしい観光地、食べてほしいB級グルメのご紹介がありました。

旅行中の健康管理についてのお話もあり、汗っかき対策に柿渋石鹸、食あたり・腹痛・下痢対策にはIMODIUM、ガストロビスモル、Ulutrracarbon、乾燥納豆などがよいことなど大変参考となる情報をいただきました。

第二部は恒例の参加者を6グループに分けて旅の情報交換を行い、各グループ活発に交流いたしました。

今回も大勢の方のご参加をいただきました。

 

開催日:2019年7月13日(土曜日)

場所:アイセル21 4F

静岡県静岡市葵区東草深町3−18定例会 (海外旅行情報交換会)

第一部は富士山静岡空港から行くヨーロッパ・アジア・北米の便利な行き方~安く航空チケットを手に入れるには?と題して、長年旅行会社に所属するいわば旅のプロによる話をお聞きしました。

航空チケットの価格はどの様に決まるのか?富士山静岡空港を利用するノウハウ、経済的メリットなど、裏話も交えながら語っていただき、興味深く拝聴させていただきました。

第二部は恒例の参加者を6グループに分けて旅の情報交換を行い、各グループ活発に交流いたしました。

今回も大勢の方のご参加をいただきました。

 

開催日:2019年5 月18日(土曜日)

場所:アイセル21 4F

静岡県静岡市葵区東草深町3−18定例会 (海外旅行情報交換会)

一部では オランダへ、そしてトルコにも行かれた女性トラベラーの話 をお聞きしました。

アムステルダムの年末年始の花火の様子、アムステルダムのスーパーマーケットの品ぞろえと価格、 

イスタンブールの市場で声をかけられまくったが、トルコ人は親日で人なつっこく、親切な人が多かったこと。

ハマム浴場で泡まみれでマッサージしてもらい、気持ちよかったことなどが語られました。 

第二部は参加者を6グループに分けて旅の情報交換を行い、各グループ活発に交流いたしました。

今回も大勢の方のご参加をいただきました。

 

開催日:2019年3 月16日(土曜日)

場所:アイセル21 4F  

静岡県静岡市葵区東草深町3−18定例会 (海外旅行情報交換会)

一部では世界100都市を巡った女性トラベラーのお話しをお聞きしました。美食の街リヨンの壁画、ロンドンの老舗ライブハウス、ベルリンの地元のジャズバーやオペラ鑑賞、ヨーロッパのLCC搭乗の話などの旅の思い出が語られました。

また、ロストバゲージ、広い空港で乗り継ぎでの苦労話、化粧用品をセキュリティチェックで没収されたことなどのトラブルの話も興味深いものでした。

第二部は参加者によるバズセッション(旅の情報交換)を行い、各グループ旅話で盛り上がりました。

今回も大勢の方のご参加をいただきましたが、特に女性の方の参加が目立つ会でした。

 

開催日:2019年1月26日(土曜日)2月2日(土曜日)

場所:アイセル21 4F  

静岡県静岡市葵区東草深町3−18 アイセル21さんとの共同企画講座

 

1回目(1/26)旅行の計画、パックツアーと個人旅行、ツアーの探し方、はじめての海外旅行でオススメの渡航先、海外旅行の基本的な用語、空港・飛行機について、持ち物は?お金はどうする?パスポート取得

2回目(2/2)航空チケット、ホテルの選び方、ユーレイルパスの話、持参していくと便利なもの、スマホ活用術、海外旅行保険について

いづれも大勢の方のご参加をいただきました。

 

開催日:2018年11月17日(土曜日)

場所:アイセル21 4F  

静岡県静岡市葵区東草深町3−18定例会 (海外旅行情報交換会)

1.マイアミオーランド(ディズニーワールド)、アメリカ本土の最南端の地キーウェスト、そしてキューバまで行かれた方 の旅話をお聞きしました。

旅行された当時、アメリカからキューバまでの直行便は本来は利用が難しかったようですが、キューバ人の里帰り便を利用して訪れることができたということです。

現地ではキューバ人価格と外国人価格の差がものすごかったようです。

しかし治安もよく、人も温かい、そして刺激的なキューバは人気の観光地です。

2. 海外でのスマホ活用法では、世界100カ国以上で利用可能なソフトSIM内蔵のモバイルWiFiルータ「GlocalMe」についての説明がありました。

 

開催日:2018年9月29日(土曜日)

場所:アイセル21 4F  

静岡県静岡市葵区東草深町3−18定例会 (海外旅行情報交換会)

9月1回目はバックパッカーの聖地インドのデリー、アグラ、バラナシを旅した方話をお聞きしました。

食事は激辛カレーばかり、牛糞などで不潔な路地、しつこい詐欺師のインド人たちに絡まれた、リキシャなども10倍の運賃を吹っかけてくるなど、色々な苦労もあったようですが、なかなか楽しい旅だったようです。

ただ、バラナシでガンジス川で沐浴して大腸菌感染し、大変な思いをしたとのことでした。

そのほかにも、ヨガ体験の話、アーユルベーダは超気持ちよかったこと、タージマハルは写真で見るよりはるかに巨大で、荘厳であったことなどの思い出が語られました。

 

開催日:2018年9月1日(土曜日)

場所:アイセル21 4F  

静岡県静岡市葵区東草深町3−18定例会 (海外旅行情報交換会)

9月は2回会合があります。

1回目は「沿ドニエストル共和国」という未承認国家を旅した方の話をお聞きしました。

「沿ドニエストル共和国」はドニエストル川東岸のウクライナ国境に接する国で、モルドバの東部にある知られざる国です。

ロシア、ウクライナ系住民約50万人が住み、独自の国旗・通貨などもありますが、主権国家としては国際的に承認されていないとのこと。

モルドバ共和国の一部ですが、モルドバ政府の実効支配はなく、独立した状態のようです。

さらに今回の旅行で周遊したブルガリア・ルーマニア・モルドバ・ウクライナの話、航空チケットを取る際、ホテルや現地での移動の際の苦労話もお聞きしました。

 

開催日:2018年7月21日(土曜日)

場所:アイセル21 4F  

静岡県静岡市葵区東草深町3−18定例会 (海外旅行情報交換会)

7月の情報交換会は

女性グループで年末、年始にイタリアを巡った方の話をお聞きしました。

個人旅行は憧れていたが英語力も乏しく不安、添乗員同行ツァーは多くの場所に連れて行ってくれるが時間に縛られ車窓が多く現地の人と触れ合う機会がなかなかない。

という考えのもと、エア、ホテル、全送迎付き、列車チケット付きのフリープランパッケージツァーに申込み、ローマ~ナポリ~アマルフィ~マティーラ~アルベロベッロを巡ったということでした。

この旅の教訓としては、年末、年始 イタリアは商店などがほぼ休みで、観光・ショッピングに苦労したため、旅の前に現地事情をよく調べておく必要性があること。

語学力が乏しく、ヒアリングで出来ず、勘違いが多かったが、必死で訴えたら必ず道は開かれること。

シニア料金がいろいろなところで使えるので一応聞いてみることがお勧めということです。

色々ハプニングがあったようですが、思い出に残る楽しい旅だったようです。

フリートーキングでは乗り継ぎでのトラブル経験などの体験談が披露されました。

老若男女大変大勢の方にご参加いただきました。

 

開催日:2018年5月19日(土曜日)

場所:アイセル21 4F  

静岡県静岡市葵区東草深町3−18定例会 (海外旅行情報交換会)

5月の情報交換会は

北イタリアをレンタカーで廻った旅行者から旅のポリシー、スタイルを語っていただきました。

旅の準備を始めるにあたって

What 何をしに行くのか Where どこへ When いつ Who 誰と行くか を考えるのが重要であること。 

この方の場合、プチセレブ旅(快適豪華でコスパのいい旅)を目指すため、ホテル(歴史的建物、農家、古城など)、レストラン(土地の美味しい食文化を体験)選びが大事であること。

また、変化に富んだルート作り(近代都市、中世の街、癒し系田舎町、大自然など)を心がけるなら旅の充実度を増すことができること。

フライト遅延が旅の予定を狂わせるのを防止するため、到着都市 出発都市では それぞれ2日は宿泊すべきこと。

などの旅の極意が語られました。

フリートーキングではロストバゲージ体験者数名の体験談が披露されました。

老若男女大変大勢の方にご参加いただきました。

   

開催日:2018年3月17日(土曜日)

場所:アイセル21 4F  

静岡県静岡市葵区東草深町3−18定例会 (海外旅行情報交換会)

3月の情報交換会の主なテーマは

1.ドイツを鉄道と自転車(電車内持ち込み)で巡る旅の話(ヨーロッパの歩き方ドイツ編)とレンタカーで巡る旅の話

ドイツを自転車で旅した方の話は、ドイツでは多くの自転車道路・サイクリングロードが整備され、電車・地下鉄・バスにも自転車を持ち込めるなど自転車旅行がしやすいこと、ただ交通ルールを守らないと罰金の対象になることもあるので注意が必要なこと、パンク修理セットや空気入れなどのアイテムが必要なことなどが語られました。

 ギリシア、ポルトガルをレンタカーで旅した方の話は、ギリシアで借りたレンタカーのカーナビは地図機能が大変乏しく道に迷って苦労したこと、ポルトガルの有料道路でポルトガルのETCカード?がなくて、現金では通れず、やむおえず、一般道を走って時間がかかったことなどのエピソードが語られました。

2. ユーレイルパス(ヨーロッパ鉄道パス)の内容、活用方法とメリット・デメリットについて紹介されました。 

老若男女30名以上の方にご参加いただきました。

 

開催日:2018年1月20日(土曜日)

場所:アイセル21 4F  

静岡県静岡市葵区東草深町3−18定例会 (海外旅行情報交換会)

1月の情報交換会の主なテーマは

1.静岡空港から行くヨーロッパ、北アメリカなど~航空チケットとタイムスケジュール情報、いかに旅行者の都合のよい時間帯に行くことができるか~ 

静岡空港からパリ往復(中国東方航空)チケットを59,150円で入手し、旅した経験者より静岡空港・中国東方航空利用のメリット・デメリットやどの便を利用すればいいかなどの情報が語られました。

中国東方航空のチケットは直前で購入すると格安になる場合があるようです。 

2.ヨーロッパの歩き方・スペイン編~スペイン(マドリード周辺)歴史遺産の旅~

 スペイン・マドリード周辺を個人旅行した旅行者より、その旅行談をお聞きしました。

世界遺産トレドの街では少々高くてもパラドールに泊まるべきなどの情報が語られました。

老若男女32名の方にご参加いただきました。

 

開催日:2017年11月18日(土曜日)

場所:アイセル21 4F  

静岡県静岡市葵区東草深町3−18定例会 (海外旅行情報交換会)

11月の情報交換会の主なテーマは

1旅の魅力はコミュニケーション~海外個人旅行をより楽しむためのコミュニケーション術~

海外でのコミュニケーションを題材にしたアニメーションを皆で観賞したあと、バルカン諸国を巡った旅行経験者から、現地の人とのふれあいに関するエピソードが語られました。

2.旅にハプニングはつきもの? トラブル経験座談会

スイス旅行中に子供とはぐれてしまった母親旅行者、集団で取り囲まれ窃盗に遭った旅行者の経験など旅の仰天ハプニング、トラブル経験が披露されました。

翻訳アプリやハンディ翻訳機などの情報、格安で海外旅行フォトブックを作成する方法などの情報も提供されました。

老若男女大変大勢の方にご参加いただきました。

 

開催日:2017年9月23日(土曜日)

場所:アイセル21 4F 45号室 

静岡県静岡市葵区東草深町3−18定例会 (海外旅行情報交換会)

9月の情報交換会の主なテーマは

1.フランス旅行経験者、またはフランスに行きたい方大集合!!   「ヨーロッパの歩き方-フランス編」

2.海外旅行の食の楽しみ方の経験交流

でした。

老若男女大変大勢の方にご参加いただきました。

フランスの田舎の旅、マルシェ、貴族の館のようなホテル宿泊体験の話やグーグルマップやウーバーを使いこなしてパリを効率的に回る、並ばないでベルサイユ観光をするテクニック、エッフェル塔よりモンパルナスタワー展望台がおすすめの理由、ニース観光ではニースを一望できる城跡公園からの展望が素晴らしいこと、エズ村にはぜひ行った方がいいこと、観光客の増加の現状(テロの影響はほぼない)、モンサンミッシェルは入場料を払っても修道院内は見た方がいいなどの話がありました。

外貨の両替方法、インターナショナルキャッシュカードとクレジットカードのキャッシュサービスどちらが得などの情報も提供されました。

旅で食べた、生涯で一番おいしかった干しダラ料理の話には皆、生唾を飲み込みました。

 

開催日:2017年7月29日(土曜日)

場所:アイセル21 4F 45号室 

静岡県静岡市葵区東草深町3−18定例会 (海外旅行情報交換会)

7月の情報交換会の主なテーマは旅の準備および旅先での便利グッズや有用なツールについてなどの情報交換でした。老若男女大勢の方にご参加いただきました。

参加者の中の男性の旅人、女性の旅人からの話を聞きながら、情報交換を行いました。

旅先で病気になり、海外旅行保険を使った経験者からの情報、便秘対策アイテムの情報、不潔なトイレ対応アイテムの情報、レンタルWIFI、トラベルSIMなどの情報、MAPS.MEやGOOGLEMAPなどスマホアプリ情報も提供されました。

 

開催日:2017年5月27日(土曜日)

場所:アイセル21 4F 44号室 

静岡県静岡市葵区東草深町3−18定例会 (海外旅行情報交換会) 

5月の情報交換会の主なテーマは航空チケット、ホテルなどの取得方法などの情報交換でした。老若男女大勢の方にご参加いただき、大入り満員でした。航空チケットを安く手に入れる方法としては、予約サイトを使った航空券の予約テクニックや購入のタイミング、早朝・深夜便の利用、シーズンに気を付ける、LCC・格安航空券の利用、フリープランの利用、キャンペーンの利用、マイル・ポイント利用、ツァーの利用など皆さんの体験から、ノウハウを共有できたと思います。